第13話 シスコン流お説教タイム
二人は村の中には入らず、魔女の森の中を通って行くことに決めた。
飛竜を飼っているというのは後ろめたいことなのだし、サレナタリアの美人受付嬢と馬車に乗っていたという噂が広まっては、後々問題になりかねない。
が、馬車は魔女の森へと続く獣道の入り口で進まなくなった。
馬が怯えたようにいなないたり、頭を反らして先へ進むのを抗ったからだ。
魔女の結界があるからかも、と瑛人が言うと、キャロルは納得したようだった。
「そうだったのね。どおりで怖がってると思ったわ。ここで馬を帰しましょう」
そう言うと、キャロルはさっと御者台から飛び降りた。
瑛人もぎこちなく隣の席から降りる。
キャロルが馬の手綱を取って手際よく向きを変え、馬の尻をぴしりと叩いた。
馬たちは空の馬車を引き、なにか恐ろしいものにでも追われるかのように駆け足で街道を下っていった。
「あ、そうか。馬車って自力で帰れるんだ。そこに関しては自動車より便利だな」
「じどうしゃ?」
「いやいや、なんでもない」
慌てて手を振った。説明するとなると、まず召喚されたことから言わねばならず、後々面倒臭いことになる気配がしたからだ。
「それより、早くジュートに会いに行こう」
「そうですね!」
誤魔化すために慌てて言った言葉だったが、キャロルはきらきらとした瞳を向け、素直に肯いた。
あまりの眩しさに、瑛人は本気でくらっときた。
「また会えるなんて、本当に夢みたいです!」
ことは思っていたより、はるかにうまく運んだ。
魔女の小屋の前で、飛竜は音を立ててタライから水を飲んでいた。
ロゼがすぐ側に座って、その様子をのぞき込んでいる。
セトは肩の上にロッドを乗せ、飛竜の背中をさすっていた。
昨日の魔術がちゃんと効いたかどうか確認しているようだ。
瑛人とキャロルが小屋から見える小道に姿を表した途端、飛竜は顔を上げてキューキューと大きな声で鳴き、まるで体当たりでもするようなすごいスピードでキャロルのほうへ突進してきた。
あまりの勢いに、彼は思わずキャロルの隣から離れた。
「ジュート!」
翼の生えた恐竜のような生き物の突進にも関わらず、キャロルは満面の笑みを浮かべて大きく手を広げてジュートを迎え、その首にしがみついた。
ジュートは旅の間に何があったのかを話すように、ひっきりなしに甘えた声を出し、キャロルの頬をべたべたの舌で舐めている。
瑛人にはそのまま食べられそうな勢いに見えるのだが、キャロルはずっと笑っていた。
飛竜を見つけられて本当によかったと、瑛人はこの騒ぎを見て胸が熱くなった。
ロゼは既に涙ぐんでいる。
いつもけたたましいインコも、キャロルがいるためか、それとも場の雰囲気を感じ取ったためか、大人しく黙り込んでいた。
が、感動の場面に呑まれていない者が一人だけいた。
「さて、感動の再会のあとで悪いが、答えてもらおう。
一体どういうつもりで飛竜なんかを野放しにした?」
キャロルとジュートがやっと離れたところを見計らって、セトが冷ややかに声をかけた。
悪いと分かってるのなら、台なしにしなくても……と瑛人は言いかけたが、こちらを無表情で見られて黙った。
キャロルが会釈し、馬車に乗っていたときの話がそのまま繰り返された。
いや、瑛人も協力して相づちや説明を入れたので、相当いい話に仕上がった。
テレビでよくある『感動の再会スペシャル』がこの世界にあれば、持ち込みに行きたいくらいの出来だ。
「……通報もせずに見逃して頂いてありがとうございます」
と、キャロルがしとやかに頭を下げて締めくくった途端、反撃が始まった。
「いや、私にとっては、東部で違法に龍を飼ってようが、泥棒されようが、そんなことはどうでもいい。
問題なのは、何故指輪を使ってその竜を殺さなかったかということだ」
キャロルは激しい口調で言われて、一瞬ひるんだ。
しかし、胸に下げた指輪を掴み、しっかりとセトを見据えて言った。
「そんなこと、必要だと思えなかったんですもの。
村の龍達も、市場に出ればすぐに盗品とわかるでしょうし、ジュートを殺してその場所が分かっても、追いつくまでに犯人は逃げてしまいます。
それに……私は山野ですから、この指輪は使えません」
「そうか、その指輪はただの飾りか」
セトは抑揚のない声で言った。
ロゼが真っ青な顔をしているのをみて、瑛人は確信した。
セトの感情は分かりにくい。
が、彼は今完全に怒っている。
「支配の指輪は、もしものときの安全装置なんです。
訓練中の幼体には、隷属の首輪をかけなくてはならない、そういう決まりになっているだけです」
