01.出会い、きっかけ、決意
深夜1時の繁華街。馴染みの飲み屋の暖簾を押し、寒空の下に日下部光太郎はでた。金曜日の深夜ということもあり辺りは飲み歩くサラリーマンや店に客を入れようと必死に声をかけるキャッチの姿が多かった。いつも通りの景色。それに安堵を覚えたのはこれから変わる生活への不安があったからかもしれない。一つ大きく背伸びをし、あくびをした。
「お待たせ」
そう言って、光太郎の後から出てきた森部孝明は背伸びをする光太郎を一瞥した。
「おう」
そんな親友に対し、光太郎は少し口角を上げて応えた。
「外は冷えるな」
背広の上にコートを纏ながら孝明は言った。
「よく言うぜ。俺より温かそうな服着てるくせに」
「何、皮肉?俺より飲んでんだから温かいでしょ」
「もう酔いも冷めて冷えてらぁ」
光太郎の強がりについ孝明は笑ってしまった。
「風邪引かないうちに帰るぞ」
「うん」
二人は足並みを揃えてこれから更に賑わうであろう繁華街を後にした。
親友であり幼馴染である二人。高校入学時に道が違えてもこうして毎週飲みに行くほどの仲だった。大して大きな報告があるわけではなく、社会人となった孝明は仕事の愚痴を、大学に通っていた光太郎は学校生活をただ話しているだけだった。
今日も変わらずその様な感じであったが、光太郎はまだ親友に話していないことが一つだけあった。光太郎自身が下した、人生至上最大の決断。どうしても親友に話しておかなければならなかったがいつもの様に四方山話に花が咲いてしまいついに言い出せずにいた。
親友のその微妙な変化に孝明も気づいていたが、本人のタイミングで、と気遣い今まで通り接していた。が、帰路についた今でも話す素振りはない。
辺りは先程までいた繁華街とは打って変わって、静まり返る住宅街となっていた。所々に立つ街灯が二人の足元を照らしていた。
横を歩く彼を見ると、飲んだ後とは思えない、何かつっかかりがあるような顔で正面を見ていた。その様子につい可笑しくなり、にやけてしまう。
「なんだよ」
自分の方を見てにやける友人にボソリと言う。
「…お前、何か隠してるだろ」
「…なんだよ」
つい言い出せずにいた自分を見透かされて少し恥ずかしくなり、光太郎は下を向いた。
「別に何も無いならいいけど」
親友のその言葉に意を決し、夜空に向かって大きなため息をついた。その白い息はまるで夜空に輝く月を目掛けているようだが、その手前で静かに消えていった。
「大学、休学することにした」
その決意に孝明は驚いたが、何も言わずに聞くことにした。
「休学して、本格的に目指そうと思う」
「小説家?」
そう聞きながら光太郎を見ると、その顔は決意に満ち溢れていた。
「今回は本気っぽいね」
「っぽいってなんだよ。いつも本気だよ」
冗談に向きになる光太郎を笑ってなだめた。
「大学休学して、本気で挑もうと思う。確かにいろんなこと経験して勉強する方がいいかもしれないけど、入学してから二年経って何か得られたかというとそんな気もしなくて…。しっかり自分と向き合いながら書き上げてみたいと思う」
その言葉は光太郎自身にも言い聞かせているように聞こえた。
「いいんじゃない。俺は応援するよ」
そんな親友の勇士に少し心を躍らせながら孝明は応援した。
「早く取れよ、“月光賞”」
「おう」
応援してくれた友人に応える様、力強く光太郎は言った。
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「小説家になりたい」
それが小学生の頃からの光太郎の夢だった。きっかけは授業で扱った教材の話を読んで、その世界観に惹かれたからだった。その作品、『月の話』|
月光という作者が書いたものだ。
月に帰りたいと思う少女と月の研究をしている学生が、夜空に輝く月について語り合い、お互いの夢について話している。そして少女が月へと帰るとき、学生に月の砂を送って互いの絆の証としたという話だった。設定も内容もありふれたSF小説だったが、互いが月について話していたときの描写など、読み手が容易にその世界を想像でき、また、今までに無い神秘的な幻想に誰しも心打たれた。
この作品は彼の処女作であり、同時に芥川賞を受賞したものだった。読みやすく、教材としても良いとの事だったので当時どの学校もこの話に触れていた。その様な社会現象と、処女作での最年少芥川賞受賞という功績を称えて“月光賞”というものを業界は創立した。
そんな作品をきっかけに光太郎の夢は膨れ上がっていた。いずれ自分のもつ世界を皆に教えたい、そして“月光賞”を掴みたい。その思いが光太郎を本の虫にさせた。
