第17話 サレナタリアの逃走劇
瑛人は職業紹介所のどの列にならぼうかと窓口を確認していた。
仕事を紹介してもらったのは最初の一回だけなので、真剣に職を探している人に紛れ込むのも悪い気がしたが、キャロルに会うにはこれが一番手っ取り早い。
今日も荷馬車に乗せてもらって、三人で街まで来たのだが、ロゼとロッドはそれぞれ医者の手伝いと怪しげな野暮用で行ってしまった。
彼は、キャロルを昼休みに捕まえて、ジュートがどうなったのかや、何か手伝えることがあるか聞こうと思い、こうして紹介所までやってきたのだ。
だが、いつも彼女がいる窓口には、黒髪のおばさんが座っている。
瑛人は首を傾げた。
今日は飛竜を探すために休みでもとったのだろうか。
と、襟首を乱暴に引っ張られた。
「何だ?」
驚いて振り向くと、そこにはキャロルと会った初日に喧嘩になりそうになった、あのヒゲの商人が立っていた。
相変わらず目をむいて怒っている。
「おい! お前が何かしでかしたせいで、キャロルちゃんが行方不明になってるんじゃないだろうな?」
そう言われて、瑛人は驚いて聞き返した。
「行方不明? いつから?」
「今朝、役所の人間が出勤してこないキャロルちゃんを心配して見に行ったらしい。
そうしたら、部屋がもぬけの殻だったそうだ。
昨日、午後から休みを取って急いでどこかへ行ってしまってから、寮に帰っていないようなんだ!
そんなことをする娘じゃないんだよ! あんたが誘拐したんじゃないだろうな!」
ほとんど決定事項のように決めつけられ、瑛人は慌てた。
「いや、俺もわからない、本当だよ!」
「お前と一緒に馬車に乗っていたのを見た奴がいるんだぞ!
それでもしらを切る気か!」
「一緒に馬車に乗っただけで誘拐犯にされちゃ、何も出来やしないじゃないか!」
瑛人は冷や汗をかきながら答えた。
この場にロゼがいたら、一発で嘘とばれるに違いない。
しかし、キャロルが帰っていないのは気掛かりだった。
確かに他の飛竜を探しに行くと行っていたが、流石に夜はサレナタリアに戻るはずだ。
ジュートは今まで見つからなかったことだし、山の茂みにでも繋いでおけばいい。
夜になっても戻らなかったのは、何か理由があるはずだ。
例えば……と考えたところで、瑛人はぞっとした。
本当に飛竜を見つけてしまった。
それも、飛竜泥棒と一緒に。
その可能性が一番高い。
「だが、一番最後にキャロルちゃんが会ったのはお前なんだぞ!
お前が疑われるのが一番筋が通っているじゃねえか!」
「そんなの知らねーよ!」
商人を突き放し、瑛人は強引に人混みに紛れて歩き去ろうとした。
だが、瑛人の心は知らないどころではなく、知りすぎていて重かった。
いくら一人しか乗れないとはいえ、キャロルだけで他の飛竜達を探しに行かせるのではなかった。
後悔したが、もう遅い。
あの商人に訳を話して、キャロルを探すのを手伝ってもらおうか?
