第24話 日はまた昇る
ガラスの雨が降り続け、たっぷり十五分は過ぎた。
十重二十重に降り注いだガラスの雨が止んだとき、頭上には既に白みかけた空が現れた。
瑛人達を守っていた竜巻も消え、ロッドも発光をやめている。
さっきと変わったことと言えば、地下ダンジョンで戦っていたはずが、いつの間にかすり鉢上の谷にいるということと、辺り一面が透明の尖ったガラスの破片で覆われているということだった。
瑛人がまだ信じられずに、周りの光景を眺めていると、セトがぼそっと言った。
「私の言えた義理じゃないが……少しは加減しろよ」
「加減の方法なんて知るかよ! 全力でやっちゃったよ!」
「ああ、あと呪文を叫ぶのは悪い癖だから直せ。
最初の詠唱で結晶化魔法が来るとバレて、じいさん達が物理防御呪文を唱えてしまった。
そのせいで規模の割に致命傷を与えていない」
「せっかく助けに来てやったのに、初心者相手にダメ出しばっかりかよ!」
つっこみをしつつも、瑛人はきょろきょろと敵の姿を探す。
少し先に、レオニダス卿と部下達が横たわっていた。
物理防御呪文をかけていたとはいえ、流石に魔力が続かなかったのだろう。
全員ガラスの中に埋もれて倒れている。
背中にガラスの破片がいくつも突き刺さって血が流れているが、皆うめいていたりのたうち回っているところを見ると、まだ生きているらしい。
カラン、と音がした。
足下を見ると、ガラスの破片まみれの地面に、石のナイフが転がっている。
「そいつで殺せ。そうすれば、お前はもといた世界に帰れるんだ」
後ろからナイフを投げたセトがこともなげに言った。
「ちょっと……」
ロゼがイザベラのマントの下から顔を出し、たしなめるように言った。
瑛人はガラスが刺さって血を流しているレオニダス卿をじっと見つめた。
そして、振り向いてにやっと笑った。
「……悪いけど、やめとく」
「キャハハ、おいおい、ずっとここにいるつもりか?」
笑う黄金の杖をぽいっと放り投げ、瑛人は深呼吸をした。
地下から地上へ一気に出たせいか、空気がうまい。
もうそろそろ夜明けだ。
山の稜線が赤く光っている。
「なんか、飽きちまった。さっき大魔法をぶっぱなして、少しは気持ちがすっきりしたしな。
しかし、よく考えりゃかわいそうなじいさん達だぜ。
初代魔王を呼ぶはずが、俺みたいな名前が似てるだけの人間召喚しちまってな」
くるっと空中で一回転した杖は、いきなりいつものインコになり、ばたばたと羽ばたきながら残念そうにクチバシを捻った。
「なんだ、つまんねえ。中途半端だなあ。
じゃあいっそセトを殺しちゃって世界征服でもしてみるか?」
「冗談いうなよ」
ロゼが、おずおずと尋ねる。
「……エイトは、帰りたくないの?」
「そりゃ、元の世界には帰りたいさ。
親も心配してるだろうし、漫画の続きも気になるし、ケンタッキーも電子レンジもミキサーすらこっちにはないし。
でも、誰かの命と引き換えにするほど、俺は帰ることを望んじゃいないんだと思う」
それは間違いなく本音だ。
強い敵で残酷なレオニダス卿を倒すのに、さっきまで遠慮はいらなかった。
だが、血を流して倒れている敵にナイフでとどめを刺すなんて、英雄のすることではない、と瑛人は思うのだ。
微妙な顔をして黙っているセトに、さっきから気になっていることを尋ねてみた。
「ところで、どうして俺がロッドを使えたんだ? 確か、他人の杖は使えないはずだっただろう?」
「杖の所有者か否かは、魔力の性質で判断される。
お前の能力は杖盗人。
魔術師から攻撃を受けると、延々とその魔力を吸い取る能力だ。
最初に思いっきり殴ったときから、私の魔力を徐々に吸収し続けていたらしい。
おかげさまで地下菜園は消えるし、死にかけるしでひどい目に合った」
瑛人は驚いて自分の両手のひらを見つめた。
セトの魔力を吸い取っていたなど、全く気付かなかった。
イザベラが立ち上がり、埃を払いながらこちらへ微笑みかけた。
「ま、もう心配は無いでしょ。
あれだけの大技を出したら、エイトには魔力の欠片も残ってないわよ。
それが狙いだったんでしょ、セト?」
「まあな。発動条件は魔術師からの攻撃。
発動条件がある以上、終了条件も考えなければならない。
吸収した魔力は、袋に詰まった空気みたいにどんどん溜め込まれていく。
そこで、私の杖を渡して、魔術を使ってもらうことにした。
魔力の出口が一度できれば、袋の口が空いたようなものだ。
どうも、杖盗人の名前の通り、一度でも杖のを使ってしまえば魔力の吸収は終了するようだ。
私の体調も元に戻ってきたみたいだし」
ロゼが、ほっとした表情で言った。
「よかった……でも、解決方法が分かっていたなら、どうしてわざと捕まったりしたのよ?