しかし、小説家なんて一握りの人物しかなれない夢を回りは快く思わなかった。高校に進学し、その先を考えた時に誰しも就職しろと言った。だが、彼は諦め切れず、寧ろ夢への加速が増すように彼は文系への大学進学を決めた。
そんな彼をいつも変わらず見守ってくれているのが親友であり、幼馴染の孝明だった。
孝明とは中学まで同じであったが、進学の意が無かった彼は光太郎とは別の高校へと進みそのまま就職した。
仕事でどんなに忙しくても、毎週金曜は二人で飲みに行く。そのきまりごとは二人の友情であり、夢へと向かう親友が気に掛かっていたからだった。その気掛かりは光太郎の性格からきていた。
芯は強い光太郎だが、自分に自信が失く、直ぐに心折れてしまうところがあった。中学の時の部活動でも、バスケ部に所属していたがとある小さなミスで自信を失くしてしまい以後、試合出場はなかった。その小さなミスは誰にでも起こしうるものでもあったし、チーム内でも実力のある光太郎が攻められるものでもなく実際、誰も攻めることはしなかった。
そんな風に一度駄目だと思ったらとことん落ちてしまう彼のことが気に掛かって仕方がなかった。今まで幾つか将来の夢を語っていたが、小説家になりたいというその夢だけは今までとは違う何かがあるような感じがして、それを支えたくて仕方がなかったのだ。
確固たる夢を抱く友人の姿を見てきたが、大学を休学するという決意表明した姿を見て只ならぬ何かが彼をそこまでさせたのだと孝明は思った。
「休学を決めた理由は?」
少しの沈黙を孝明は破った。
「まぁ、ちょっとな。背中を押されたというか、気づかされたというか」
「はっきり言いなよ」
うーんと光太郎は唸った。
幼馴染であるが故にこれまで隠し事は一切してこなかった二人だ。何か隠してるような光太郎の様子が気になり、つい急かしてしまう。
「話すと長いんだよな。そしてお前は絶対に笑う」
そう返した光太郎の顔は苦虫でも潰した様な変な顔になっていた。
それを見て、孝明は思わず吹き出してしまった。そして腕時計を見て、
「まだ時間はあるし、明日も休みなんだから。笑わないしゆっくり聞くよ」
そう返した。
その返答を聞いた光太郎は、少しため息をつき、
「俺の家で飲み直すか」
と、誘った。
それに対して孝明は二つ返事で返した。
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「実は三日前。バイト先でちょっと事件があったんだ」
「事件?」
そう、と光太郎は頷いた。
アパートの一室。光太郎の住む部屋で二人は缶ビールを飲んでいた。
寂れたアパートで深夜ともなり、光太郎の部屋だけに明かりが灯り、二人の会話だけが静かに夜に響く。
「万引きか何か?」
「万引きというか、日頃のストレス解消で他人を万引き犯にしたてあげようとした阿呆がいたんだ」
「そんな奴、本当にいるんだ」
「俺もドラマとかの中だけの話かと思ってたよ。事実、現実にもそんな馬鹿がいたんだ。呆れたもんだよ」
「ほいで、どうなったの」
「被害者っていうか、犯人にしたてあげられたのは女子大生だったんだけど、まあ店の防犯カメラから彼女に不審な行動がなかったのと、真の阿呆なのか、自分が万引きしてるところをカメラでばっちり抑えてたから何も揉めることなく即解決。警察呼んで後は任せたよ」
「それは大変だったね」
「まあうちの店の防犯対策から誰も逃れやしないよ」
「確かにそうだけど」
光太郎は、自宅近くの書店でバイトしている。個人経営の書店で、近所に大手の書店がない為売り上げは上々。需要は高かった。それに比例するかのように万引きなど、犯罪も多い。用心深い店主が念には念をと、様々な防犯対策をしてる。
防犯カメラは勿論、本にはGPS機能がついたバーコードをつけ、本棚の奥や本棚と本棚の間に小さな隠しカメラをつけるなど、やりすぎではないのかと思うほど入念にされたものだった。
「そのお嬢さんは大丈夫だったの?」
「大丈夫ってか、まあ気は動転してたよ。やってもいないのに犯人だ!なんて急に言われて。まあカメラの映像あるし、その阿呆、一度店で不審な行動とってたからブラックリストに入ってたし、その女子大生が白か黒かはっきりしてたようなものだから俺は何も問い詰めなかったけど」
光太郎は一口、ビールを飲んだ。
「事実がわかり、警察が帰った後なんだけど。女子大生、あ、灯さんっていうんだけど。灯さん、すっごく落ち込んでたから、俺も丁度上がりだったしコーヒー飲みに行ったのよ」
「おい!お前ってそんな軽い奴だっけ?」
