第6話 異世界の面妖な風習
領主のラインツと、魔術師連盟の最高責任者の一人であるディル魔導師が、瑛人には分からない政治の話題で盛り上がっている。
瑛人は若干の居心地の悪さを覚えながら紅茶をすすっていた。
それというのも、ロゼとイザベラがこの場からいなくなったからだ。
ティルキア王国の第一王位継承者の亡命という名目ならば、新ヴィエタ帝国に乗り込んでも違和感がなく、相手も油断するはずだ、というのが、領主が出した答えだった。
それらしい格好にするため、ロゼとイザベラは、侍女に連れられて着替えに行っている。
あのとき、ラインツに杖盗人の能力がいる、と言われた瞬間、
瑛人は頭の痛みに思い当たった。
間違いない。
セトはわざと攻撃して、瑛人に魔力を吸収させていったのだ。
指輪を不当に使ったことに対して、彼なりの意趣返しに違いない。
しかし、と瑛人は不思議な面持ちで両手を眺めた。
以前もそうだったが、魔力を吸収しているらしい瑛人自身には何の違和感もない。
本当にロッドが出せるのだろうか?
試しに瑛人は手を突き出し、神聖ヴィエタ語で唱える。
『真の心よ、我が手に……』
「やめろ!」
魔導師と話をしていたラインツが、慌てたように瑛人の手をぐっと掴んだ。
「今ここで杖を出すのは得策じゃない。
相手も馬鹿ではないからな。
杖を出すなら、これ以上待てない、と思ったときだ。
セトも、これが最後の切り札と分かっているだろう。
くれぐれも不用意に使って、そのレオナルドとかいう男に感づかれないようにしてくれ」
「そうは言ってもさ、セトの魔力が切れはじめると、多分相手に感づかれると思うんだよ」
ラインツは瑛人に向き直り、いらいらと腕を組み替えた。
「前はどれくらい持ったんだ?」
「力をどれだけ使うかによるらしいけど、前は三週間で魔力増減症が出はじめたんだ」
なるほど、とそれまで黙って聞いていたディル魔導師が口を挟んだ。
「エイト、お前の力で奴が勝手に魔力切れを起こしてくれるというのだな。
レオナルドは、六賢といっても戦闘向きの魔術師ではなく、研究者だ。
セトの魔力が切れた後はたやすく倒せるだろう」
「何を言っている」
魔術師連盟の最高峰、六賢の一人に、ラインツが突っ掛かった。
これが領主の特権なのか。
「セトが魔力切れを自覚したとき、どうなるかわからないのか?
十中八九、エイトを狙ってくるに違いない。
術者を殺せば、自分に魔力が戻ってくるのは、魔術師界ではわかりきったことだろう?」
それを聞いて、エイトは戦慄した。
確かに以前、セトがエイトのおかげで魔力切れを起こしたとき、お前を殺して魔力を回復しようと思った、と言われたことがある。
だが、半年一緒に暮らしてみて分かったが、あれも鍋で煮込むという脅しと同様、最終手段を言ってみただけということも察しがついている。
だが今回は違う。
指輪の主に操られているのであれば、確実に邪魔者である瑛人を排除しにくるだろう。
畑仕事どころか、とんでもないことに巻き込まれてしまった。
「その、ディル魔導師、一つ聞いてもいいですか」
瑛人は不安になりはじめ、ディル魔導師に尋ねた。
「他の六賢の人たちは何をしているんですか」
「……我らは多忙だ。
それに、私よりも高齢の魔導師ばかりなのだ。
戦闘はおろか、飛竜にすら乗せられん。
よって、私がこの件の責任者になっている」
ディル魔導師は、どう見ても六十を過ぎている。
六賢はどれだけ高齢化が進んでいるんだ、と瑛人はめまいがした。
つまり、助けてもらえるあては、このじいさんのみというわけだ。
だが、ディル導師の口から衝撃の事実が飛び出した。
「しかし私も本物の戦闘などしたことがないのでな。
ラインツ殿の作戦も悪くないかもしれん」
