第3話 ただいま、カミノ村魔術店
休暇の前日、修練所は昼までの授業で終わった。
近隣の生徒は鞄に荷物を詰めて実家に帰り、遠くから来た学生は寮パーティーの準備をしている者もいる。
休暇といっても5日しかないので、帰れない距離の生徒も半分くらいいるのだ。
ちなみに、キャロルは休暇中にドラゴンテイマーの先輩と強化訓練をするそうだ。
全然休暇になっていない上、いつもより忙しいらしい。
「ビルは実家に帰るのか? 結構遠いんだろ?」
瑛人はそわそわと鞄に荷物を詰めているビルに話しかけた。
確か、ビルの実家はカサン王国の南部だったはずだ。
サレナタリアはカサン王国中部なので、結構な距離があるはずなのだが。
「いや、ジェーンと旅行」
「何っ!」
瑛人がゆらっと立ち上がったのに気付かず、ビルが話し続ける。
「いや、なんか最近いい観光名所ができたらしくてさ。
ジェーンか行きたいって言うから……」
「この裏切り者、幸せ者!」
瑛人は続きを待たず、チョークスリーパーをかける。
ギャーッとビルがわめき、そこからひたすらプロレス技の掛け合いに発展した。
ちなみにプロレス技は、瑛人が数人の仲間達に伝導したところ、あっという間にブームとなって修練所の男子内に広まった。
異世界ファンタジー住民の心を掴む何かがあったらしい。
「で、どこ行くんだよ?」
ひとしきり騒いだ後で、瑛人が聞いた。
「ああ、小バキール、ってところを見に行くんだってさ。
東部のバキールっていうところには、先の内乱で出来たガラスの海があるらしい。
それのミニ版みたいな、一面ガラスの破片ばかりの土地がこの近くにあるそうだ。
ずいぶん綺麗なところらしいし、観光の宿も出来て街おすすめのハイキングコースにも入ってるらしいから見てみたいんだってさ。
なんつーか女ってキラキラしてるものに弱いよな」
「……え、そうなんだ。そうだね。うん」
いきなり相づちが適当になったのを察したのか、ビルは不満そうに口を尖らせた。
「何だよ、人に話させといていきなり興味なくすなよ。
そりゃ、俺だって見に行くなら剣士の国際試合とかの方がいいけどさ」
興味を無くしたのではない。
ただ、どう反応すればいいか分からなかっただけだ。
正直に言った方がいいだろうか。
その一面ガラスの破片で出来た土地は、他でもない瑛人が作ったものだと。
いや、止めておこうと瑛人は首を振った。
大体、あの事件については領主から口止めされている。
それに、ビルに言ったところで信じてもらえないだろう。
杖持ちでなければ、そんな大規模な魔術は使えないからだ。
あの魔術を使えたのは、そもそも瑛人の体質による。
瑛人もまた、ロゼと同じ能力持ちの資質を持っているのだ。
瑛人の能力は、杖盗人。
魔術師からの攻撃を受けたとき、他人の魔力と杖を奪い、その力を使えるという能力だ。
危険な能力のため、人には口外しないこと、そして他人の杖を奪わないという条件でこの修練所に特待生入学している。
ただ、あの領主、人に口止めしておいて、瑛人の作ったガラスの土地を観光地化するのはおかしくないか、とは思う。
ナタリア地方の領主、ラインツはカミノ村魔術店の店長とは古い知り合いらしいが、店長もそんなことを愚痴っていた気がする。
あいつはちゃっかりしていて、おいしいところは全部持っていくタイプだ、と。
「……あーあ、俺もそんな愚痴言いたいなあって思っただけだよ」
そううそぶきながら、瑛人は鞄に服や休暇中の課題を詰め込んだ。
そして、例のワインボトルも、割れないように紙で何重にもくるんで押し込んだ。
干し草売りのレインさんの馬車に乗せてもらい、カミノ村魔術店にたどり着いたとき、なぜか瑛人はほっとしてしまった。
二ヶ月しか経っていないので当然なのだが、何も変わっていない。
沈みかけの夕日で僅かに光る青い瓦葺きの屋根に、石造りの重厚な壁。そしてランプで照らされた明るい店内が見える、連なったガラス窓。
半年だけとはいえ、異世界にいきなり召喚されて初めて過ごした家でもある。
そして、ガラス越しに瑛人の姿を見つけたのか、長い赤毛の髪をなびかせたロゼがドアベルが鳴らして飛び出してきた。
「お帰りなさい!」
「うん、ただいま」
「待ってたのよ、瑛人! ご飯、もうすぐだから」
ロゼがにっこりと笑う。
くしゃっとした、本当に嬉しそうな笑顔に、瑛人は思わずくらくらした。
これってもしかして同棲したての彼氏彼女の会話ではないだろうか。
それをまさに今、疑似体験してしまったのではないだろうか。
瑛人は夢見心地でロゼに続いて店の奥の台所へと歩いて行った。
「ああ、帰ってきたなギャンブル狂い」
「キャハハハ……ぐえ」
「ロッド、お前に笑う権利はない」
奥でインコの首を掴んでいる少年を見て、瑛人の夢は壊れた。
そうだった。同棲したての彼氏彼女の部屋には、こんな怖い兄はいない。
瑛人より数段年下に見えるが、実は結構いっているらしい。
どうしても聞き出すことはできなかったが、おそらく二十は余裕で過ぎている。
顔自体は険があるとはいえ怖くはないし、むしろ女顔の類いだ。
ただ、ヒエラルキーのてっぺんにロゼを配し、その下を全く顧みないという重度のシスコン——というより、忠誠心といったほうがいいのだろうか——のために瑛人や村の若者からは恐れられている存在だ。
ロゼにちょっかいを出していると見なされた場合、鍋でぐつぐつ煮込むという警告を受けるほか、魔石を投げられるという被害まで多発している。
そして、瑛人も今から虎の尾を踏んでしまったお詫びをしなければならない。
セトがインコの首を掴みながら、瑛人に向かって話しかけてきた。
「そもそも入学して二ヶ月で居酒屋に入り浸るってどうなんだ。
それに、カードでそこまでぼろ負けしたら面白くもないだろう」
「いやまあ、皆がやってるから俺もついつい」
「嘘つけ。
皆というが、実際は落ちこぼれがつるんで十人ぐらいってところだろう。
それとも何か?