「行方不明になったときが、もしものときだとは思えなかったのか?」
「ジュートは大人しい子なんです! 人を襲ったりなんてしません!」
「大人しくても、竜は飢えれば人を喰う。
きちんと調教されていない幼体なら、なおさらだ。
それに、悪人に利用されれば大事になりかねない。
それをわかった上で指輪を使わないなんて、無責任としか言いようがない」
「もちろん、操るところまでは指輪の力を使いました。
でも、これ以上指輪をそのままにしていたら、居場所を知るために殺されてしまう。
だから、家から持ち出したんです。
私の魔力では使い物にはなりませんが、少なくともジュートが死ぬようなことはありませんから
……この子は私の、たった一人の友達なんです!」
「友達は人間から選べ。そいつはただの獣だ」
「……ま、まあいいじゃん!」
キャロルを助けようと間に入った瑛人は、セトの無言の視線を受けてぞっとした。
蛇の前に出たカエルの気分だ。
「ほら、最初に出くわした俺だって喰われなかったんだしさ。
大人しい竜だから、問題ないだろ? もういいじゃないか、過ぎたこと——」
「お前は喰われてもかまわん」
「そうなのか?」
喰い気味に一刀両断されて、ちょっと落ち込んだ。
「が、もしもロゼに何かあったなら、私は一生この女を許さんだろう。
大体、何のために隷属の首輪をはめていると思っている。
制御が効かなくなれば指輪の力で殺……」
「やめてよ!」
鋭い声が空気を裂いた。瑛人は驚いて振り返った。
赤い髪を燃え立たせるようになびかせて、ロゼが立っていた。
全身がぶるぶると震えている。
それが恐れではなく怒りのためだと気づいたのは、彼女の叫び声を聞いてからだった。
「もうたくさん! 私だって、魔術師の卵よ?
感情も読めるし、食べられたりなんてしないわよ!
それにね、私がもし、キャロルさんと同じ立場になったら……きっと同じことをするわ!
誰が批難しても、それが罪と分かっていても、憲兵や魔術師連盟に追われても! 私の目の前に支配の指輪があったなら、それを盗って地の果てまで逃げるわよ!
どうしてそんな簡単なことがわからないの!」
最後の方は、嗚咽まみれの悲鳴だった。
あまりの剣幕に押され、瑛人は目をしばたかせてロゼを見つめた。
庇われたキャロルでさえ、呆気にとられた顔をしている。
ロゼは大粒の涙をこぼしながら一気に言い終えると、しゃくり上げて小道を走って行ってしまった。
ケーッとインコが鳴いて、その後を追っていく。
後に残された面々に、気まずい沈黙が漂った。
「……今のは、さすがに理不尽だよな?」
セトがぽつりと呟いたが、瑛人もキャロルもまださっきの衝撃で黙ったままだ。
海のように深いため息をついて、セトは毒気を抜かれた表情で言った。
「金髪娘、あんたはもういいから、飛竜を連れて東部の田舎へさっさと帰ってくれ。
私はあの子の機嫌を直さなきゃならなくなった」
まったく、と彼はぶつぶつ文句を呟きながら、行きたくなさそうにのろのろと小道へ消えていった。
後には、呆気にとられた瑛人とキャロルが残った。
「……えっと、私、もう帰っていいんでしょうか?」
おずおずとキャロルが聞いてきて、瑛人は肯いて答えた。
「いいんじゃないかな。それにしても、どうやって帰るつもり?」
「もちろん、この子に乗って」
キャロルはいとおしそうに飛竜の背を撫でた。瑛人は目を丸くして聞いた。
「乗れるの?」
「ええ。幼体でも私一人くらいなら」
「無理はしてやるなよ? 昨日、セトが切れた翼を生やしてやったばかりだから」
「翼を——生やした?」
キャロルの顔が少し曇った。
そして、急いでジュートの翼を手で伸ばし、眺め始める。
ジュートはじゃれて鳴き声を上げて翼をばさばさと羽ばたかせた。
傷痕一つない銀色のかぎ爪のような翼に、薄いピンクの皮膜が張っている。
飛竜の翼をまじまじと見たことがない瑛人にも分かるぐらい、健康そのものだ。
「どのくらい、切られていたんです? 傷の大きさは?」
「ああ、翼が根こそぎ切り取られていたから、セトが治してくれたんだ。
きれいに治ってるから、大丈夫みたいだな。
なんだかんだ文句言ってたが、治療はしてくれたし、あの説教はあんまり気にするなよ。
ただシスコンっていう病気なだけなんだ」
キャロルの手が止まった。はしゃいだ様子のジュートと違い、目をまるくしてこちらを振り向く。
「……翼が切り取られていたんですよね。付け根から」
「そうだけど?」
途端に、またキャロルが相好を崩した。
「ふふふ、また、いつもの冗談ですか!