いや、そんなことをすればせっかく秘密にしていた飛竜のことが広まってしまう。
瑛人と魔術店の人間だけで探すしかない。
セトに頼めば、案外人探しの術で探し出せたりするかもしれない。
だがそれには一旦カミノ村まで戻らなければ。
レインさんが藁を売り払って帰るのは夕方だ。
それまでは、街でキャロルを見たかどうか聞き歩くしかない。
どのあたりから聞き込みしようかと、あたりを見回したそのとき、さっきの商人が視界の隅で誰かと話しているのが見えた。
「ええ、あいつです。最後にキャロルちゃんと会っていたのは。
怪しい奴です、あいつが何か知っているに違いない!」
商人の隣で紺色の制服の憲兵がこちらを睨んでいる。
瑛人は慌てて走り出した。
「あ、逃げた!」という声が後ろからとんできて、ますます本気で走りはじめた。
捕まったら最後、召喚から飛竜の違法飼育まであらゆる面で都合が悪い。
「こら、まて!」
憲兵がどなり、人々がざわつく。
瑛人は人込みを押し分けて細い小道に入り、縦横に逃げ回った。
しかし、憲兵はどんどん瑛人との距離を縮めていく。
元々、体力も土地勘も向こうの方が上なのだ。
夢中で走り込んだ人気のない小さな路地で、瑛人は途方にくれて立ち止まった。
両脇には三階建ての建物、目の前には汚い窓が連なった土壁が立ちふさがっている。
しまった、と思ったがもう遅い。
彼は袋小路に入り込んでいた。
「観念して、署まで来てもらおう!」
息を切らして叫ぶ憲兵が、じりじりと近づいてきた。
街中でこれは使いたくなかったが、仕方ない。
瑛人は無言で銃を取出し、撃鉄を起こした。
「なんだ、それは!」
憲兵が怯んだ隙に、きちんと右のポケットからメモを抜き出し、呪文を唱えた。
「レナ・アカルダ・アクア・ナスタ!」
引き金を引いた瞬間、銃の先から青色の閃光がほとばしる。
そのとき、瑛人も考えていないほどのことが起きた。
爆音と共に、銃の先から、恐ろしい勢いで水が吹き出したのだ。
兵から僅かに外れたその水流は、その勢いから出る爆風だけで憲兵を地面に薙ぎ倒した。
そして、気づいたときにはもう、自分の体は空中を舞っていた。
それでも銃を離さなかったのは奇跡に近かった。
どしゃ、と尻餅をついたのは、オレンジ色の瓦屋根の上だった。
水圧で三階建ての家の上まで吹き飛ばされたのだ。
まさか、水石銃にこんな威力があるとは。
尻が痛いが、早くここから逃げ出さなくては。
彼は転がりながら起き上がると、屋根伝いにまた逃げはじめた。
兵も屋根の上まではもう追って来れないようだった。
水石銃を持っていると知って、諦めたのかもしれない。
瑛人は、ある程度屋根の上を逃げてから、人気のない路地を探した。
そして家の外に取り付けられた煙突掃除用であろう梯子で、ゆっくりと降りてきた。
やっと地面にたどり着き、きょろきょろと見回す。
誰にも見咎められなかった。
深呼吸をして息を整えたとたん、頭を鈎爪でめしっと掴まれた。
「いたたた! ロッド! 何するんだ!」
反射的に叫んで、手で極彩色のインコを振り払った。
「目を離した隙に他人の家の屋根に上るなんて、何やってんだお前は。
まあ、見つけやすかったから助かったが」
瑛人は驚いた。
インコの口からは、いつものしゃがれ声ではなく、金属管を通って伝わってきたような声が聞こえたからだ。
しかし、よく考えてみると聞き覚えがある。
「ひょっとして、セトなのか?」
「ああ、今はロッドと精神を共有して話している。ちょっとした非常事態だからな」
非常事態というわりに、インコは落ち着いた口調でそう告げた。
「そうなんだよ! キャロルがいなくなって、俺が誘拐したことにされててさ!
今憲兵に追われて逃げてきたんだよ!」
「それがどうした。多分、あの金髪は他の飛竜を諦めて西に帰ったんだろ? それとは別件だ」
重要なことをさらっと流されて、瑛人はむくれた。
「ふん、キャロルや俺のことなんか、眼中にないんだな!
