第3話 魔術店のお仕事
地下菜園の収穫と言われたはいいものの、瑛人は規模を完全に見くびっていた。
この家は、決して広くない。全て見て回っていないが、部屋数も四、五個だろう。
地下菜園と言っても、せいぜいプランターが並ぶ小さな地下室だと思っていた。
だが、階段の下にある納戸のような粗末な扉を開けて、瑛人は声をあげてのけぞった。
そこは、ツタが絡まった巨大な柱が立ち並ぶ、廃墟のようなだだっ広い空間だった。
屋内のはずなのに、骨組みだけ残して朽ち果てた屋根の上には青い空が見え、燦々と光が差し込んでいる。
中央には種類別に整然と生えた畑の畝が続き、崩れかけた壁際には、背の低い木々が生えている。
隅には鉄柵で囲われた鳥小屋もあり、数羽の鶏が中でうろうろしていた。
とてもではないが、家の地下室と言われて納得できる大きさではなかった。
だが、瑛人が一番とまどったのは、いわゆる地面がないことだ。
地下菜園は、全て青い水に覆われている。
さながら水没した神殿跡に作られた、大規模な水耕栽培といったところだ。
底が見えない水に躊躇する瑛人の脇を、セトとロゼがさっさと通り抜けていく。
水面にはさざ波が立つものの、彼らの足が沈むということはなかった。
瑛人は恐る恐る足をつけた。
小さな波紋がたったが、足下は地面ようにしっかりと支えられている。
召喚されたときのように水が襲いかかってくるということもない。
「……この水、俺をこの世界にひきこんだ黒い水に似てるな」
「これは水じゃねえ。魔力の体現だからな、似てて当然てこった。さあ、サクッと終わらせようぜ、バイト君よぉ」
ロッドがばたばたと瑛人の頭の上で羽ばたいてそう言った。
「お前はいいよな、かがまなくて済むんだから」
「僻むなよ、バイト君。俺だって大変なんだぜ?
クチバシでうまくもねえ薬草咥えて引っこ抜くなんてよぉ。
俺にやらせる仕事じゃねーってこった。
こんなのは普通のインコに任せておきゃいーんじゃねって毎回思うぜ」
「普通のインコは薬草の収穫なんかしないだろ……」
セトがぱん、と革手袋をした手を叩いて瑛人とロッドの会話を打ち切った。
「無駄口はそこまでだ。作業にかかるぞ」
結局、召喚主が見つかるまで、瑛人は住み込みのバイトで雇われることになった。
バイトという言葉はこの世界にはなく、正しくは手伝い人というらしい。
だが、瑛人がぽろっと洩らしたバイトという言葉にロッドがやけに食いつき、バイト君と呼ばれることになってしまった。
給料は一日銀貨一枚。
多いのか少ないのかは全く分からないが、行く当てもないので首を縦に振るしかなかった。
とにかく、これで当面の衣食住は確保された。
右も左も分からない異世界で、この家に落ちてきたことは案外僥倖だったかもしれない。
仕事も案外楽そうだ。
が、その感想は覆されることになった。
「疲れた……」
瑛人はげっそりとそう言った。
一時間ほどかかって、三人と一匹で四畝の薬草を採りきった。
グール草という名のその草は、根が深く引っこ抜くにも一苦労だった。
周りの水面を掘ろうとしてみたが、青い水は何の弾力もなく、手をはじき返す。
結果、ただ握力で引っ張るしかない。
革手袋をつけていても、一時間も続ければ手が痺れるほど痛いのだ。
「完全に農家じゃねーか……」
高校一年の夏休み。
バイクを買うお金欲しさに農家の短期バイトの面接に行ったものの、早起きが出来るかと聞かれ、無理だと答えたら不採用だった。
農業に関しては、そのぐらいの思い出しかない。
まさか異世界で農作業をするとは、昨日まで思ってもみなかった。