酒場で全員参加の入学パーティーでもあったのか?」
またも先日の説教の続きという雰囲気になってきたので、瑛人は慌てて鞄から紙包みを差し出した。
「何これ?」
ようやくインコの首から手を離して受け取ったものの、胡散臭そうな顔でセトが尋ねた。
「いや、本当に、酒とかカードにロゼを巻き込んだのは悪いと思ってて。
お詫びに買ってきたんだ」
セトはますます胡散臭そうな顔をした。
「何だそれ。
詫びならロゼにするべきだろう? 」
そう言いながら、紙包みを開けていく。
そして、ワインのラベルを見た瞬間、手が止まった。
しばらく黙った後、瑛人にぽつりと尋ねる。
「これは、ロッドの差し金か?」
瑛人が頷くと、セトは首を振りながら言った。
「今年はもういらないと思ってたんだがな」
そうは言ったものの、ワインボトルを大事そうに抱えて椅子から立ち上がった。
「ありがとう。しまってくる」
エイトはぽかんと口を開けて見送った。
セトにお礼を言われたことなど、思い返してもほとんどない。
あそこまで素直に礼を言われると、逆に気味が悪くなってきた。
それに、いつもの険が消えて穏やかな顔をしていた。
確かにロッドのいうとおり、買収は成功したらしい。
ご飯の用意ができたわよ、という声が聞こえ、振り向くとロゼがエプロンで手をふきながら椅子に腰かけた。
「キャキャキャ、いい感じに収まってよかった。
晩飯に間に合うってもんだ」
インコがコップのふちにつかまって、器用に反転しながら水を飲んでいる。
「結局、あのワインは何なんだ?
セトはそんなにワインが好きなのか?」
瑛人がインコに尋ねると、横からロゼが答えた。
「セトは杖持ちよ。
お酒なんて飲まないわ。
あれは、私たちの国のワインなの。
葡萄と碇の紋章があったでしょう? 」
エイトは、一瞬雷に打たれたように痺れた。
そうだった。ロゼとセトは、この国の人ではない。
昔、政変で無くなった国から逃げてきたのだ。
それだけではない。
ロゼは、元々その国の王女で、セトは従者のような存在だったことは前に聞いて知っていた。
知っていたはずだったのに、平和でのんびりした暮らしをしているせいで、エイトはすっかり忘れてしまっていた。
つまり、エイトは世が世なら王女様と呼ばれていたであろう人に、脱衣タロットポーカーを頼んでしまったというわけだ。
そんなにショック受けなくてもいいわよ、とロゼが笑いながら言った。
「私だっていつもは忘れてるんだし。
さあ、二ヶ月ぶりに集まったのよ。
辛気臭い話はやめにして、楽しい話をしましょ?
例えば、新しい地下菜園の話とか」
明日からの作業を考えるとあまり楽しい話題でもなかったが、エイトはとりあえず聞き役に回りながら晩飯のシチューを頬張った。
セトも戻ってきた食卓は、やはり地下菜園の話でもちきりだった。
新しい地下菜園は、前よりも高山の環境により近づけるよう、温度を少し低めに設定しただとか、魔力の根源にじかに植えるのではなく、その上に土に似た成分の根源を足したりだとか、空間が外れても見失わないようにニワトリのえさをつつく音を信号として亜空間に発信できるようにしただとか、瑛人にとっては全く分からない新機能をたくさんつけたらしい。
ただ、やっぱり瑛人が思っていたように、自力で種を植える魔術なんてものは存在しなかった。
そんなものがあれば、手伝い人の瑛人が呼ばれることはないと分かってはいたが。
仕方ない、明日は一日畑仕事を頑張るか。
瑛人はシチューを最後の一滴まで飲み干して考えた。
だが、寮で思っていたよりも、そんなに嫌ではないことにも気付いていた。
もしかしたら、瑛人は暇をもてあましているより、適度に仕事があった方が落ち着くのかもしれない。
それに、この半年間で魔術店の生活にすっかり慣れてしまったのかもしれないな、と地下菜園のどの畝に何を植えるか、という議論を聞きながら瑛人は思った。