普段は硬派である光太郎の意外な行動に思わず口に含んだビールを噴出しそうになった。
「失礼な。俺だって落ち込んでる女の子放って置けるほど非情な人間ではないわ」
「違う、そうじゃなくって。普段自信のないお前がどうしてそんな事できるんだよ」
その問いに光太郎は思わず頬を染めてしまった。その変化を幼馴染は見逃さなかった。
「さてはお前・・・一目惚れか?」
「うっせえ!悪いかよ」
やけになって光太郎は一気にビールを飲んだ。
「いやいや、悪くはないけど」
自信がなく、恋なんてしても決して自ら動こうとしなかった彼がここまでなるということは本気なのだろうと孝明は悟り、そして堪え切れなかった笑いが込み上げてきた。
「ほら、笑った」
「悪い。めでたい話だなと思って」
それで、と孝明は続きを催促した。
「それでまあ、コーヒー飲んで色々話して仲良くなった訳よ。お互いが学生であることとか、どんなこと勉強してるのか、サークルとか色んな事話して。それでお互いの将来について何となく話したんだ」
「正直に言ったのか」
「隠す必要もないしよ。笑われるのも慣れてるし。小説家になりたいって言ったよ。そしたら、灯さん凄く応援してくれて。今までにない反応だったから凄く嬉しかったんだ」
「へえ」
「私を救ってくれた光太郎さんだから、きっと素敵な物語が書けるはずだって。是非読んでみたいとよ。たまたま短編もってたから冗談で読んでみるかって進めたら真剣に読んでくれて」
自分で言ってにやけているのに気がつき、ごまかすように次の缶の蓋を開ける。
「すんげえ嬉しかった。今までお前以外の奴に読んでもらってもちょっと読んで返されるか笑われるかだったから。何度も何度も繰り返し読んでくれて。しかも感想やアドバイスまでくれて、ありがたかった。その時に思ったんだ。本気で書いてみて本気で読んでくれるこの人に読んでもらいたいって。そして最高の作品で月光賞を取りたいって。それも話したら、協力してくれるっていうからさ、もう後にも引けなくて」
嬉しそうに語る友人の話をを孝明は黙って聞いていた。
「大学にいっても本気で夢を語れる奴もいなかったし、灯さんと話してて思ったんだ。俺、こんな連中と一緒にいて本当にいいのかなって。なんか自分の夢を潰される気がしたんだ。そう思ったら怖くなって、その環境から抜け出したくなった」
「それが休学を決めた理由?」
うん、と光太郎は頷いた。
「そっか。いい人にめぐり合えたんだな。よかったな、分かち合える人がいて」
友人の新たな決意に、そして、今まで自信を持てなかった友人が少し自信を持ち出して嬉しく孝明は笑った。
「ありがとう。勿論お前も頼りにしてるし、これからも頼ることがあると思う。でもお前以外の第三者から認めてもらって嬉しかったんだ」
それに釣られて光太郎も笑った。
「まあ、少しは自信がついたみたいだし、がんばれ。そしてその短編俺にも読ませろ。まだ読んでない」
「忘れてた・・・」
そう言って光太郎は封筒を孝明に渡した。中には二十数枚の原稿用紙が入っていた。
「相変わらずアナログだな」
「レトロと言って貰いたい」
ふふっと笑い、孝明は読み始める。
「今宵もご指導、よろしくお願い致します」
そんな孝明に光太郎は頭を下げた。
光太郎の作品を孝明が読む。これが二人のルールとなっていた。
小説家になるなんて、夢を見すぎた彼の将来像を誰しもが笑った。そんな彼を真剣に受け止めてきたのは今まで孝明だけだった。なので自然と光太郎の作品を読むのは孝明だけとなり、また、彼のそんな背景を知っている孝明はいつも真剣に作品を読んだ。そして感想やアドバイス、意見など率直に光太郎に伝えていた。幼馴染だからこそ出来る事だった。
光太郎もそれを嬉しく思い、また、絶対的な信頼を寄せているため作品を見せるのは孝明にしかしなかった。そんな彼が孝明以外の人物に見せたということは相当彼の中にある何かを揺さぶったのかもしれない。
(俺がいるのにな…)
光太郎の新たなるファンの出現に少し嫉妬しながらも光太郎のその成長と、彼の作品に対して共感してくれる人がいてつい嬉しく思った。
(今度その灯さんって人、紹介してもらおう)
そう思いながら、孝明は光太郎の世界へと引き込まれていく。
その様子を真剣に光太郎は見守る。緊張し、さっきまで飲んでいた缶ビールを置いて正座で孝明の言葉を待った。
約十分程。静かに孝明が顔を上げる。
「今回の感想をお願い致します」
ごくりと固唾を飲み、光太郎は返事を待つ。
「そうだなー…」
その言葉を皮切りに光太郎の作品に対する評論会が開かれた。それは空が薄く明るくなるまで続けられた。




