第14話 初代魔王の杖
果たしてロゼの怒りは収まっているのだろうか。
むしろ、兄妹喧嘩が悪化していたらどうしよう。
そもそも、ロゼはあのタイミングでどうしてぶち切れたんだろう。
そんなことを考えながら、瑛人はなるべくゆっくりゆっくり歩いて魔術店まで戻ってきた。
しかし、ゆっくり歩いても絶対いつかは着いてしまうものだ。
瑛人はすでに魔術店の扉の前にいた。
扉を開けようか、それとももう少しぶらぶらして嵐が確実に収まるのを待つべきか考えたが、腹の虫が鳴り、考えることも面倒になった。
ドアベルの音がしないようにそっとドアを開けたつもりだったが、少しだけ、ちりんとなってしまった。
と、店の奥から真っ赤な赤毛の少女が飛び出してきた。
「お帰りなさい! 遅かったわね!」
瑛人はその明るさにびっくりした。
さっきの泣きながら走って行ったロゼはどこに行ってしまったのだろう。
まるで別人だ。
瑛人の心を読んだようで、ロゼは照れくさそうに笑った。
「……さっきはごめんなさい。キャロルさんも驚いちゃったでしょうね。
もう大丈夫よ、セトとも仲直りしたし」
そう言うと、くるっと身を翻して台所に消えていった。
妹と口喧嘩して仲直りする初代魔王。
字面だけで考えると、とても想像できない。
台所から彼女の声が聞こえる。
「エイト、もうすぐご飯だから手を洗ってきてね」
いつものご飯前の光景だ。今までと違うのは、瑛人が知ってしまったという事実だけだ。
それだけで、普通に振る舞うことがこんなに難しいのだろうか。
瑛人は機械的に水場に入り、暗唱して魔石から水を出し、手を洗った。
そういえば、この魔石もキャロルに王侯貴族かと笑われた。
王侯貴族どころではない。初代魔王は古代の皇帝だ。
魔石なんていくらでも持っているのだろう。
意を決して台所に入ると、そこにはいつもと変わらない光景が広がっていた。
ロゼがかいがいしく皿を出し、インコ改め『初代魔王の杖』は定位置の椅子の背で羽繕いをしている。
セトは石窯から料理用の手鍋を取り出していた。
……もとい、いそいそと遅めの昼食の準備をしている初代魔王。
ロゼが手鍋の中をのぞき込み、声を上げた。
「わあ、これってティルキアンキャセロール? おいしそう!」
「いや、ティルキアンキャセロールもどきの何かだ。ここじゃ材料がない」
「そうね、エビもカニもないのに、どうやって作ったの?」
「代わりにベーコンをぶち込んだ。味は正解だとは思うが、やっぱりもどきだろうな」
……何だか洒落た名前の飯を作るだけではなく、レシピを有り物で代用する初代魔王。
「バイト君、何ぼけっとしてるんだ? 飯だぜ、さっさと席に着けよ」
止まり木代わりの椅子の背に止まったロッドが促す。
「……お、おう」
瑛人はおそるおそる椅子に腰掛けた。
「あ、私のお皿に鍋に残ったチーズ入れて! 鍋の縁のカリカリがまたおいしいのよね」
全員に均等に料理を分けた後、鍋底を木べらでこそぎ取ってロゼの皿へ入れる初代魔王。
あまりのギャップに瑛人はくらくらして、自分の椅子にどっともたれかかった。
ロゼが心配そうにこちらを覗った。
「どうしたの、気分でも悪いの?」
「キャキャキャ、あの美人受付嬢が田舎に帰ったからか? 恋煩いなのか?」
「ちげーよ! このインコ……」
いつものように軽口を叩こうとしたが、ロッドが初代魔王の杖だということが頭をよぎった瞬間、言葉につまった。
「……ロッドが怖いの?」
しまった、と思った。
しかし、遅かった。
ロゼが、絶望的な目で瑛人を見ていた。
「どうして? 私たちのことも怖いの? さっきまで普通だったじゃない」
「いや……だって、初代魔王がさ……」
心の中を読まれてしまっては、もうどうしようもない。瑛人は、開き直ることにした。
「初代魔王? あの、サレナタリアでの落書きのこと?