こっちも非常事態なんだよ!」
「わかった、この件が上手くいったら、あの金髪を探す手助けをしてやるから。
とにかく、時間がないんだ」
あれだけ彼女のことを嫌っていたくせに、意外にあっさりと折れたので、瑛人は驚いた。
これは本当に、急ぎの用があるらしい。
「何か書くものは? お前の得意な言語でいい、今から言うことを一語一句漏らさず書け」
そう言われて、瑛人はしぶしぶポケットから呪文を書いた紙を取出した。
しかし、ペンとインクがない。
「ペンとインクがないんだけど」
「目の前にあるだろ」
そういうと、インコはためらいもなく自分の羽を嘴で抜き、先の形を鋭く整え、仕上げとばかりに自分の体に突き刺した。
どん引きしながら、瑛人は差し出された羽根ペンをうけとった。
材料だったのはは分かるが、生きた鳥を羽根ペンの材料として見たことなど一度もない。
血をインク替わりにするに至っては考えの遠く及ばないところだ。
「いいか、いくぞ。
まずレナントの精霊水、呪いの黒水、魔力の根源それぞれ金貨一枚と同量、混ぜて蒸留機械にかけて一昼夜。
充満したミスレナント、乾燥させたプランの果実、それぞれ金貨三十枚同量混ぜ合わせて圧縮機へ……」
口述は長く、瑛人は意味がわからないままにそれを書き留めた。
それから五分近くしゃべり続け、そろそろ紙が一杯になってきたと心配しだした頃、やっとインコが以上、と言った。
「今からすぐにロゼを呼んで、その薬を二人で完成させるんだ。
大至急と伝えてくれ。作るまでに昼夜三日はかかる。
お前もできるだけ協力しろ。
製作にはイザベラの家を使わせてもらってくれ。
ほとんどの材料も器具も、あいつの家にしかない」
一方的に話し続けるセトを前に、瑛人は少し不安になって聞いた。
「この薬、何に効くんだ? どうして、俺やロゼに頼むんだよ?」
「これは魔力増減症を弱める薬だ。あと、この魔術はもうすぐ切れる。
ロッドもしばらく別行動するが、あまり心配するな」
「まさかあんたが病気なんじゃ……」
「じゃあよろしく頼む」
そこまで言うと、インコは口を閉じ、目をぱちくりさせた。
そして、聞き慣れたしゃがれ声で面倒臭そうに喋った。
「ああ~、疲れた! 精神共有は疲れるんだよな。
後な、羽根をペンに使うのはまあいいとしてだ。
補充の度に俺を毎回ぶっさすんじゃねーよ!
こっちはインク壺じゃねーんだよ!
これでも痛いんだよ!」
「ああ、ごめん。なんか、そういう使い方もあるんだと思って」
全く、とロッドはぶちぶち文句を言ったが、瑛人は聞いていなかった。
今の話が唐突すぎて、いまいち理解できなかったからだ。
「魔力増減症ってどういう病気なんだ?
セトがかかってるみたいだけど、そんなにひどいのか?」
「魔術師のかかる風邪みたいなもんよ。要は魔力の使いすぎだ。
普通は寝てれば数日で治るが、今回のは能力持ちの呪いって奴だからな。
おそらく魔力が底をつくまで無意識に魔力を吸収し続ける。
杖ももてない普通の人間に戻るだけならまだいい。
でも、あいつは特別だ。増減症にかかると命に関わる」
「どうして?」
「奴の心臓は魔力で動いてる。最悪、死ぬってことだ」
「おおごとじゃないか!」
「まあな」
ロッドは羽根を広げ、苦々しげに言った。
「だからよ、俺もおそらく用が済み次第、少しの間消えるぜ。
魔力を温存する必要があるからな。
くれぐれもそのメモ忘れるなよ、じゃあ嬢ちゃんによろしくな!」
言うなり、インコはばさばさと飛び立っていった。
いつものように冗談や皮肉の混じらないロッドは、より緊迫した雰囲気を周りに残していった。
瑛人は、慌ててロゼのいる医者の家を探しに、危険を顧みず中央広場当たりの小さな通りに戻ってきた。
幸運なことに、憲兵やあの商人の姿は見えない。
いかにも暇そうに外の階段でしゃべっているばあさん連中に聞くと、医者の家は案外すぐに見つかった。
赤毛の医者見習いは、この街でも気が回ると人気らしい。