「さあ、今からが本番よ! 根を刻んですぐ煮込まなくちゃ。薬の配達にも回らないと!」
ロゼが籠一杯に収穫したグール草を持ち、菜園の出口へと駆けていく。
同じ仕事をこなしてなお元気すぎるロゼの後ろ姿を見送り、瑛人はため息をついて自分の籠を抱えた。
このバイトは、いつまで持つだろうか。
グール草を台所まで持ち帰り、瑛人はロゼに言われたとおり、根を水の入った鍋に浸してこすった。
土は付いていないが、薄い皮を取るらしい。
出来たものを台に置くと、次々にロゼがぶつ切りにしていく。
切った根は、セトが別の鍋に放り込む。
完全な流れ作業だ。
開店を知らせるチャイムが鳴ったのは、ちょうどそのときだった。
店の天井からは小さなワニの剥製や天球儀がぶら下がり、壁のそこかしこに乾燥した薬草が束ねて吊されている。
カウンターの中にある棚にはガラス瓶がびっしりと置かれ、それぞれに色の違う粉や液体が入っていた。
その他、真っ赤な色をした騎士の鎧、頭蓋骨を模したクリスタルの置物、珍妙なデザインの天秤など、何に使うのか見当もつかないアイテムが雑多に飾られている。
まさに魔術店という名前が相応しい怪しげな雰囲気だ。
が、通りに面する側には大きなガラス窓があり、店内は意外と明るい。
カウンターにはセトが座り、瑛人が読めない奇妙な文字で書かれた分厚い本を読みふけっている。
優雅なものだ、と瑛人は口をとがらせて力の入らない手で大きな木べらを動かした。
カウンターの中の壁際に大きな鉄鍋があり、瑛人はそれを延々とかき混ぜていた。
どういう理屈かは知らないが、下に火が燃えているようには見えないのに鍋はぐつぐつと煮立っている。
中身はさっき収穫したグール草だ。
ハーブのきつい匂いが鍋から立ち上ってくる。
と、澄んだドアベルの音が聞こえた。
また客が来た。
今度こそ当たりかもしれない。
「いらっしゃいー」
期待の眼差しを扉に向けて、瑛人は言った。
真っ白い髪をした老婆が、扉を開け、杖をつきながらカウンターへとよってきた。
「おはよう、薬屋の兄さん。いつものリューマチの薬、頼むよ」
老婆はそう言って銅貨数枚と小さな瓶をカウンターに置いた。
瑛人はがっかりして鍋に目を戻した。また外れだ。
一体、召喚主は瑛人をどうしたいのだろう。
呼んだなら呼んだで、きちんと責任を持って探し出してもらいたいものだ。
セトは本から目を上げ、戸棚から原色の黄色い粉が入った瓶を取り出した。
そして、小さな瓶に黄色い粉を移しながら、老婆に尋ねる。
「腹痛の薬はどうする?」
「ああ、二袋ほど入れといておくれ。あんたの薬はいつもよく効くんで助かるよ」
「それはどうも」
そこで、その老婆はしょぼしょぼした目を開け、瑛人に気づいたようで、こちらに話しかけてきた。
「あら、あんた新入りかい?」
「今日から働いてます。瑛人です」
「エイトさん、ねえ」
ひゃひゃひゃ、とその老婆は歯のない顔で笑った。
「薬屋の兄さんの手伝いかえ。そりゃ厳しいだろうね」
「そりゃもう。今日来たお客さん全員に言われました」
瑛人はぶんぶんと首を縦に振ったが、薬を用意しているセトが、ちらりと瑛人の方を見たので慌てて止めた。
「おい、手がとまってるぞ。しっかり混ぜろ」
セトの言葉に、老婆は皺だらけの頬を緩ませて笑った。
「ひゃひゃ、鍋でぐつぐつ煮込まれないように気をつけんさい」
「……それもお客さん全員に言われました」
しっかりやんなさいよ、と言うと、老婆は薬を籠にしまい、帰って行った。
その後ろ姿を追いながら、恐る恐るセトに尋ねてみた。
「よく考えたら、俺、魔術師じゃないんだけど……この作業俺がやってていいのか?
