第22話 口から出任せ人質回収
輿が豪華な広間に下ろされた。
少々何かが焦げたような臭いがするが、壁には青地に金色の鳥が描かれた壁掛けが連なり、床には赤い絨毯もしいてある。
なにより、扉に対面する壁に、数段高いところに立派な椅子が置かれていた。
レオニダス卿は自慢げに言った。
「こちらが、貴方様の仮の玉座でございます」
瑛人が中央を進み、椅子に座ると、魔術師たちが並んで膝をついた。
イザベラはロゼの肩を抱いて、扉の脇に立っている。
いつでも逃げられる位置にいるのだ。
そうだ、キャロルはどうしているだろう?
きっと一人で心細いに違いない。瑛人は、手をぱんと叩いて命令した。
「キャロルを連れてくるように!」
黒服の一人が焦ったように立ち上がり、しばしお待ちを、と引き下がった。
ほどなく、その男と一緒に、キャロルが現れた。
捕らわれていたというわりに血色がよく、瑛人はほっとした。
「エイトさん!」
瑛人が何か言う前に、キャロルが走り寄ってきて、ぎゅっと抱きつかれた。
「あなたが助けに来てくれるって、ずっと信じていました!」
「あー、うん、無事でなにより」
魔術師達がいる手前、うかつなことは言えない。
瑛人は当たり障りのない言葉を探して頭を巡らせた。
だが、キャロルの方が早かった。
「本当に、貴方が初代魔王なんですか?」
他人には聞こえないよう、耳元で囁かれる。
「まさか、でも合わせて」とささやき返すと、キャロルは満面の笑みを見せた。
そうだと思いました、とキャロルは口の動きだけで言い、肩から手を離して横に立った。
何事につけても信用は大事だ。
信用というか、この老人達とも、後一時間でも話をしていたら、初代魔王のような残虐非道の暴君でないことなど、すぐ見抜かれてしまうに違いない。
よし、これで人質の一人は回収した。
だが、もう一人はもっと難しいだろう。
それに、皆揃ったとして、この人数を相手にどういうふうに脱出すればいいのだろう。
「さあ、それでは杖の儀式の間へ」レオニダスが促した。
彼はびくっと身体を震わせた。
ここで何としても人数を減らしておかなければ。
しかし、どうやって減らせばいい?
怪しまれることなく、しかし確実な方法はなんだ?
皆、熱狂的にこちらを凝視している。
立ち去れと言ったところで、正当な理由がなければ怪しまれるに違いない。
だが、何も思い浮かばない。
一生懸命考えてパニックになりかけたそのとき、瑛人のお腹がぐーっと鳴った。
そう言えば、晩飯もろくに食べずに薬を作っていた——
瑛人は、おもむろに椅子から立ち上がった。そして、声を張り上げる。
「諸君、今日は私の復活祭である!
即刻全員、街へ行き、全ての肉屋とパン屋をたたき起こせ!
贅を尽くした料理を皆で食べ、新たなる帝国の門出を祝おうではないか!」
そう言い放った途端、魔術師達から大歓声がわき起こった。
そうだ、この男たちは揃いも揃って痩せこけ、目ばかりぎらぎら光っている。
腹が減っている証拠だ。今まで、この根城に篭城しすぎて節約しっぱなしだったのだろう。
何とか、成功した。
手汗をかきながら見ている間に、広間から半分以上の魔術師が出ていった。
残ったのは、見張りを入れて十人ほど。
「全員と言ったはずだが?」
不服そうに尋ねると、レオニダス卿が平伏していった。
「我らはお尋ね者で顔が割れていますゆえ、ここから出て捕まるわけにはいきませぬ。
なに、あれだけの人数が行けば、馳走などすぐ用意できるでしょう」
いや、すぐに用意されたら困るわけだが。
とにかく、急いでセトのいる場所へ案内してもらおう。
皆がバラバラでは、逃げるのにも厄介だ。
先を行く魔術師が、暗く広い通路を松明で照らしながら歩く。
反響する足音を聞きながら、瑛人は考えていた。
確かに人数は減った。
今後ろからついて来ている敵も含めると、全員で十人。
だが、見ようによっては、小数精鋭を残してしまった。
お尋ね者になっているということは、それなりの魔術を使えるということだ。
「しかし、ご夫人方は大丈夫ですかな」
