吸血鬼の世界
「私達家族は幸せでしたよ。父は慎莫に家族を守れる人であったし、母の柔和な笑顔は──私達家族の幸せを、象徴するようでした。そして何より、家が一番だと、誇れるものがあった。何だと思います?」
家族を語る彼女はこんなにも明るいのに、
「家族仲が、良かったとかか?」
「ええ、それも決して悪くなかったです──それでも、青鹿さんの御家を超えていると、宣することは出来ませんね」
言葉も、その僅かに緩む表情も、その全てが過去のことだと主張する。
「いや、家は別に普通だ」
「その普通が難しいと──吸血鬼となった私でも、知っていることですよ」
ああ、その通りだ。
家の両親は、一般家庭で連想される平均のそれ以上だと誇らしく語れる。
だが、そこに生まれた俺はきっと……、
「ふぅ、……違いない」
「何よりも誇れたもの──それは、夫婦仲です。主も従もない双方向の無償の愛だったと、その濃淡も深度も世界中の誰にも負けないと、声を大に出来たんです。私の異常は母から受け継いだものです……恐らく、いえ確実に父は知っていたのでしょう。父は、最後のその時まで、真実人でしたから」
「種族の垣根を超えた愛か──だったらお前は最初から」
「いえ、私も人でしたよ──……突然だったんです。気付いたのは視界を奪われたから。次に感じた事のない衝撃があって、生暖かい感触が胸の辺りに広がって、皮膚を燃やす熱を感じました」
「それは……」
「事故ですよ──正確に言えば、自宅のマンション地下駐車場にて、父が停車した直後、同マンション居住の男が自殺目的で衝突した。大分後になって聞いた話です……当時の私は、それ所じゃありませんでしたから」
その際、あの人外の力──母親の力に救われたということか。
「……吸血鬼、か」
「ええ、そうです。私は父に守られて即死はしていませんでした──それでも即死を免れたというだけで、日常では感じ得ない様々な苦痛を感じて、死を覚悟しました。実際数分の内で死んでいたでしょうし、その瞬間であっても五体満足では助からない、そんな瀬戸際だったのだと思います。母が──救ってくれたんです。視覚も聴覚も、触覚さえ曖昧だったけれど、その全てで感じ取ろうと……生きようと、私はしていたんだと思います。だから、だから母は……自身の命と引き換えに、…………」
今現在、彼女の横に誰もいないということは──そういう事だ。
「複雑、だな」
「……今の話だけで、それが分かるのですか?」
「ん、まぁな。どうやら、父親は助けられなかったようだから──その選択は苦渋を極めたものであり、且つ望まないかもしれない長い命までを背負わせる。穏やかな意志疎通など出来る筈もなく、正解のない答えを互いに強制させられる」
「……ええ」
彼女は、未だその答えを見付けられていない。
「何か遺言でもあったか──それがあの言葉の意味なのか?」
「……今度は私が言い当てられましたね──唯の一言、あの柔和な笑顔で『ごめんね』と」
「そうか」
「……私は、母の真意を図りかねている──命の交換は相応しいものだったのか、父ではなく私で良かったのか、家族皆が助かる方法があったのではないか、……母は父と供に死にたかっただけではないかと、人として最低な想像ばかりがよぎる。母に投げ出されたその一瞬──炎の中で寄り添う二人が、あまりにも幸せそうだったから。それが……焼き付いて離れない」
ある種、正答のない死者の課題であることだけは違いない──判断基準を見付け、限りなく正答に近いと納得するか、それ以上に強い想いで相殺する以外に道はない。
「責任、か──相手は勿論、自分すら持て余すと?」
「何も知らされていなかった私は、二人の関係を不思議にすら思う──『ずっと一緒ではいられない』、貴方の言葉は至言です。人であれ、吸血鬼であれ、命は一つで一人だ……二人にはなれない」
