第5話 領主の館
「ラインツさんのところへ行きましょう」
ロゼが掠れた声で言った。
「何が起きているのかたしかめなくちゃ。
イザベラ、悪いけど馬車を出してくれる?」
わかったわ、とイザベラが立ち上がった。
いつもにやにやと笑っているイザベラが、いつになく真面目な顔をしているのを見て、瑛人はよっぽどのことが起こっているのだと思う。
ロゼがこちらを向いて、瑛人の食べた椀を下げながら聞いてきた。
「エイト、怪我はどう?もし無理そうなら……」
「いや、俺も行くよ」
エイトは間髪入れず答えた。
まだ本調子ではないが、最後に巻き込まれたのはエイトなのだ。
一刻も早く、何があったのか知りたい。
イザベラが胸を張って言った。
「わかった、私の家に来なさい。
ただし、私は結構飛ばすわよ」
魔術店の裏手には、『魔女の森』と呼ばれる大きな森がある。
森の中の小さな小道を辿っていけば、イザベラの家は意外と近い。
店に閉店中の札を出し、鍵を閉めて三人は小道を急いだ。
気味の悪いぐねぐねとした植物が途切れ、ツタに覆われた廃墟寸前のイザベラの家が見える。
その隣に、これもサビだらけのホラー映画のロケ地のような納屋があった。
納屋の中にある馬車をまじまじと見たとき、エイトは目をぱちくりさせた。
箱馬車だが、至る所にトゲがついている。
おまけに馬は真っ黒で、たてがみは宝石をあみこんだドレッドヘアになっている。
瑛人は思わず声を上げた。
「なにこれ?」
「何事も、形から入るのが重要なのよ。
いいから、早く乗りなさい」
促され、ロゼとエイトは珍妙な馬車に乗り込んだ。
御者台にひらりとイザベラが跳び乗る。
「さあ、とばすわよ」
だが、森の道幅は細い。
どうやってとばすのかと思い、エイトが窓を開けた瞬間、イザベラが緑色の石版をかざした。
「リリアナレイアル!」
その言葉とともに、ねじ曲がった森の木々がじりじりと動いていく。
根をしならせ枝をふりながら、馬車の前に道を作り始めた。
しばらくすると、馬車から一直線に地道ができた。
遠くに見えるのは街道の石畳だ。
すごいな、とエイトがつぶやくと、イザベラは嬉しそうに言った。
「これが、8百年前、初代魔王シドにさえも対抗した古代魔術師の力よ。
今の技術じゃとてもじゃないけど解析は無理だって、セトもさじを投げていたわ。
さあ、行くわよ!」
言うなり、イザベラは馬に容赦なく鞭を当てた。
エイトはまた座席に投げ出され、頭を打って呻いた。
そんなことにはお構いなく、すでに一本道となった魔女の森を、黒い馬車は猛スピードで駆け抜けて行った。
サレナタリアについたのは、二時間ほどしてからだったと思う。
瑛人はロゼに支えられ、酔っ払いのようにぐにゃぐにゃとしながら馬車から下りた。
今だに山道の物凄い縦揺れには慣れない。
下りた先は、流麗な鉄でできた門扉と、背の高い白亜の壁があった。
この壁の中に、領主の屋敷があるらしい。
二人の門番がいやはや、といった目でイザベラを見ている。
「はあい、お久しぶり」
色気たっぷりにイザベラが挨拶した。
門番達は、ひそひそと二人で話し合っていたが、やがて、一人が険しい顔でやってきた。
「例え森の魔女であっても、約束なしには館へ入ることはできない。出直しなさい」
「嫌よ」
言い切ったのはイザベラではなく、ロゼの方だった。
おもむろに黒い魔女帽子をとり、優雅に頭を下げる。
ほぼオレンジ色の赤毛が、ふわりとたなびいた。
「火急の用です。
領主殿にお会いしたいわ。
私が責任をとります。
奥へ連絡しなさい」
「いや、お前が責任をとると言われても……」
明らかに面倒臭そうに門番が言った。だが、それにかぶせるように、ロゼが凜とした声で告げたとき、門番の背筋がぴしりと伸びた。
「そうそう、私の名前をお伝えください。
元ティルキア王国第一王位継承者、ロゼッタ・マリアン・グレイフォン・ティルキア。
戻るまで、ここで待たせて頂くわ」
ロゼがそう言うと、門番たちはこそこそと話し合った後、一人が持ち場を離れた。
おそらく、上にお伺いをたてに言ったのだろう。
こういうときにロゼのネームバリューは力を発揮するようだ。
三分もたたないうちに門番は平身低頭で戻ってきた。
重い鉄製の扉が開かれ、奥に白亜の屋敷が見えた。