レオニダス卿が瑛人に言い、彼は慌てて考えをを中断した。
「この処刑は少々刺激が強い見世物になりますぞ?」
「大丈夫ですわ。むしろ私がやりたいくらいよ」
そう即答したのはロゼだった。言い方に険がある。
やはり、騙されたことをまだ怒っているようだ。
「そうですか、さすが皇帝陛下の選んだ夫人達ですな」と老人はからからと笑った。
大広間に入った途端、瑛人の足が止まった。
剥き出しの地面に描かれたおどろおどろしい魔法陣。
その周囲には恐竜のような骨が、中央に頭蓋骨を向けて、まるで時計の文字盤の整然と並べられている。
キャロルがぎゅっと瑛人の袖を掴んだので、それが何かは見当がついた。
キャロルの村の飛竜たちだ。
そして、広間の中央には人一人がちょうど横たわれるくらいの石の台が置かれていた。
石の上に、セトが腕を縛られて仰向きに寝かされている。
ロゼののどがひゅっと鳴るのが聞こえた。
瑛人は、恐る恐る——と見えないように、なるべく大股でゆっくりと円陣に近づき、竜の骸骨を避けて円の縁に立った。
「貴方様を召喚した魔法陣でございます。
まだ多少、魔気が残っておりますので、杖の剥奪に再利用しようかと。
杖の剥奪には魔法陣は要りませんからな。
それに、ここをご覧ください。
お気づきだとは思いますが、古代の言葉と現代の言葉は少々異なっていますゆえ、御不自由をおかけしてはと思い、言語の上書きの魔術を折り込んで……」
レオニダス卿はよほどこの吐き気のするような魔法陣を見せたかったのだろう。
よくわからないことを話し倒していたが、正直全く分からなかったので、きりのよいところで遮った。
この老人と話し合ったところで、全くの無駄だ、と今更悟ったのだ。
瑛人にとっては、キャロルの村から盗んできた飛竜を犠牲にして作られた魔方陣だ。
自慢される度、ふつふつと怒りが湧いてくる。
だがレオニダス卿にとっては、これはかけがえのない皇帝陛下を召喚できた、素晴らしい完璧なる魔方陣以外のなにものでもない。
自慢するのはある意味当然なのだろう。
しかし、こんなに反響している場所で遠慮なく話しているにも関わらず、セトは全く反応もせずに石の上で寝ている。
本当に大丈夫なのだろうか。ちらちら石舞台を気にしているところを、レオニダス卿が勘違いした。
「おお、お時間を取らせて申し訳ありませんでしたな。さあ、早速杖の剥奪の儀式を」
レオニダスは、後ろに控えた黒服の魔術師達を振り返り、勿体ぶって宣言した。
「現魔王が孵化したと聞いたとき、私は歓喜に震えた!
初代魔王の帝国崩壊から八百年、暗黒の時代を乗り越え、ついに魔術師の楽園、ヴィエタ帝国が再来すると!
だが、そうはならなかった。
現魔王は、初代魔王の杖を持ちながら、皇帝陛下に寄与すること一切なく、ただ私利私欲のために魔術を行使し、一国の王女を誘拐し、行方をくらませた。
私は深く絶望した。
故に、私は現魔王に対する憎しみを糧に、本物の魔王を召喚しようとした。
伝説の初代魔王にして、魔法文明を作り出したヴィエタ帝国の皇帝陛下を!
皇帝陛下の杖を盗んだ現魔王は行方不明だ。
索敵魔法にも対策していることは想像がつく。
だから私は、残された文献より、皇帝陛下の杖に一番近い魔力溜まり計測し、そこへ転送召喚するようにしむけた。
異世界から移送中の物体からの検索であれば、現世界の隠蔽を突破できる可能性に賭けたのだ。
そして、現魔王を見つけたのはこともあろうに小さな村の薬屋だ!
なんたる醜態!
なんたる絶望!
大いなる力を持ちながら、その力を欠片も行使することなく漫然と日々を送るとは、怠惰以外の何ものでもない!」
セトが魔術店で店長をしているのが、そんなに罪深いことなのだろうか。
半分以上の話がよく分からなかったが、瑛人は口をへの字にして聞いていた。
仮に、瑛人がずっと皇帝陛下の真似を続けていたら、否応なくヴィエタ帝国の建国に携わらないといけなくなりそうだ。
レオニダス卿の演説はますます熱を帯びてきた。
「我が望み、それは現魔王の死! そして、ここにおわします陛下による世界征服である!