数ある巡り合わせの中で、永遠の命を得てしまった者の雛形──俺としては最も想像に容易かった、その心の機微。
「──何だ、それでしょぼくれて、フランス旅行にでも行った訳か」
「貴方という人はどうして、そうっ──…………ふぅ、今更ですね。今でも母の力が、記憶が、薄っすらと訴えることがあります。炎から投げ出されたあの日、その情報量の大きさに目眩がする中で唯一、掴み取れた母の記憶がソレだった──生活は、力でどうにかなるようだったから、私はソレを辿ることにした」
彼女の旅は死に場所を求める旅だった筈だ。
唯、それでも、吸血鬼の性とはそんなにも容易いものか? 命を持て余すような精神状態で、ソレを? あり得ない──……今日ここまで、俺が見てきた彼女がもしソレを──程度にもよるが、両立しているというのなら危険だ。
「待て、どうにかなるとは──そんなにも簡単に受け入れられたのか?」
「勿論、長い年月を生きなくてはならないということを呑み込めた訳ではありません。貴方の指摘の肝は、吸血鬼の生活形態を指してのことかと思います。ですが、先に言った筈です──史上に見られた吸血鬼達とは違うと」
「それは、」
「気になりますよね、本来なら貴方は被食者です。それは人狼であっても吸血鬼であっても変わらない筈だと、一度は想像した筈です──答えは、至極簡単ですよ。貴方が想像する吸血鬼が持つ筈の短所を、尽く取り除いて下さい」
「何……?」
「咽喉は枯れず、太陽をも恐れず、信仰に屈することもない、銀の弾丸は……流石に受けたことがないので分かりませんが、恐らく致命とは言えないでしょう。そんな吸血鬼を、吸血鬼と信じ、恐れることが出来ますか?」
「いや、……何だソレは」
「私も同じ感想を持ちました──だから私は、今でも母を尊敬していられる」
「なら、何を以て吸血鬼を名乗る?」
「そちらもまた、簡単な解があります──不死の身であり、人外れた力を持ち、他者を魅了する魔眼をも持つ、姿形は霧となり狼にもなり得る……私は、魅了の魔眼以外において、からっきりですので怪しいものですが、母の記憶にはその全てが真実としてあった。何より、この力がそうであることを望んでいる気がするのです」
望んでいる……、力が?
その一点に不安を覚えないでもないが、
「確かに吸血鬼のようなナニカ、だな──……ここまでの言い分の整理と、確認をさせてくれ。仮にも、世界に牙を剥け続けるとまで表現した存在であるお前は、その至ったとまで言われる原因すら知らない?」
「ええ、だからこそ旅をしました。時折浮かぶ記憶を頼りに、最初はフランス、次が日本と──結果的に多くの場所を周った訳ではありませんでしたが、母の軌跡を追い続けました」
他人の過去に囚われ苛まれることなく、
「そういった諸々の中で吸血鬼の力が弱まった、又は機能しなくなったということは?」
「えー……記憶の中の母と比べるなら、格段に劣ってしまっているという自覚はあります。ただ、あの日得て出来ていたことが、今出来なくなったということはないですね」
それによる劣化も、どうやらないらしい。
「……そうか。劣っていると……胸倉を掴まれた時、とてもそうは思えなかったがな」
「いや、あれはですね、ここまで至れば誰であれ人のソレを越えると言いますか、」
「いや、いい。別に責めている訳じゃない、確認の一環だとでも思ってくれ──話が逸れたな、続きを。旅をして、今ここにこうしている意味を教えてくれ」
「意味……ですか、大それたことは何も──旅の目途が付いたとき、故郷に帰って来た、それだけですよ。ここは家族で過ごした街ですし……この学園は私が通う予定だった場所、だから少しだけ甘えてみたくなった」
予想は既に、確立した事実になりつつある。