鍋をかき混ぜるときに、魔法を込めたりとかしないの?」
「鍋の攪拌に魔術的な要素なんて全く必要ない。ただ手を動かせばいいだけだ」
また本に戻ったセトが、ページをめくりながら答えた。瑛人は呆れて答えた。
「じゃあ魔術師が作る意味ないじゃん」
「馬鹿言うな。薬草知識も魔術のうちだ」
「あと気になってたんだが、さっきから来る客全員、ごく普通の人ばっかりなんだけど?
魔術店なのに、今のところ薬しか売ってないし。
村の人も完全に薬屋って呼んでるけど?」
「この地域は魔術師が少ないから、魔道具の需要がない。
商品は出しているが、この店でまともな魔道具を売った覚えはほとんどないな」
「じゃあ、俺の召喚主も来ないかもな……」
いけしゃあしゃあと言うセトに、瑛人はがっくりと肩を落とした。
実は、聞きたいことはもう一つある。
開店からこっち、お客がくる度に『鍋でぐつぐつ煮込まれないように』という忠告をもらっているのだが、これは村ぐるみのジョークだろうか。
それとも、魔術師には気に入らない奴を鍋でぐつぐつ煮込む風習でもあるのだろうか。
生死に関わることだからぜひはっきりさせたいのだが、なにせ本人には聞きづらい。
瑛人はかき回している鍋から出る湯気を顔に受けながら考えた。
(後でこっそりロゼに聞くか……)
カラン、とまたドアベルの音がする。
見るとロゼが空になった籠をふりつつ、笑顔で店に入ってきた。
その肩にはロッドが留まっている。
二人が配達から帰ってきたのだ。
「ただいま!
イザベラの家の薬の世話をしてたら、ちょっと遅くなっちゃった。
どう、少しは慣れた?」
「ああ、うん、まあ……」
慣れた、と聞かれても、鍋を延々とかき混ぜる作業に慣れたというだけで、その他についてはまったく慣れていない。
むしろ、今日はそれしかしていない。
「キャハハ、村でも早速噂になってたぜ、バイト君よぉ」
ロッドが陽気に喋りかけてきた。
「噂になる要素が俺のどこにあるんだ?
隅で鍋かき混ぜてただけだぞ?」
「でけえ薬屋見習いが来たってな。
田舎だから、どうでもいい情報でも伝わるのが早え」
まだここに来て一日も経っていないのに、もう噂になっているらしい。
恐るべき田舎の情報網である。
ロゼが空になった籠をカウンターに置きながら言った。
「そうねえ、鍋が一段落したら、紹介がてら村を案内するわ。
もしかしたら、貴方の召喚主について手がかりが見つかるかもしれないし」
鍋は、なかなか一段落しなかった。
昼飯を交代で食べながらも鍋の攪拌は延々続いた。
やっと終わったころには、瑛人の手は、湯気でふにゃふにゃにふやけていた。
手の感覚を取り戻しがてら、彼はロッドを肩に乗せたロゼと一緒にカミノ村をぐるっと一周した。
結論から言うと、何の手がかりもなかった。
カミノ村は壊れかけた城壁に囲まれた、二十分もあれば回れる山間の小さな村だった。
広場は少し大きな体育館ぐらいだし、メインストリートにはパン屋と鍛冶屋と雑貨屋兼酒場、そして小さな教会があるきりだ。
村の人々は今の時間城壁の外の畑や牧草地で作業をしているらしく、通りに人影はほとんどない。
ときおり出会う人は、ロゼに向かって親しげに挨拶し、瑛人を怪訝な顔で見た。
つまり、顔見知りばかりというわけだ。
ただ、ロッドがただのインコの真似をする、ということは外に出てみてよく分かった。
家であれだけ饒舌に喋っていたというのに、一切口を聞かず、黙って肩の上に乗っている。