これこそ、陛下召喚の意義である! 皆の者、ここから新たなる伝説が始まる!
しかと見届けよ!」
そう言いながら、老人は懐から鋭利な石のナイフを取出し、瑛人に捧げ渡した。
彼は今までになく動揺した。
なんとか、先ほどまではごまかせた。
だが、杖の剥奪の儀式がどういうものかなど、これっぽっちも知らない。
このナイフは、どうやって使うんだろうか。
いや、最終的には刺すんだろうが、そこに至る過程が全く分からない。
分からないままに、魔法陣中央にある石の祭壇へと、ゆっくり近づいた。
祭壇の脇に立って、祈るようにセトの顔を眺めたが、やはり両目とも閉じられている。
こんな大変なときに一人気持ちよく寝ているように見えて段々腹が立ってきた。
一体ここからどうすれば……
「皇帝陛下? どうなされたのです?」
後ろから老人の声が聞こえる。
絶体絶命だ。
そのときレオニダス卿が、ぽんと手を打った。
「ああ、我らについてはご心配なく。
この感動的な場面に立ち会えるとは光栄です。
こんな……賢者しか知らない秘術を、目の当たりにできる日が来ようとは!」
誰もお前たち犯罪者が血に弱いだなんて思ってないよ!
瑛人は心のなかで叫んだ。
だが、今一筋の光が見えた。
レオニダス卿は、石のナイフが必要なことや、祭壇がいることは知っていた。
けれども、この杖の剥奪は賢者以外誰も知らない秘術。
賢者が何なのかはよく知らないが、適当な動きをしたところで、ここにいる誰にも分からないのだ。
そうと分かると、途端に元気が出てきた。
瑛人は石のナイフを振り上げ、ゆっくり八の字を描くように回した。
ついでに、魔術っぽい言葉を大声で唱え始めた。
「スイヘイリーベボクノフネ……ギオンショウジャノカネノコエ……ダイコクゴクラクダイトッカ……エターナルフォースブリザード!!」
適当な呪文に合わせて、瑛人は石のナイフをセトに向かって振り下ろす。
魔術師たちは、羨望の眼差しで見つめ、ロゼは思わず顔を背けた。
キャロルは口に手をあてて悲鳴を抑え、イザベラは案外平気そうな顔をして見ていた。
血は出なかった。
瑛人の狙いどおり、セトの腕を縛っていた縄が切れた。
よし。
そう思った途端、セトの目がかっと開き、瑛人の横っ腹にいいパンチが突き刺さった。
うぎゅ、というカエルのような声をあげ、瑛人の体は綺麗な弧を描いてふっとび、壁際に尻餅をついて転がった。
ロゼとキャロルが慌てて助け起こしに走る。
レオニダス卿や黒服の魔術師達が目を見開いて呆気にとられている間に、セトが石舞台から一足飛びに降り、瑛人の方へ走り寄った。
瑛人は思わず叫んでしまった。
「今のはひどいだろ! 助けに来たのに殴るなよ!」
が、逆に襟首を掴まれてがたがたと揺さぶられた。
顔は青白いままだが、心配した以上に元気だ。
「どうしてロゼを連れてきた! いったい何のために隔離したと思ってるんだ!
というか、なんでこんなに人数揃ってるんだ! ピクニックにでも来たつもりか!」
「それは仕方なかったんだって! ロゼも行くって聞かないしさ!」
「ロゼもロゼだ! 一度くらいは私の言うことを聞いてくれ!」
「だって、心配だったんだもん!
セトだって病気なのに一人で動くし、何も教えてくれないし、おまけに騙してくるし!」
「あらあ、元気そうでなによりだわ、セト」
「なんでまたイザベラまで……頭が痛くて死にそうだ」
「あの、エイトさん。
私さっきから気になっていたんですが、この人のマントの中裸みたいな服ですけど、寒くないんでしょうか?」
各人が勝手に喋り、大騒ぎになっているのを前に、レオニダス卿は呆けた顔をやめた。
「……これは、どういうことですかな、皇帝陛下?」
「……えーっと」
言い訳はもう効かない。
万策尽きた、といったほうが正解だ。
杖持ちの精鋭十人に囲まれた、山野四人と魔力が無くなった杖持ち一人。
勝敗は目に見えている。