「──最後に一つ、俺を助けた意味は?」
「あれっ? あ、いつの間にか昔話が終わっちゃってましたね、はは──えー、」
「生きることが辛くなったのか?」
「……貴方の思想に興味を持ち、どこか親近感を覚えていました。これだけは、勘違いしないで下さい──私は母を尊敬している。この命を投げ出すことは、その誰かの中で生きることを意味します……誰でもいいという訳ではないのです。僅かながらでも見えかけた、その思想を抱えたまま死なれるのは困る、と──言った筈ですよ、『酷く、自己愛と打算に塗れた思考の結果』だと」
破格と、そう言うしかない。
「そうか──それで、それだけの価値はあったのか?」
「……分かりません。貴方は私の最良のパートナーにも──そして、最悪の後継者にもなりそうで、この出会いに少しの恐怖すら感じます」
永遠に憧れる男の前に、方法も、経緯も、枷も、その不変性ですら恐らく及第点──いやそれ以上と言ってもいい。そんな存在が都合よく現れて、誰かに命を預けたいとまで言う。
奇跡的な運命と片付けるには、些か度が過ぎる。
「同意見だ、俺も少し気味が悪い──だが、悠長にもしていられない。助けて貰っている身としては言いにくいが、俺達は既に人狼の縄張の中にいる。最良として協力するか、最悪として捨て置くか、選択肢は君の内にあるが、今生の頼みに近い……これだけは嘘偽りなく、早急に判断して伝えてくれ」
「何故……急に『君』なんて、貴方の二人称は──それに、ゲームは私達の勝ちではないのですか?」
ここから先は命が関わるから──信仰する君に最大限の敬意を払いたい。
「君を真似てみたのと、よく考えれば年上だろ? お前じゃ無遠慮だし、貴方じゃ少し遠い。それに加え、意外と馴染んだ──そして、ゲームは狩人が一晩凌いだだけ、称賛されることであっても、それだけでは勝ちにならない」
「そんな、──でも犬迫さんには勝ち目がない、そうでしょう?」
「いや、俺が今思いつくだけでも幾らかある──ゲームマスターの心内は聞いただろ? 諦めないと。そして求める結果をも、俺達は既に知っている。世界に牙を剥けるという重みを語った君が、犬迫には勝ち目がないから手を引くと、そう断言するのか?」
「……そう、ですね。私の考えが甘かったようです──ですが、今更貴方を捨て置く選択肢はありません。少なくとも、このゲームの決着が着くまでは貴方の味方でいましょう」
「いいのか?」
「それは、どういう……そんなにも私は信用出来ませんか?」
気付いていないのか、それとも彼女の世界とやらはそれ程に強固なのか……。
「いや、あー──ここまでの君を見る限り、俺を陥れようとかそういった類のものは見られない。唯、落ち着いて現在の状況を顧みるといい。俺の考えすぎで、可能性にしか過ぎないのかもしれない。それでも、この現状の中に君の望むモノがないか?」
「え、現状ですか、……──犬迫さんが世界を、──……人狼──私という吸血鬼…………あっ……」
頭の回転の速い彼女だ、ソレに直ぐ気付く筈だ──気付かない訳もない。
「気付いたみたいだな。犬迫の世界と君の命、どちらが優先されるのか、そこは俺には分からない。唯、『汝は人狼なりや?』というゲームにおいて、吸血鬼は吊られることによって死ぬ──死ぬことが出来る。君の忌避するモノが他者への責任だとするのなら、一つの選択肢になり得ないか? 単なる誤想で、君の尊厳を傷つけるものかもしれないが、それは一つの事実だ。試してもいいものなのか、試してみる価値があるのかどうか、そこは君の経験で判断すればいい」
「何故……ですか、今ここで言わなければ気付いていませんでした」
「後々気付いてしまうかもしれない──重要な選択肢を迫られた時、味方となった君に心揺らがれては困るしな」