『初代魔王は再び来たれり』。
あれが何だっていうの?」
ロゼがまゆをひそめた。
その横で、セトが鍋を片付けながら面倒臭そうに言った。
「初代魔王復活説なんて十年に一回は出てくるただのデマだ。
狂信者の馬鹿の落書きなんかいちいち気にするな。
大体、初代魔王が復活していたら、世界は大混乱になってるはずだ」
「いや、だからあんたが初代魔王だろ!」
当人にそこまで否定されてしまい、彼は思わず突っ込んでしまった。
セトは、その言葉が理解できなかったように、怪訝な顔で見返した。
こちらが必死で手の内を見せているのに、あくまでとぼける気なのだろうか。
瑛人は苛ついて、椅子をけって立ち上がると、セトに人差し指を突きつけた。
「とぼけるなよ、ロッドが初代魔王の杖だってことは知ってるんだ。
だったらあんたこそ初代魔王なんだろ?」
セトは、まじまじと瑛人を見つめた。
「初代魔王が……私?」
そのとたん、部屋は、はじけたような爆笑に包まれた。
「ヒャーハハハッ! セトが! 初代魔王! 腹が痛えっ!」
「おい、笑いすぎだぞロッド」
「だってよぉ、根暗でコミュ障でこんなクソ田舎で薬作ってる奴がよりによって、ヴィエタ帝国皇帝の初代魔王……キャハハハハハ!」
「どさくさに紛れてめちゃくちゃ言うな」
「キャハハハ……ぐえ、ゲホゲホゲホッ」
あまりに笑いすぎたのか、それともセトが短い呪文を唱えたせいか、ロッドはそこからひとしきり咳き込んだ。
ロゼは首を傾げてそれこそびっくりしたようにこの惨状を見ている。
正直、こんな反応が帰ってくると思っていなかった瑛人も、どうしたものかわからず立ち尽くしたままだ。
一番先に立ち直ったのは、初代魔王と呼ばれたセトだった。
「一体、どこから閃いたんだ、その馬鹿馬鹿しい話は。あの金髪が何か吹き込んだのか?」
「だって、ロッドは初代魔王の杖だろ!」
瑛人は泣きそうになりながら叫んだ。
自信満々で結論づけただけに、これが間違いだったらかなり恥ずかしい。
だが、セトはあっさりと言った。
「確かにそうだ。それは認める。
だが、初代魔王の杖を所持しているからといって私が初代魔王だとは限らない」
「いや、魔術師の杖って魔術師の精神そのものじゃん?
じゃあ、その持ち主は初代魔王ってことになるじゃねーか!」
「普通の杖はそうだが、ロッドに限っては違う。
こいつは独立した一個の精神を持ってるんだ。
私の精神で出来てたら、さすがにこんなにべらべら喋らない」
もっともらしい理由を返され、瑛人は返答に窮した。
「じゃ、じゃあどうしてその杖を持ってるんだよ?」
「抽選に当たった」
「……抽選?」
紅白の垂れ幕に、六角形のくじ引き機が脳内に浮かんでくる。
近所の商店街の夏祭りの一コマだ。ハンドルを回すと、金色の玉が転がり出てくる。
半被を着たおじさんが威勢よくカランカランと鐘を鳴らし——
「……って、そんな説明で納得出来るか!」
「そうだぜ。抽選っていうが、あれは俺にいわせりゃルール違反だったんだぜ?
どっちかっていうと景品の強奪だ」
やっと咳き込みが止まったロッドが、話に入ってきた。
「失礼な。お前にかけられた魔術のガードが少々甘かっただけだろう」
「……大体なあ!
伝説の杖を授かろうという魔術師が、正々堂々正面からじゃなく搦め手から突破するって選択肢がもう間違ってんだよ!」
「皆、落ち着いて! エイトが混乱してきたわ!」
見かねたロゼが仲裁に入り、セトとロッドはぴたりと黙った。
こういうところは、二人とも気が合うらしい。
ロゼは瑛人と向き合い、まるで子供に諭すような調子で話しかけた。
「まず、安心して。セトは初代魔王じゃないわよ。杖は——ほら、サーガでよくあるでしょ?