瑛人はますますへこんだ。
これでは、ディル魔導師を頼るのも無理そうだ。
精鋭部隊とかなんとか言っていたが、それも信憑性に欠ける。
自分の身やロゼを守れるのは、結局瑛人自身しかいないのだ。
そこまで思いつめたとき、瑛人の頭にぱっと光が点ったように、ある一つの考えが浮かんできた。
瑛人は、また難しい政治の話に戻った領主と魔導師の間にむりやり割り込んだ。
「ディル魔導師、一つお願いを聞いて貰っていいですか」
まだ話すことがあるのか、と言いたげに、ディル魔導師は片眼鏡をくいっと上げた。
「聞くだけなら」
「俺に闘魂注入して下さい!」
ディル魔導師は目をしばたたかせた。
そうだった。まず説明をしなければならない。
「なんだね、それは」
「ああ、えーと。
俺の地元の風習みたいなもので、ちょっと顎を出し気味にしながら、
『ダー!』と唱えて俺の頬をビンタしてもらえればと」
長い沈黙の後、領主が引き気味に言った。
「面妖な風習だな……さすが、他の世界から来ただけのことはある」
そのとき、ディル魔導師が高らかに笑った。
さすがに冗談と思われただろうかと、瑛人は眉を寄せた。
だが、魔導師は笑いながら言った。
「本当にそんな風習があるかどうかはさておき、君の言わんとするところは伝わった。
君の力は未知数だ。わかった、君に賭けよう」
カサン王国魔術師連盟の最高峰、六賢の一人、アラン・ディル魔導師がくいっとあごを出して、叫んだ。
「ダー!」
そして、瑛人の頬がぴしりと鳴った。
痛いのは痛いが、階段から落とされたのと比べると雲泥の差だ。
別に顎を出したり叫んだりは無くても支障は無かったが、本当にやってくれた。
瑛人を信じてくれたのだ。風習の意味でも、魔力を貸すという意味でも。
それが嬉しかった。
「ありがとうございます!」
瑛人は儀式どおり、腹の底から声を出して叫んだ。
「あら、何の騒ぎなの?」
そのとき、扉が開いて二人が帰ってきた。
瑛人はそちらを見て、固まった。
長い炎のような赤毛を一部結い上げ、残りはさらっと下ろしている。
上気したような頬は、化粧のせいだろうか。
絢爛豪華な金糸のドレスが白い肌を際立たせ、瞳と同じ色をしたマリンブルーのネックレスが眩しい。
足にはいつものブーツではなく、華奢な金のハイヒール。
圧倒的な気品を備えた、完全なるプリンセスがそこにいた。
これが初対面だったなら、瑛人は話しかけることすら出来なかっただろう。
瑛人はぽかんと口を開けて眺めた後、つい言ってしまった。
「誰?」
「嫌だ、瑛人ったら。いくら着飾っても中身は私よ」
ロゼがにっこり笑って言った。
「そうよ、こんなだっさい格好していても私は私よ、落ち着きなさい」
イザベラが自分に言い聞かせるように呟いている。
瑛人が見る限り、イザベラの衣装は普通のメイドドレスで、ださい要素は特にないのだが、本人的には受け入れがたいのだろう。
数時間後、表にあったぎざぎざの前衛的な馬車は、領主の馬屋に入れられ、代わりに金銀の模様が入った美しい馬車が用意された。
白馬の四頭立てで、中には赤いビロードが敷き詰められた座り心地のいいクッションがついた椅子がある。
その他に、私兵と呼ばれる領主直属の兵士が三十、馬車を取り囲むように配置された。
瑛人は最初その中に混じる予定だったが、瑛人が余りにも乗馬が下手なため馬車に乗せられることになった。
ラインツとディル魔導師は、別働隊で後方から来る。
瑛人達は、いよいよバルスクの地へ出発することになった。
「ところで、バルスクってどこ?」
瑛人が馬車の中で尋ねると、ロゼは多少呆れたように言った。
「中部地方で一番古い街よ。
そこまで大きくはないけれど、東西街道をつなぐ湖の商業都市なの」