「……貴方に最も大切なことを聞けていませんでした。貴方は何故、自身の命より彼女の──犬迫さんの命を優先したのですか? 選択肢は貴方にあった筈だ、今もそうです、永遠に憧れると言った貴方とその行動は矛盾している」
傍からはそう見えるのか、自分としては一貫しているつもりなんだがな。
「別に、個人的な主義みたいなものだ。犬迫には存外理解があったのか、それとも偶々なのか、どちらにせよ楔を打ちこむと称した諸々は俺にとって効果的で避けたい事柄で違いない。いつからだか決めたことがある──永遠の命を求める自分は他者の命を軽んじない、とな。自身の内だけのもので他者にとっては何の価値もなく、抱負と口にするには馬鹿げたものでしかない。だが、例えばだ。あの場で犬迫を迷いなく躊躇いなく吊ったなら、君は俺に正体を明かしていたか?」
「……分かりません」
そこに打算があった訳ではないが、それでも恐らく、なかった筈だ。
「俺は別に聖職者になりたい訳じゃない。人一人の命が消えて──永遠を求めて、もしその永遠を手にした時、囚われるような何かを背負っているべきではないと結論付けたに過ぎない」
「囚われる、ですか……?」
結果論にすぎないかもしれないが、この結論に従って生きて来て後悔をしたことはないし、予定もない。
「要は罪や罰、復讐やらといった負の感情だ。長い時間を生きる訳だ──ふとした時にその罪に躓くかもしれない、復讐の機会はそれこそ永遠とある。永遠を得たとしても、それを楽しめなくては意味がない。そういう事だ」
「待って下さい。あの選択を迫られた時、貴方は私が吸血鬼だと──永遠の存在だと認識していた訳ですか!?」
「いや」
「なら、何故!? あるかどうかも、得られるかどうかも定かではない中、何故そんなにも簡単に命を投げ出せるのですっ!?」
彼女の最も聞きたかったこととは、コレか──命の危機にあって俺が取った行動と、自身の行動を比較した。
「常住死身──昔の武士達が、生涯にかけて己の死を覚悟し、その最後の日まで勤めを果たすという精神の在り方だ。俺が求めた勤めとは永遠であり、同じく、死をも覚悟の上だ。まぁ、この精神の在り方と矛盾し、侮辱するような話だが──……君とはまた状況が違う」
「何を……」
どうやら、答えは出なかったらしいが……。
「今回の件に限って言えば、勝ちは勿論、引き分けでさえ掴める見込みがなかった。簡単に命を投げ打ったように見えたかもしれないが、熟慮の上だ──もし俺が、君と同じ時、同じ場所で命の危機に晒されたなら、俺は醜くも足掻き続けていた筈だ……君と変わらない。むしろ、そこでもし母親が命を代わりにと言うのなら、慎みをもってその命を受け入れる。互いにどんな思惑があろうと、仮初でもいい、意思が重なったのなら君の行動は間違いじゃない──俺は、そう思う」
「え……」
「家族なら尚更、な」
「別に、私は……そんな、」
一筋──積もった朝露が、葉から零れるように落ちた。
「わ、っと、おい泣くなって。今のは俺の考えであって、一般論でもあって──あー、この先もし生き続ける気があるのなら、もう少しマシな人材と言葉を交わせるかもしれないってのをだな」
「す、んぅ──ち、ちょっと待って下さいね。すん、悲しいとか、ではなくて、ですね」
抱えていた年月は未だ知らないが、朝露にしては随分と溜めこんでいたらしい。
「分かった、少し待つから。あー、飲み物でも買ってくるからそれまでに、な?」
「はい……すみません」
声なく流れ続ける涙は神秘的で、
「参ったと、言わざるを得ない」
時間的には悪くなかった、五限目の修了のチャイムから約三分──確認しておくべきことがある。
「よう、無事だったか」
「いやいや、何に対してだよ」
考えられる負け筋に対して、だ。
「ならいい」
「いやオレはよくないけどなっ」
