第16話 招かれざる客
魔術店の裏に面した軒先に、乾燥させたトリデンタータ草をすだれのように括って吊し、セトは満足げに出来栄えを眺めた。
収穫は終了。
後は、煮込んだ薬草をつめた樽を一週に一度ひっくり返したり、粉にした薬を配合する加工作業が待っている。
それにしても、今年は夏が早く終わってしまった気がする。
収穫が終わる頃には例年涼しくなるが、最近は特に冷え込んできた。
今でも涼しいを通り越して寒いぐらいだ。
セトは伸びをしながら家をぐるっと半周し、玄関の看板を「開店中」にひっくり返し、店に入った。
今日は朝早くから三人ともサレナタリアに行ってしまい、久々に一人だ。
収穫だの煮込みだののどたばたも終わり、やっと静かな日々が戻ってきた。
いや、まだだ。召喚事故はまだ解決していない。
カウンターに置かれている細い巻物を見て、彼は暗澹たる気持ちになった。
それにしてもエイトはお人好しだ。
自分も大概なことに巻き込まれているくせに、あの金髪の面倒まで抱え込む気だろうか。
飛竜探しを諦めた後も、今に東部まで付いていくなんて言い出しかねない。
カウンターに置かれた丸椅子に腰掛けると、巻物をくるくると解いていく。
今朝、サレナタリアの伝書鳩で届いた手紙だ。
『RからSへ。
お前の先の仮説は興味深い。
例の《鳥》ならば、十匹で例の術に事足りるという話だ。
連盟にも問い合わせたが、首謀者の見当はつかないらしい。
もしくは責任逃れでしらばっくれているかもな。
だが、百人の命が助かっているならばありがたい。
これからは、サーカスに的を絞る。
奴らは資金難で解散したと、馬車を買い取った馬車屋からの証言。
また、サーカスの獣のためにと街で大量のくず肉を買ったことも確認した。
追い詰めるのもすでに時間の問題だ。
くれぐれもそこから動くなよ』
セトは最後の言葉でまたいらついた。
ラインツにしてはよく調べた方だが、人をここまで信用していないのはいただけない。
誰かに盗られることも見込んで、肝心なことは書かないようにしてあるのと相まって、まるで馬鹿にされている気分になってくる。
エイトにはああ言ったが、実際セトは召喚主が人道的だなんてこれっぽっちも思っていない。
違法飼育された飛竜ならば、人間百人を捕らえるより遙かに楽だ。
なにより足がつきにくく、憲兵にも追われない。
扱いの難しい飛竜でも、召喚もこなせるような魔術師ならば、高度なドラゴンテイマーの仲間がいても不思議ではない。
大体召喚なんぞするような連中が人道的であったためしはないのだ。
しかし、さぞ大規模で繊細な魔術式には違いない。
地下菜園の構造式よりもっと巨大で、複雑な円陣を描くスペースが必要だ。
そこまで考え、セトはにわかに落ち込んだ。地下菜園がなくなってしまったのは痛手だった。
七年前から少しずつ山から薬草を移植したり、魔力の根源の配合を地面とほぼ同じにしようと苦心したり、あの菜園には膨大な努力と時間を注ぎ込んだのだ。
新しく構築しなければどうしようもないだろうということは分かってる。
だが、何とかしてニワトリだけでも戻ってこないだろうか。
そんなとりとめのないことを考えていると、突然彼の考えを鋭いドアベルの音が遮った。
ひょろ長い優男が、ずかずかと汚い靴で店に入ってくると、カウンターの前でわめいた。
「おい、森の魔女はいるか!」
無遠慮な声に、セトは機嫌を損ねた。
大体、家を間違えておいてその言いぐさは何だ。
森の魔女がらみの客に、まともな客は少ない。
訳あって名前を出せない高名な貴族、すねに傷もつ者、いかがわしい呪術が入り用な者。
つまり、街や連盟指定の魔術店では到底買えないような品を売るからこそ、彼女は『森の魔女』として君臨しているのだ。
「森の魔女の家はこの先だ。だが今はいない」
「ああ? 森の魔女がいねえってどういうことだよ!
すぐに会わなくちゃならねえってのに!」
「森の魔女は今交易で王都に行ってる。帰ってくるのは半月ほど先だ」
「そんなに待ってられるか! こっちは死活問題なんだよ!