「やれやれ、これだけでずいぶん時間をとったわね」
イザベラが嫌みっぽく言い、馬に再び鞭を入れた。
しかし、ラインツにあうにはまだ関門があった。
豪華な客室に通され、三度目のお茶が冷めるころ、やっと金の装飾が眩しい扉から、領主のラインツが入ってきた。
ほりの深い顔立ちをした四十代くらいのおっさんなのだが、長い金髪を後ろで留めた貴族のような髪型のせいか、ずいぶん格好よく見える。
しかし、目の下には睡眠不足なのか大きなクマができていた。
「待たせて悪いな。証拠が揃うまで伝えたくなかったんだが」
開口一番彼がそういった。
「悪い知らせね?」
ロゼが顔を曇らせる。
「かなりな。王都カサニエルの六賢は、二、三日前から知っていたようだが」
ラインツは不機嫌な顔を崩さぬまま、羊皮紙を置いた。
「これが今朝、早馬で王都に届けられようとしていた物だ。
俺の私兵が奪わなければ、大惨事になっていたかもな。
さて、これを見てどう思う?」
瑛人達はこぞって羊皮紙をのぞき込んだ。
『支配者変更のお知らせ
拝啓 カサン王国国王並びに各地の領主殿
私セト・シハクは初代魔王の杖の所有者であり、即ちヴィエタ帝国の正統な皇位継承者としてこの度、新ヴィエタ帝国の建国を宣言する。
ついては、カサン王国領地内、中部地方バルスク領の地を仮の帝都として支配し、ゆくゆくは地上全てを統一する足がかりとしてすでに攻略済みであることをお知らせする。バルスク領民は今日より全て新ヴィエタ帝国に所属し、税、立法、司法についてはカサン王国の支配から独立する。
批判、非難等はご自由に。だが、帝都バルスクへの武力的制裁及び経済封鎖等については、武力による解決も辞さない。
十年前のバキールの反乱で、私の力は証明済みである。全ての畑地及び人民がガラス化する前に、このヴィエタ帝国の承認をご決断願いたい。
敬具 セト・シハク・ヴィエタ』
「……馬鹿げているわ」
たっぷりと時間をかけて読んだ挙げ句、ロゼが断定した。
「セトがこんなもの書くわけがないじゃない」
それはその通りだと、瑛人も思う。
あの小さな店で手一杯のセトが、いくら初代魔王の杖を持っているからといって新ヴィエタ帝国の建国などするはずがない。
「ああ、そうだ。これを書いた人物に関しては、おおかた調べがついている。
その証人がもう少しで来るはずだ……」
ラインツがそう言った瞬間、窓の外を暗い影がざっとよぎった。
何だろう、と瑛人がそちらに目をやると、大きな緑の瞳と目が合った。
キューッという声も聞こえる。
「バルコニーに直接降りたか。
新人のくせに器用だな」
窓の外は、広いバルコニーになっていた。そこに、ほとんど隙間無く銀色の鱗をした大きな竜が座っている。そして、その首あたりから、二人の人物が降りてきた。
「……エイトさん!」
「キャロル!」
降りてきた一人の内、金髪の若い女の子は、間違いなくキャロルだった。
つまり、この人が三人乗っても大丈夫そうなどでかい飛竜は、キャロルのペット、ジュートのはずだ。
前に見たときには、大きな馬くらいだったが、既にライトバン級に成長している。
よく見ると、首輪も外れていた。もう既に、大人の竜として扱われているのだ。
だが、キューキューと鳴いて甘えているのは変わらない。
竜から降りてきたもう一人は、瑛人の知らない顔だった。
銀色の巻き毛を肩まで垂らした、高い鼻に片眼鏡を乗せたじいさんだ。
「アラン・ディル魔導師。王都の六賢の一人だ」
ラインツは向こうに聞こえないように言うと、手を広げてディルを迎えた。
「ディル魔導師。ご足労をおかけして申し訳ない」
だが、ディルは渋い顔を崩さない。
ラインツには鷹揚に頭を下げたが、こちらを向いてだれだこいつはと言わんばかりの視線を送ってくる。
瑛人も、この半年の間に少しは学習した。
六賢とは、このカサン王国の魔術師連盟の中で、一番権力のある六人のことである。
この六人が、杖授の魔術や国内の魔術師の統括を行っているのだ。
「だが、あなたたちが管理されているはずの支配の指輪が、使用されているということについて、私たちやこのロゼッタ王女にも説明をして頂きたい」
「……なるほど」
相変わらず、苦虫をかみつぶしたような顔でディル魔導師は言った。