昼休みの頭から十分──大きな動きが無かった故、良しとしたが違いないらしい。
「一つ聞きたいんだが、この街のマンションの地下駐車場でそれなりに大きな事件、事故として扱われたと聞いて何か浮かぶものはあるか? 幾らか前の話かもしれない」
「オマエな……、さっきの授業は──あー、確か三十年くらい前か、生まれる前だが自殺で巻き添えでってのを聞いたような。家に帰れば分かると思うが?」
一つの負け筋として、澤村を人質のように扱われるというのがある──それは犬迫にとって最終手段であると、ここで仮定するのは早計だろうか? 幾らかある内で、最も容易く安全な負け筋は早乙女を取り込まれてしまうこと。人狼は、言わば多数決のゲームだ。昨日のアレは得票数が同数だったための特別措置──本来であれば再投票、及び無作為の処刑から選ばれて行われる。前者はするまでもなく、後者は佐藤にまで危害を与える可能性を犬迫は許容しない。
「──いや、今回はいい。参考になった」
「オマエ、大丈夫なのか?」
引き分けを打ち続けられる可能性が出た程度にはな。
次に易いのがゲーム上、何らかの形で早乙女が処理されてしまった場合──この時点で俺は昨日と同じ状態になり詰む。
「九回裏で同点、ノーアウト満塁を守る感じか?」
「炎上してるじゃねぇか……」
早乙女を恨むような人材をプレイヤーに加える、澤村辺りの票を取り込まれる、可能かどうかは知らないが、俺と早乙女を物理的に分断して事を起こすことだって考えられなくはない──率直に言ってしまえば、可能性は無数とある。
「抑えで出てきたピッチャーが優秀なんだよ」
「オマエそれ、ファンの現実逃避に近い願望で終わるパターンじゃ……」
何にせよ、早乙女の協力が最低条件と言う訳なんだが、……どう転ぶのやら。
「少なくとも俺は、そのピッチャーが嫌いじゃない」
「ほう、オマエにそこまで言わせる協力者がいるとはねー」
「馬鹿──まぁいい、俺行くわ。体調を崩したとでも言っておいてくれ」
「な、オマエ──……ああ、行ってこい。聞いちゃいないだろうがな」
行くか──彼女と、彼女が出した答えが待っている。
正規の出入り口である扉脇で、彼女はそこに変わらずいた。
もしかして、まだ泣いているのか……?
「……よう、林檎ジュース的なヤツと微糖なコーヒーどっちがいい? 奢りだ」
「あ、青鹿さん──すいません。では、林檎ジュースを」
「君の飲食を見たことが無かったが、結局はそういう理由か?」
「そうですね、結局はそうなのかもしれません──私の場合、最低限の水分があれば事足りてしまいますから」
そういう言い方をするということは、やはり……。
「別に食べられないってことはないんだろ?」
「ええ──貴方にはもう少し、語り伝えるべきなのかもしれませんね」
「ん、ああ、そうかもな」
「私個人については、先程話した以上のことは必要ないと思います。貴方が知るべきなのは、吸血鬼の生態について──私が協力者として貴方にお伝えします」
流した涙が彼女に変革をもたらしたのだろうか。
後ろ向きな感情が消え、心晴れた面持ちで歩み寄る姿に……少々困惑した。
「お、おう。いいのか、最悪の後継者になる自信もあるぞ?」
「今すぐにとは思いませんが、少なくとも私が持つより生産的な筈です」
悪くない──自分の意志を持った迷いのない答えだ。
「そうかい」
「まず生命活動の維持についてですが、これは先程も言ったように最低限の水分を得ていれば問題ありません。具体的に言えば、年単位で何も口にせずとも万全の体調でいられました──そもそも、体調の減退を感じたことがないのです。先の、最低限の水分をという話も、口の中にモノを入れたいという欲求を満たす程度の役割しかありません」
「その時点で無茶苦茶だな」
