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第9話 漁師への転職

 瑛人は魚臭い湖畔の通りを所在なくうろついていた。

 騎士の話によると、ラインツ他後続の部隊はまだこの街に到着していないらしい。

 王女達が護衛もなく城に招かれたことについては早馬を走らせたので、その他瑛人ができることはないと言われた。

 騎士達は各々休憩とばかりに早々と宿に入り、宿屋の亭主に酒や料理を注文していた。

 こんな大変なときに、と瑛人は若干不満だったのでその輪には加わらず、何か情報でも探そうかと、湖畔のぐるりにある石畳の通りをふらふらしていたのだ。


「よう、兄ちゃん! 買ってかないか!」


 声をかけられて振り向くと、店のおっさんが手招きしていた。

 日に焼けた顔で、瑛人の二倍くらいの太さがある腕が剥き出しになった上着を着ている。

 大きな帆布の屋根にカウンター、その前に浅めの桶があるだけの小さな露店だ。

 桶には二十センチくらいの銀色の魚が隙間なくうようよと泳いでいる。定員オーバーで水が見えないくらいだ。


「これ何て魚?」


 買う気はなかったが、興味本位で尋ねてみた。


「この湖の名物、バルバルだ!

 脂ものっていて、煮ても焼いても旨いぞ!

 さっき湖で捕ってきたばかりだ!」


 おっさんは耳が遠いのかと思うぐらい大声でしゃべった。

 流石に漁師なだけあって、元気がありあまっているようだ。


 漁師。

 その言葉で瑛人は思い当たった。

 あの城は、たった一つの橋で城下街と繋がっている。

 つまりそれ以外の場所は、湖と繋がっているということだ。

 いくら堅固な要塞だとしても、湖に面する場所に出入り口の一つや二つあるはず。


「おっさん! この魚どうやって捕ったんだ? もしかして舟で?」


 俄然身を乗り出したエイトに、おっさんは嬉しそうに答えた。


「おう、そうだぜ!

 おまえさんもしかして、釣りに興味がある口かい?」


 数回池で釣りをしたことはある。

 そこから調子にのってお小遣いで道具を買い揃え、磯釣りに出掛けたら高波に全部持って行かれたしょっぱい思い出以来、釣りからは遠ざかっているが、この際なので瑛人は力強く肯いた。


魚屋は豪快に笑った。


「おう、じゃあまた会うかもな。ここはいい釣り場だぜ。

 特に夕方が狙い目だ。城に届けるのにもいい時間だしな」

「城に届ける? それって、城に入るってことか?」


 瑛人は目をむいた。こんなに早く有益な情報に当たるとは思っていなかった。


「おう、当たり前だが、中の人は変わっちまっても喰うもんは喰うんだよ。

 俺は魚を城に卸して十年だ。それに領主が誰になろうと俺は魚屋だからな」


 金さえもらえば魚を誰に売ろうが関係ねえ訳よ、と魚屋は胸を張った。

 そのスタンスはどうかと思うが、瑛人にとっては城に入れるという情報を得ただけで好都合だ。


「だがよ、ちょっと気になることがあるんだ。

 あいつら、あんまり喰わねえから前より稼ぎが悪いんだ。

 このバルバル、お前さんなら何匹食える?」


 魚屋は、うようよと泳いでいる魚の尻尾をはしっとつかみ、水から引き上げた。

 二、三匹かな、と瑛人が言うと、魚屋は重々しく頷いた。


「そうだよな?

 だがな、あの何とか帝国の奴ら、前の領主がいたときの半分しか喰わねえんだ。

 いいとこ二百匹だな。

 ああ、魚が嫌いとかじゃないぜ? ここらの肉屋も八百屋も、それで大打撃を受けてるんだからよ」

「単に人数が減ったからじゃないか?」


 瑛人は一番考えつきそうなことを尋ねてみた。

 だが、魚屋は首を振った。


「そんなことねえ。逆に増えてるからおかしいんだよ」


 魚屋の話によると、一日目に領主が逃げ出してから、全ての料理人や兵士、召使いが首になったそうだ。退職金だけはたんまりもらったらしく、そのおかげで酒場や職業紹介所はにぎわっている。そのかわり、黒服の魔術師や黒甲冑の行列が途切れ途切れにやってきた。行列は五十人くらいの小隊になっていて、今までに街中で見かけた小隊の数を合わせると、全部で千人近くになるらしい。

 千人で二百匹の魚を分け合う食事は、どう考えても王侯貴族の暮らしとは言い難い。

 瑛人も首をひねったが、とにかくこの魚屋について行けば城に入れるということは分かった。こうなったらやることは一つだ。


「なあ、おっさん! 

 俺の名前は瑛人。釣りは大好きなんだけど、全然下手くそなんだ。

 で、おっさんを釣り名人と見込んで頼みがある!

 俺もおっさんと一緒に釣りをしたいんだけど、いいかな?」

「おおっ! 最近の若者は釣りなどせんと思っていたが、お前、なかなかいい目ききだな!

 俺はトマス! ここらじゃ一番の釣り名人よ!」


 弟子入り志願が意外なほどすんなりと通り、瑛人は拍子抜けしてしまった。おっさん、もといトマスさんは釣りの腕を認められるのがよっぽどうれしいらしい。


「さあ、そうとなればこの魚を夕方までに売ってしまわねば!