こうなったら、もうこの店でいい! 頼む、なんとかしてくれ!」
必死の形相で頼む男を前に、セトは容赦なく答えた。
「この店には安い常備薬とちょっとした魔道具しか置いてない。
イザベラ……森の魔女のようなオーダーメードの劇薬や怪しげな呪術は専門外だ。
法すれすれのキナ臭い依頼もな。
ああ、半月待っても聞いてもらえるとは限らないぞ。
イザベラは基本、金貨三枚からの依頼しか受けないからな」
男は今までの気勢はどこへやら、カウンターの前でがっくりと膝をついた。
「そんな金どこにあるっていうんだ……俺は、魔力増減症で杖も出せないっていうのに!」
「魔力増減症? なんだ、そんなことか」
魔力増減症は、魔術師であれば、多かれ少なかれ誰しもが経験することだ。
自分の魔力容量ぎりぎりの大きな魔術を使ったときや、急激に魔力が変動した場合、気分が悪くなったり、眠くてたまらなくなったり、一時的に魔術が使えなくなったりする。
もっとも、魔力は日々体内で生成されるので、しばらく静養すれば問題なく回復する。
魔術師風邪とも言われる、よくある症状なのだ。
「違うんだよ!
俺だって、最初は寝てりゃ治ると思っていたさ!
でも、日が経っても魔力が弱まるばっかりで……今じゃ、山野の能力持ちの方がまだ魔力を持ってる。
完全に普通の人間になっちまってるんだよ!」
セトの呆れた眼差しに反抗して、魔術師は訴えた。
その目からはぼろぼろ涙があふれ出している。
滑稽を通り越して、少し同情も湧いてきた。
そして、妙な症状に対する興味も。
「一体、何が原因でそんなことになった?
心当たりはあるか?」
魔術師は、涙を流しながら、歯をぎりぎり食いしばり、怒りの形相で言った。
「……あるさ。妙な能力持ちに当たったんだ。
魔力増減症になったのは、そいつと戦ってからさ。
そいつは、俺の杖を取り上げやがったんだ!」
「取り上げられた?
それなら、一旦杖を解除して再出現させればいいだけだろう?」
「それが出来なかったから苦しんでるんじゃねーか!」
魔術師の杖。それは魔術師の精神の一部でもある。
取り替えはきかず、もちろん取り上げることも出来ないはずなのだ。
一部の例外を除いては。
「そいつが双子の片割れだったりはしないよな?」
一卵性の双子なら魔力の質はほぼ同じ。
杖が持ち替え可能という例は報告されている。
「あんなのと俺が双子の訳がないだろう!」
逆ギレのように返された。
「ある組織に依頼されたんだ。最初は、簡単な依頼だと思ったんだよ!
あそこに女連れで歩いてる奴がいる。
ちょっと仲間と行って金でもせびり、女の前で格好悪いところを見せてやってほしいって言うからさ、引き受けたよ。
今思うと安いギャラだったな。
で、そいつと戦ってこのざまだ!」
セトは目を細めた。組織に依頼された、とこの男は言った。
サレナタリアで危険な組織と言われているものは、意外に多い。
もちろん表だっては動かないし、一般の目に触れることも少ないが、魔術師連盟に所属していても、そちらが本業だというごろつきもいる。
この男も、知らずにその組織間の抗争に巻き込まれのかもしれない。
「とりあえず、組織の名前を教えてもらおう」
「この世には守秘義務ってものがあるんだよ」
とてもじゃないが守ってそうにもない人相の男にそう言われ、セトは考え込んだ。
「それじゃ、どんな対抗組織が差し向けたのかはわからんな。じゃ、治すのは諦めてくれ」
そう言うと、男はにわかに慌てた。
「待て待て! そう話を急ぐんじゃない。いや、対抗組織なんぞありそうにないんだ。
俺に依頼してきた組織は……『キャロルちゃんの笑顔を守る会』だ!」
何言ってるんだこいつは、という意味の沈黙が、魔術店に充満した。
「いや、嘘じゃねえよ!
その会の会長が依頼人だ。
キャロルちゃんに抜け駆けして近づく男がいるから、成敗してこいって言ったんだよ!」
もう話を聞くだけで頭痛がしてきた。
あの金髪は、知らず知らずのうちにどれだけ人に迷惑を振りまくんだ。
そして、キャロルと会っていたその男というのも、大体の見当はつく。
「……その、戦った奴ってのはどんな顔だ?」
男は目を細めた。
「あんまり、特徴はなかったな。茶色い巻き毛で、普通の遊び人みたいに見えた。
魔術師みたいな長い上着を着ていたが、衿を開けていたしな。
俺も油断した。
だが、俺が杖を盗られた後、相棒が頑張ってくれてよ、もう少しで追い詰めるところまでいったんだ。
でもな、いきなりそいつの仲間が飛び出てきて……妙な武器を持ってた。
杖も出さずに呪文を唱えるだけで目潰しにかかり、逃げられたんだ。
仲間は女で魔女帽をかぶっていてな。顔は黄色い眼鏡でよくみえなかった」
「……そうか」
興味がなさそうなふりを装って、セトは相づちを打った。
今の話からいって、ロゼの雷石銃に違いない。
エイトめ、危ない路地裏に入って助けられているとはどういうことだ。
だから、山へ行くときに奴は雷石銃の威力を知っていたのだ。まんまと騙された。
「そうだ、思い出した! あいつ、『エイト』と呼ばれていたぞ!」
目を輝かせて、どうだ、といわんばかりに男は新情報を出した。
だが、セトはカウンターに肘を付き、面倒臭そうに対応した。
「ふーん。まあ、名前が分かったところで、依頼が依頼だし、いくら杖を盗まれたと騒いでも憲兵にも魔術師連盟にも相手にされなさそうだな」
「だから民間の魔女を頼って来たんだよ!