心配したじゃないの!」
「エイトを召喚した正体不明の魔術師にずっと狙われたままなんて、寝覚めが悪いからな。
それに、私は村から出られない。だから相手に来てもらう必要があった」
淡々と説明するセトに、瑛人は口を尖らせた。
「そこまで分かっていたなら、俺に言ってくれてもよかったじゃないか。
俺は知らずに、あんたのこと殺しかけてたんだぞ」
「まあな、気にするな」
「いや、気になるよ! 殺されかけてた割には嫌に冷静だな」
セトが、びっくりしたように瑛人を見あげた。
「……それは違う。
終了条件は、もう一つ選択肢がある。想像はつくだろ」
「おいまさか」
「どうしようもなくなったら、お前を殺して魔力回収しようと思ってた。だから気にするな」
「何思ってんだこの野郎!」
瑛人があまりのことに啖呵を切った瞬間、空に耳障りなインコの爆笑が響いた。
「キャーキャキャキャキャ!」
不自然にすり鉢状になったガラスの平原の上から、ざりざりと音を立てて、白馬に乗った金髪の騎士が近付いてくる。
金銀の飾りが付いた鞍や、軽装ながら凝った装飾の鎧に、家柄の良さが現れている。
四十代ぐらいに見えながら、美形といってもいい顔だちだったが、今は目がつり上がり、眉間に大きな皺が寄っている。
「山の一部をガラスに変えておいて大爆笑とは、いい度胸だな」
「エイトさん! 皆さん、無事だったのですね!」
と、その隣から飛竜に乗ったキャロルも姿を現した。
飛竜は尖ったガラスを避けつつ、跳ねるように瑛人の側までやってきて、瑛人の頬をべろべろ舐めた。
正直、本当に食べられないかひやひやする。
キャロルが飛竜から飛び降り、瑛人にぎゅっと抱きついた。
「よかった、間に合わないかと思いました!」
イザベラがロゼを肘でつつきながらからかった。
「ああら? 第二夫人は積極的ねえ。地位が危ないわよ、第一夫人」
「もう、イザベラ! それは終わった話でしょ!」
瑛人が抱きつかれてあたふたしているその横で、白馬から降りた騎士は相変わらず渋い顔をして、一人座ったままでいるセトに詰め寄った。
「……とんでもないことをしてくれたな、お前……」
「ラインツ、落ち着け」
「落ち着け、だと! あれほど動くなと言っただろうが!
今までは大目にみていたが、これは中央に報告せざるをえない。
セト、許可なく大規模魔術を発動したかどで、お前をサレナタリアに連行する。
恐らく、減刑嘆願書も取り消しだ」
セトは、ふっと笑った。
「何か、勘違いをしているようだな」
「何だと?!」
嫌な予感がして、瑛人が振り向いたとたん、セトの突きつけた指が視界に入った。
「全部こいつがやりました」
「……ってやらせといてそれはねーだろ!」
瑛人が叫んだ途端、視界がぐらっと揺れた。
「あれ? なにこれ?」
立っていられない。あたりはもう太陽の光に包まれているというのに、妙な寒気がする。
瑛人は左右にふらふら揺れた後、ばたっと倒れた。
「大丈夫、エイト?」
「気分でも悪いのですか?」
ロゼやキャロルの心配する声が聞こえる。
が、意識がなくなる寸前に聞こえたのは、耳元で囁く陽気なロッドの声だった。
「ようこそ、魔力増減症の世界へ!」