『この伝説の剣はその資格がある者にだけ抜けます』って地面に刺さってるアレよ。
今じゃ大体が観光名所みたいになってて、実際は抜けないように先を潰してあったり鉛を溶かし込んで一体化してたりするんだけど。
あれの初代魔王の杖版をセトが抜いちゃったの。
これで解決でしょ?」
「今さらっと夢のない話が出てたけど!
伝説の剣ってそんな扱いでいいの?
じゃあ、あの回復魔法は?
とてもじゃないけど、今の魔術師には出来ない魔法だって、キャロルが言ってたんだ」
「田舎者が」
セトがぼそっと悪態をついた。
ロゼが苦笑いしながら続ける。
「文献じゃそうみたいね。
でも、大きな魔力容量と高性能の杖……あとは増幅の呪文さえあれば古代の回復魔法だって復元できるのよ」
「確かに燃費は呆れるほど悪い術だが、『失敗作』ってことはない。現に私が使ってる」
畳みかけられるように出てくる反論しようもない事実に、瑛人はますます苦しくなった。
「……じゃあ、ほら、魔石は? 買うのに金がかかるって聞いたけど」
「それもセトが作ってるもの。お金なんてかからないわよ」
最後に考えてひねり出した理由も即斬りだった。
なんだ。全ては瑛人の勘違いだったのか。
「なんつーか……すみませんでした。とりあえず、初代魔王じゃなくてほっとした」
瑛人は妙に残念な気持ちで言った。
「キャハハハ! いいってことよ!
いやー、こんなに笑ったのは久久だぜ!」
「いや、お前が初代魔王の杖だったことは合ってたんだけど!」
脳天気なインコにツッコミを入れ、瑛人はさっきよりリラックスして椅子に腰掛けた。
セトがため息をついて言った。
「そもそも、私は古代魔術の研究をしていたんだ。
運良く初代魔王の杖も手に入ったし。
回復魔法の再現も、魔石生成もその一環。
けれど、今まで初代魔王に間違われるなんてことは一回もなかったから驚いたな。
うちのバイトになに吹き込んでくれてるんだか、あの金髪は」
「しっかしな、セトもちーゃんと説明しねえからこういうことになるんだぜ?
俺は特別スペシャルな杖なんだから、もっと敬うべしって教えてやれよ」
「なぜだろうな。本当の話だがお前には尊敬の要素が欠片も見当たらない」
セトとロッドが口論しかけたそのとき、瑛人のお腹がぎゅーっと鳴った。
「……とりあえず、食べましょ」
ロゼが、笑顔で料理を差し出した。
瑛人も、情けない顔ながら、笑って皿を受け取った。
ティルキアン何とかは、チーズの掛かったベーコン入りグラタンの味がした。
「……で、あの金髪は大人しく家に帰ったのか?」
昼食の終わりごろにセトにそう聞かれ、瑛人は心に引っかかっていたもう一つのことを思い出した。
「いや、実は村の他の飛竜達も見つけ出したいらしくてさ。
とりあえず、近郊で探してみるって言ってた」
「馬鹿だな。もう手遅れだ」
辛辣な意見に、瑛人は口を尖らせた。
「それでも、探してみたいんだよ。
俺にも、その気持ちはよく分かるよ。
でさ、収穫も一段落したことだし、明日はサレナタリアに行ってもいいかな?
俺にも手伝えることがあるなら、竜探しを手伝いたいんだ」
ロッドがひゅーっと口笛を吹いて茶化した。
「それはアレか? 召喚された英雄の使命って奴か?」
瑛人が言い返す前に、セトが話に割り込んだ。
「深入りするのはやめとけ。どうせ見つからない。
私の勘が当たっていたなら、お前の召喚主は、ある意味人道的だ。
違法飼育されていた竜を探すことなんて望んでない」
瑛人はむっとして言い返した。
「別に召喚がどうとか、違法飼育がどうって話じゃないんだ。
ただキャロルを一人で放っておくのが心配なだけだ」
セトはテーブルの向かいからじろりと瑛人を眺めた。
「忠告はした、後は好きにすればいい」