まるで忠実なペットのようだが、家でのべつまくなしに喋っている姿を見ている分、逆に不気味だった。
「ごめんね。見たとおり、退屈で小さな村なのよ」
ひととおり回った後、魔術店に帰る坂を上りながら、ロゼがすまなそうに言った。
鍋に時間を取られ、もう夕暮れ時で、二人の足下から影が長く伸びている。
「いや、そんなことないよ。結構楽しいな、RPGの最初の村みたいで」
ロッドがすかさず羽ばたいて、瑛人の方へ飛んでくる。
そして、耳元でぼそっと囁いた。
「おい、RPGってなんだ?」
「……ああ、こっちの話」
さすがに、人の住んでいる場所をけなすのはだめだろうとひねり出したが、こちらの世界では通じなかった。
そして、その鋭くとがったクチバシを耳元へ持ってこられると、耳を喰いちぎれという昨日の命令を思い出して正直怖い。
「いいのよ、本当に何もない村だから」
ロゼはこともなげに言った。
「昔は炭鉱があったからもう少し活気があったんだけど、どんどん縮小されちゃって。
今は炭鉱集落自体が、村から南へ移ってしまったの。
神父さんもお医者さんも、街から月に二回来るだけ。
だから、急病人や怪我人は私たち魔術師がなんとかしないといけないのよ」
でも私は、この村が大好きなの、とロゼは笑った。
「何もないから平和なの。何もないから大好きなのよ」
「……だよなあ」
瑛人は、違う場所を想像していた。
本当に、なにもない町だった。
遊ぶなら電車に乗らなければならないような、首都東京にぽっかり空いた穴のような町に、瑛人は住んでいた。
近所の商店街に気の利いたものなど一つもなく、田舎じみた銭湯がぼーっとしているうちに昭和が終わってしまったとでも言いたげに建っていた。
つまらない町だと思っていたし、今でも多少はそう思っているのだが、知らず知らずのうちに、意識はそこへ向かってしまう。
帰れるのだろうか、あの何もない町に。
「……大丈夫、必ず帰れるわ」
瑛人の考えを見透かしたように、ロゼがふいに真面目な顔をして、拳を胸に当てた。
「召喚した魔術師も、貴方のことを探していると思うの。
そうでなくちゃ、あなたを召喚した意味がないじゃない?
それに、まだ見習いだけど、私も魔術師の端くれよ。
魔術師が起こした不始末は、私たち魔術師が手伝ってあげないとね」
彼女が照れたような笑顔に戻った。オレンジ色の髪がばさっと揺れる。
「そうそう、何もない村だけど、登りきった坂の上からの景色だけは綺麗よ?」
この坂の上には、魔術店を含め、数軒の家があるきりだ。息を切らして急な坂を上り、振り返る。
そのとたん、夕日がまともにあたり、二人の目を焼いた。
村全体が黄昏時の光に包まれていた。
崩れかけた低い城壁の外には、なだらかに下っていく牧草地。
所々に畑や林も見える。
谷には小川が流れ、川の流れに沿うように小さな道がどこまでも続いている。
その先で、二つの山が夕日を背にして、そびえ立っていた。
額に手をかざし、目を細めながらロゼが説明した。
「あの頂がレニア山。高山植物がよく採れるの。
その隣の少し低い山がボローゼ山。
すごく険しい岩山よ。
あの二つの山の峡谷を越えた先が、隣町になるわ」
空を見上げれば、いま沈もうとしている太陽の横に、相変わらず縮尺を間違えたような月が白く寄りそっていた。
神秘的な光景だった。
大きな月を見ても、もう恐怖は感じなかった。
瑛人は独り言のように、口の中で呟いた。
「……なかなかいいじゃん、カミノ村」