 お前も暇なら手伝え!」


 背中をばんばんと叩かれ、瑛人は苦笑いをしてカウンター側に回った。

 これも城にはいるためだとはいえ、農家から漁師に転職だ。

 手にぴちぴちした魚を持つと、やけっぱちで叫んだ。


「いかがっすか〜! 生きのいいバルバルだよ〜やっすいよ〜!」





「いやいや、お前、商人の息子か? いつもより数段早く売れたんだが」


 桶の水を湖に捨て、トマスさんがにこにこしながら帆布のテントをたたみ始めた。

 太陽はすでに湖に半分くらい入りかけていて、金色のさざ波が眩しい。

 その太陽を遮るように、黒い城のシルエットが湖からにゅっとそびえている。


「違うよ。でも半年くらい魔術店にいたし、その前にはコンビニ……いや、何でもない」


 バイト歴のことを言いかけて、瑛人は黙った。魔術店はまだしもコンビニは理解されないだろう。


「なんにせよ、売れに売れて助かった! これでみっちり釣りを教えられるってもんよ」


 魚屋は瑛人の発言をまるで気にしていなかった。

 今まで売れなかった原因の一つは、トマスさんが筋肉むきむきの腕を出しているからということを伝えた方がいいのか迷っていたが、今の会話からそれも黙っておくことに決めた。


「さあ、今からお待ちかねの釣りだ! ノルマは一人百匹だ!」

「え?」


 瑛人はあり得ない数字を聞いて振り向いた。

 トマスさんがにやっと笑った。


「釣りは体力、持久力! 俺は厳しくやるからな!」





「……痛い」

「どこが?」

「……腕と腰かな……あと手」


 魚を生け簀に放り込み、瑛人はげっそりして答えた。

 小さな小舟に揺られて二時間、湖の真ん中でランタンの明かりに寄ってくる魚を釣りまくったのだ。

 だが、おっさんは相変わらず元気に怒鳴っている。


「なるほど、上腕二等筋と背筋だな! 手は慣れだ、あはははは!」


 これは瑛人が知っている釣りではなかった。餌であるミミズをつけて水に入れた途端、引きがあるのだ。

 もたもたせずに引き上げて、また餌をとりつけ、放り込み、引き上げての繰り返し。

 入れ食い状態だと喜ぶべきなのだが、余裕が全然ないので、そのうち腕や腰が痛くなってきた。

 しかしトマスさんにペースを緩めてはいけないと叱咤され、瑛人は延々と動き続けた。

 あのムキムキな筋肉がどうして出来たのかやっと理解したときにはもう遅かった。


「よし、もうそろそろ二百いったな。じゃ、城に卸して帰るか」


 生け簀の中を見てトマスさんが言ったとき、瑛人は船底にへたり込んだ。

 これからが正念場だというのに、こんなに疲れていて大丈夫なのだろうか。

 いや、やらねばならない。

 何とかして城に忍び込み、ロゼとイザベラと支配の指輪を奪還する。

 最悪指輪さえ手に入れれば、後は勝ったも同然だ。

 正気に戻ったセトが黙っているわけがない。


 だが、この計画の一番最初にやることがある。

 このおっさんの説得だ。


「聞いてくれ、おっさん、いや、トマスさん!」


 瑛人はへたり込んだ状態から立ち直り、背筋を伸ばして言った。

 ニセ皇帝を演じたとき以来の大勝負だが、あのピンチよりはましだ。

 少なくとも、このおっさんは悪い人でもなく、瑛人を殺そうともしてこない。

 怪訝な顔をしてこちらを向いたトマスさんに、瑛人は真面目な顔をして言った。


「実は俺、悪の皇帝から王女様を救いに来た騎士なんだ!

 一緒に暮らした大事な姫様が、あのお城に捕らわれている!

 おっさんに人の心があるのなら、俺に協力してくれ!

 城で俺を下ろしたまま、何も言わずに帰ってくれ!」


 トマスさんはうーんと唸って腕を組み、こちらを見つめている。

 やはり、信用されないだろうか。

 瑛人は祈るような気持ちでトマスさんを見た。


「……そりゃだめだ」


 そう言われ、瑛人は肩を落とした。

 期待していなかったといえば嘘になるが、まあ当然だろう。

 最悪、瑛人を城に手引きしたと罪に問われるかもしれないのだ。

 トマスさんは、瑛人の肩をぽんと叩いた。


「帰りに一人いなくなるのは、いくら何でも目立ちすぎるからな!

 いいか、あの城には裏に水門があって、俺達はそこから舟で入る!

 魚を卸した後、二人で船に乗る!

 そんで、城の水門が閉まり始めたら急いで水に飛び込め!

 潜水していけば、水門が閉まるまでに中の水路に入り込めるはずだ!

 ああ、お前泳げるよな!」

「ええ?」


 瑛人は意外な答えを聞いて口をぽかんと開けた。

 カンテラの光でか、トマスさんの眼がきらきら光っている。


「悪の手先から姫を救い出すっ!

 それこそ漢のロマンというもんじゃねーか!

 燃えるっ! 燃えるぜにーちゃんよぉ!

 俺の大胸筋が騒ぐぜ!!」


 無意味に筋肉を誇示するポーズをとりながら熱狂するトマスさんを見て、意外と乗せられるもんだな、と瑛人は顔をほころばせた。

 誰がサーガ熱と言って笑おうと、城に捕らわれた姫を救い出すのは、やはり漢のロマンなのだ。

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