ここも一応魔術店だろ?
何か、魔力増減症が治る薬とか、杖を取り戻す方法とか、ないのか?」
「……魔力増減症が治る薬なんてないに決まっているだろう。数日すれば勝手に治るのに」
ばん、と男はカウンターを叩いて、キンキン声で叫んだ。
「だから、治らねーんだよ!
もういい! 手伝い人に話した俺が馬鹿だった!
さっさと店主を呼んでこい!」
「店主? 店主は私だが」
「そんな訳あるかこのくそガキ!
早く連れてこいっつってんだろうが!」
頭の中で、ぷちっと何かが切れた。
このごろつきには、早々にお帰り願おう。
セトは早口で神聖ヴィエタ語の呪文を唱えた。
『目覚めよ、そして為すべきことを為せ。
虚ろなる騎士、焦土より生まれた傀儡、汝に課された命を全うせよ』
そう唱えるがいなや、金属の震える音がした。
店の玄関脇に飾ってある女性用の真っ赤なフルプレートが、ガシャガシャと音を立ててやってきて、何が起こったか分からず戸惑っている男の襟首を掴んだ。
そして、男が暴れるにも構わず、猫かなにかのようにぶら下げて玄関から出ていく。
その後、ぽいっとごみを捨てるように放り出した。
男はまた何か喚いたいたが、甲冑がまた近寄ろうとすると、悲鳴を上げて馬にまたがり、一目散に走り去った。
セトは大きな窓を通して、満足げに甲冑の動きの出来を眺めていた。
この甲冑にかけた魔法も、古代の魔術書を解読して作り上げたものだ。
意に沿わぬ者が店に来た場合、穏便に追い出すよう自動化させている。
稼動させることはめったにないが、たまにはメンテナンスもかねて確認しておくべきだろう。
特に、失礼な客が来た場合には。
甲冑はしばらく玄関に陣取っていたが、一定時間がたち、戻ってくる危険がないことを確認するとがしゃがしゃと元の位置に戻ろうとした。
そのときーーその甲冑の頭がぽろっと取れた。
彼は目を見張り、凍り付いたように動けなくなった。
うるさい金属音を立てながら、肩や胸のプレートが落ちた。
元に戻ろうと手足が胴体を探して這い回っていたが、しばらくすると動くのを止め、ついに、ただの脱ぎ散らかした甲冑の山になってしまった。
そんな馬鹿な。地下菜園だけでなく、フルプレートさえ操れなくなっている。
と、今更ながらあの男の言葉が浮かんできた。
(妙な能力持ちに当たったんだ。
魔力増減症になったのは、そいつと戦ってからさ。
そいつは、俺の杖を取り上げやがったんだ!)
そんな馬鹿なことがあってたまるか。
うちの頼りないあのバイトは、本気で何かとんでもない力を持っているのだろうか。
たとえば、回りの魔術師から魔力をごっそり奪い取るような。
セトは走って二階に上がり、エイトの部屋の本棚から、古い革表紙の本を取出した。
本の題名は『恐るべき山野の能力持ち』。
ぺらぺらとめくり、貪るように該当の項を読んだ。
指先が寒さでかじかんでくる。
なのに、身体からはじっとりと冷や汗が出てきた。
『ロッドスティーラー。別名、杖盗人。
該当例は極めて少なく、基本的に弱い力のため具体的な研究結果は、古代書《赤い竜》に書かれた一例のみである。
魔術師に悪意ある攻撃を受けた場合、その魔術師の魔力を吸収して攻撃を弱めることができる。
また、魔術師から微量の魔力を奪うことで、その杖を使用することができる。
しかし、一度使用してしまうと、杖の所有権は元の魔術師に戻る』
『恐るべき山野の能力持ち』というわりに、どうでもいい能力についても詳しく解説してある良本だ、と今までセトは思っていた。
しかし、エイトの能力はここに書かれている比ではない。
どこが微量の魔力を奪う、だ。
微量どころか、根こそぎ持っていかれている。
エイトが召喚されたとき、思わず先手必勝で杖で殴打した。
いや、あの状況ではそうするべきだと信じて疑わなかった。
そのせいで、奴はセトの魔力を、日々緩やかに吸い取り続けていたらしい。
一切の悪意も、一切の自覚もなく。
それと同時に、分かったことがある。
エイトは事故でカミノ村の魔術店に落ちてきた訳ではない。
魔気が綺麗に掃除されていた件にも説明がつく。セトに、召喚主の居所を探られたくないからだ。
召喚された目的は、たった一つに絞られた。
この、カミノ村魔術店店長、セト・フェニックスの死だ。