「我らの失態について、このような者どもに話さねばならぬと言われるのですな」
「是非。この事態を打開するためには、その必要がありますのでな」
テーブルを囲んで、どんなにおいしい紅茶が出ても、そのぴりぴりとした雰囲気はなくならなかった。
だが、観念したのだろう。
ディル魔導師はぼそぼそと、王都で起こった事件を語り始めた。
「最初は若造、レオナルドの大言壮語だと思っていたのだ」
六賢になるシステムは実に単純だ。
一人が亡くなるか罷免されると、カサン王国の連盟内で推薦が行われる。
推薦された者を残り五人が精査し、合格すれば晴れて六賢の一人として連盟の運営に携われる。
ちょうど先頃、六賢の一人が罷免された。親戚の叔父の義理の弟が初代魔王信奉者に荷担していたという理由だ。
後任を選ぶにあたり、レオナルドという若い魔法科学者が推薦で上がってきた。
まだ三十でありながら、有益な論文を次々と上げ、魔術の進歩に貢献しているというものが理由だった。
その論文を詳しく読んでいたらよかったのだが、残された五賢は特に言及することもなく、若人がそのような成果をあげていることはすばらしいことだということと、彼が代々続く魔術師の家柄で、貴族出身ということもあり、ついにレオナルドは六賢になった。
一見華やかそうに見える六賢の仕事は、実際は会議の連続、一人前の魔術師に送る杖授の儀式、王家の騙し合い、罪を犯した魔術師の処罰決定など、地味で多岐に渡る激務だ。
レオナルドは、まだ若く、それに耐えきれなかったのであろう。
それに、六賢内でも彼が一番年下だったため、軽んじられていたことは確かだ。
いつだったか、二番目に若いディル魔導師にこぼしていたことがある。
「六賢のご老人がたは、私が彼らには及びもつかないような知識を持っているとは、思いもしていらっしゃらないようですな」
そしてある日、会議の場に彼は出なかった。
同時に、六賢が合同で隠し、一人では絶対に開けることが不可能な宝箱が開いていた。
もちろん、中身はなくなっていた。
慌てて彼の論文を見てみると、その中に『複数の魔術師がかけた封印を破る研究』なるものがあり、六賢達は騒然とした。
これが数日前の話である。
「……宝箱の中身は、支配の指輪だった、というわけね」
イザベラが腕を組んで考えこんだ。
言い訳がましくディル魔導師が言った。
「我らとて、今まで手をこねまいていた訳ではない。
既に、精鋭を揃え、戦闘の準備を進めて…………」
「やめて!」
突然、ロゼが立ち上がった。
「戦争なんてなったら、どういうことになるか分かっているの?
あなた方、到底無事には帰れないわよ!」
「ならば、どうせよというのだ!
このまま新ヴィエタ帝国の建国を見守れというのか?」
ディルが叫んだ。
しかし、それに負けずに、ロゼが言い返す。
「……時間をちょうだい。私が、指輪を奪ってみせるわ」
「危険すぎる。それに、女一人で何ができるというのだ。
あんたは奴の恐ろしさを知らん。
近付く前にガラスになってしまうぞ!」
思わず、瑛人も椅子をけって立ち上がった。
「女一人じゃない! 俺もついていく」
「……私も行くわよ。
どうしても戦争がしたいなら、その後からでもできるでしょ?」
イザベラも、髪の毛をかきあげながら言った。
「俺も行く」
ラインツの言葉に、最後の砦が崩された、という顔をしてディルがすとんと椅子に座った。
「ディル魔導師、あんたは『奴の恐ろしさを知らん』と言ったがな。
俺はこの目で見て知っている。
だからこそ、全面戦争には反対だ。
ディル魔導師は、バキールの戦線に参加したか?」
「……いいや。だが話は聞いた」
「ふん」
ラインツは鼻で笑った。
「四ヶ月間硬直していた戦況を、奴は十日でひっくり返した。
およそ千人の魔術師と、四匹のエンシェントドラゴンが向こう側についていたが、奴はそのほとんどを一人で片付けた。
いくら精鋭を送り込んだところで、あの化け物には勝てん」
「ラインツさん!」
ロゼの非難の声に、ラインツはおっと失礼、と優雅に頭を下げた。
「だからこそ必要なのだ。
時間稼ぎの王女様と、そして」
瑛人にぴたりと視線を合わせて、ラインツが言った。
「杖盗人の能力が」