中央広場から少し離れた通りにある医者の家の扉を開けるなり、いらっしゃい、と陽気な声とともに魔女帽子姿のロゼが出迎えた。
「……何が起こったの?」
目を合わせた瞬間、ロゼはそこに映った不安を読み取ったようだ。
「セトが、……なんだっけ、魔力増減症に効く薬を作ってほしいってさ」
「どうして私たちに頼むのかしら………!」
言いかけて、先が読めたらしい。
「ごめんなさい、先生! 今日早く上がるわ!」
叫んで、慌ただしく診察室に入り、バスケットを取ってくる。
「どうしたんだい?」
山羊鬚のひ弱そうな白髪の医者の顔が診察室から顔を出した。
「帰らなくちゃ、セトが大変みたいなの!」
それからの行動は早かった。
おそらく、瑛人よりロゼのほうが、事の深刻さが分かっているらしい。
馬車屋で二頭立ての御者つき箱馬車を借り、馬屋に金を握らせてレインさんに先に帰ると伝言させるのに、ものの十五分もかからなかった。
「思いっきり走らせて!」
御者にそう言うと、ロゼは席に座り、手で突っ張った。
何の合図もなく馬車が走り出し、瑛人はバランスを崩して椅子から転げ落ちた。
「ごめんね! でも急いでるの! 箱馬車だから、席から落ちても平気でしょ!」
彼女が車輪の音に負けないように大声で言った。
落ちたら痛いし全く平気ではない。
しかも上下左右にひどく揺らされているので座りなおすのにも時間がかかった。
瑛人はそんなに乗り物に弱いわけでもないが、あまりに揺れるので頭がくらくらし始め、終始下を向いていた。
そんなわけで、疾走する馬と馬車が峠ですれ違った。
が、杖を盗られた魔術師も、盗った能力持ちも、相手に気づかなかった。
馬車はつんのめるようにして魔術店の前に停まった。
瑛人はよろよろと馬車から降りた。
その横で身軽に飛び降りたロゼは、釣りはいらないわ、と男前なことを言ってぽんと銀貨数枚を御者に渡し、家に走り込んだ。
それを追って瑛人も慌てて店に入った。
店の扉には開店中の札が掛かっていたにもかかわらず、カウンターには誰の気配もない。
それに、通路にディスプレイの甲冑がばらばらになって転がっているのが気になった。
「エイト、来て!」
二階から短い声が聞こえ、瑛人は走って階段を上った。
瑛人の部屋のドアが空いている。
見ると、寝室の床に、セトが横向きで倒れていた。
「ねえ、セト、起きてよ!」
ロゼが肩をゆすりながら必死で話しかけている。
しかし、セトは全く起きる気配がなかった。
瑛人は近づいて顔を覗き込んだ。
ベッドにたどり着くまでにうっかり寝てしまったというような無邪気な顔で、何の苦痛もなさそうだった。
しかし、手を取ってみるとひどく冷たい。
「エイト、セトをベッドまで運んでくれる? 私は魔石で湯たんぽを作ってくるわ」
そう言い置いて、ロゼは駆け足で部屋から出ていった。
彼はそれを見送り、ぐっすり眠っているセトの腕を持ち上げ、自分の首にかけた。
体がぞっとするほど冷たいが、息はしっかりとしていて、少しほっとする。
そのままずるずると足を引きずって、ベッドにたどり着き、よいしょ、と下ろすと仰向けに寝かせた。
結構な衝撃だったはずだが、彼は目覚める気配もない。
ブーツを脱がせて布団をかけたあと、セトの襟元が相変わらずぎちぎちに留められているのに気づいた。
上着くらい脱がせなければ。そう思い、詰め襟を緩めたとき、指に金属の堅い感触がし、不意に彼は不安になった。
戦時中、魔術師は首に金属を入れていたという話を思い出したからだ。
この世界は、一見平和で地味に見えている。
しかし、知らないところで何かとんでもない戦いが起こっているのだろうか?
だが、襟をあけたとき、その予想は意外な形で裏切られた。
円と直線で描かれた不思議な文字が一面に描かれている銀色の金属板が目に入り、瑛人は息をのんで固まった。
隷属の首輪が、いやに冷たい光を放ちながら、セトの首にしっかりと巻きついていた。