きっと、葉で切った浅い傷か何かだったんでしょ!
エイトさんのいじわる! 心配させないで下さい!」
何がおかしいのだろう? 瑛人は首を捻った。
「え? 俺何か変なこと言ったっけ?」
「さすがに薬の効果を盛りすぎですよ!
まあ、宣伝と考えれば、商売上手ではありますけど。
傷の治りを早める薬は、薬草で作れるでしょう。
でも、切り取られた翼を生やすことなんて、いくら薬草があってもできません。
そのくらい私でも知っていますよ。
あなたの指が切り取られたとして、そこが一日で傷も残さず回復するなんてことはないでしょう?」
「な……え、魔術師ってヒール使えないの?」
杖持ちなら使えて当然なのだろう、と思っていた回復魔法までが、実はおかしいものなのだろうか。
この世界の常識が、また一つ崩れていく。
「ヒールとは何か分かりませんが……今確認されている唯一の回復魔法の文献は、八百年前に発見された一つのみです。
その魔法は腕を生やしたり、やけどを跡形もなく治したりといったことが可能だったそうですけど」
意外なところに答えがあり、瑛人はポンと手を打って納得した。
「ああ、じゃあそれを使ったのかもな。わりと高度な魔術って言ってたし」
「いえ、その回復魔法は現在では使われていません。
あまりに魔法効率が悪くて、高位の魔術師でもありったけの魔力を使って小指のささくれを治すのがやっとという代物ですから。
発案者が莫大な魔力を持っていたからこそ、使えたんです。
今では発案者の名を取って、こう呼ばれています
……『初代魔王の失敗作』と」
『初代魔王は再び来たれり』。
勇者像前の落書きに書かれた、赤いのたくったような文字が、瑛人の眼前にまた現れたような気がした。
がくぜんとしすぎて、目眩を起こしそうだ。
初代魔王。残虐な暴君で、魔術師の帝国を創りあげ、世界を征服した。
そして勇者フォクセルに倒されたのだが……その後のことは知らない。
人形芝居もそこで終わっていた。
もし、初代魔王が生きていたのなら。そして……セトだったのなら。
だが、先ほど妹に怒鳴りつけられて、すごすごと機嫌を取りに行ったセトの姿を思い出し、瑛人は少し落ち着いた。
確かに、人を躊躇なく殴ったり、魔石を投げたりはする。
けれども、世界を征服した初代魔王がバイト先の店長だとは思いたくない。
瑛人は、汗をかいた手のひらを握りしめた。
そして、断腸の思いで、切り札を出した。
「興味本位で聞きたいんだけどさ。
初代魔王の杖に、何か特徴があるなら教えてくれ。
他の杖にはない、特別スペシャルって機能だ」
うーん、と少し考え込み、キャロルは快活に言った。
「初代魔王の杖は、言い伝えによると、意思を持ち、自由に話すことが出来たのだそうです」
ビンゴだ。
あんなに意思を持って自由に話す杖を瑛人は見たことがない。
固まっている瑛人の耳に、大丈夫ですか、というキャロルの声が聞こえてきた。
にこにこしているキャロルの顔を見て、瑛人は少しほっとした。
彼女は、全く気づいていない。
しゃべるインコも、セトが飛竜を治した現場も見ていないからだ。
瑛人だって全て冗談で片付けられたら、何と楽だろう。
頭がぼうっとしている間に、キャロルの話を機械的に聞いていた。
このまま街まで帰るのかと思いきや、今から仲間の竜たちの臭いを追って探すというのだ。
瑛人も一緒に行きたかったが(むしろ竜にまたがって飛んでみたかったのだ)、幼体には一人が限界なので、と断られた。
「エイトさん、私、そろそろ行きますね。
魔術店のお二人のことは心配ですけど……もう一度謝りにきても、きっと納得して頂けてないでしょうね。
ロゼさんにも庇って下さってありがとうとお伝え下さい」
首の綱を解かれたジュートの背に一気に飛び乗ると、キャロルは瑛人に眩しい笑顔で手を振った。
「じゃあ、本当にありがとう……エイトさんは、私に初めて出来た、人間のお友達です」
その言葉を最後に、ごうっといっそう風が強くなり、銀色の羽を羽ばたかせて飛竜は魔女の納屋の屋根の上まで、一足飛びに上がった。
そのまま、森の上へと昇っていく。
瑛人は後ずさって飛竜とキャロルに手を振りかえしたが、鬱蒼とした木々に阻まれ、すぐ見えなくなってしまった。
感動のお別れである。
だが、彼の心は妙に落ち着かなかった。
もう、昼ご飯の時間は過ぎている。
台所の時計もとうに鳴った頃で、お腹ももちろん減っている。
帰らなければならない。
一人で、初代魔王が待つ魔術店へと。