「貴方が言った不老不死の化け物、実際はこれが一番近い表現なのかもしれません──次に特殊な技能に関してですが、私は目を合わせることで、他者をある程度支配下に置けます。今こうして学校に大事なく通えているのも、この力のおかげです」
「今さらりと、怖いこと言ったな」
「いえ、あのっ、ずっとという訳ではなくてですね。入学上の手続きであるというか、その他諸々の緊急時だけで、常にという訳ではないですよ……?」
母を尊敬すると言った彼女もまた、その尊厳を大切に抱いている──あくまでも、人としてこの場所に通いたかった、そういうことなんだろう。
「そうか──答えられるならでいいが、何か制限やら、弱点は?」
「えー、目を隠される……くらいでしょうか」
「それは前提条件であって──何て言うかな、制限時間があるとか、同時には行使出来ないとか、そういうのを聞きたかったんだが」
「いえ、そういったものは特に──唯、試した訳ではありませんが、犬迫さんのように自身の世界を持つような存在には効きが悪い筈です」
「ん、試したことがないのにどうして分かる?」
「母が記憶の中で一度、そうした存在と交戦していました」
「俺が、というか一般に知られていないだけで犬迫みたいなのは珍しくないらしいな」
「母が何度経験しているか──朧げな記憶からでは何とも言えませんが、私は既に三度ですからね」
「三十年、で三度だと十年に一回の頻度か……」
「ひぇい──なな、な、何故三十年とっ!?」
自然と零れたのが半分、途中で丁度いいとしたのが半分──その言葉は随分と彼女の心を揺さぶったらしい。
「いや、そんなに驚かれるとは──何かすまん」
「いえー、決っして、色々な意味で恥ずかしいとは思っていませんよー」
愚昧なる信徒を諭すような視線が痛い。
「悪かったって、いやー存外に大当たりしたと言うか──あー、この話は後にしよう」
「そうですね、出来れば後であっても触れて欲しくないですね」
「分かったって──……一つ、現実的な質問をしよう。君は犬迫を、あの人狼を無力化出来るか?」
「……難しいとしか──私は母と違って、他者を物理的に攻撃する手段を持ちません。先の二度も直接に関わった訳でなく、第三者の立ち位置で、行く末を見守るものでした……ですから、貴方のその期待には応えられません」
「そうか、なら仕方ないな──どうしても、人狼というゲームの中で勝ちを拾わないといけないらしい」
「勿論縄は引かない訳ですよね?」
「そうなるな──だが、そうするとゲーム上での勝ち筋はない。吊るという選択肢を放棄する以上、こちらは常に受け身になり、いずれは敗北する。ここまで聞いておいてアレだが、今言ったように非常に劣勢な訳だ……気持ちは、変わらないか?」
「ええ、その敗北の日まで協力者として見届けます」
それは不死故の慢心の言葉とも取れた……
「──君の命に危険が及んだとしても?」
「私が貴方を護るように、貴方は私を守るのでしょう?」
だがそれは、俺の個人的な主義でしかないものを理解しての言葉だった。
「試したようになってすまない──そして礼を言おう。ここまで理解を得られたのは初めてだ」
「どうも──それに、貴方がこうして醜くも足掻いているのは可能性があるから、でしょう?」
理解があるということを好ましいと、これ程感じたことは未だかつてない。
「まぁな、本来のゲームではありえない……誰も死なない平和な日々の中で、無益と新たな誓いを訴える。この特殊な状況が続く限りの、盤外の一手だ」
「無益と新たな誓い……ですか?」
当然か……心の内をここまで曝け出したは初めてだ。
理解される筈がないと、諦めていた。死に瀕した際の、神へと祈る心境に近かったと思う──あぁ、神様の如く信仰するとはあながち間違いじゃないらしい。
「その、何だ、君や犬迫のような存在が許されるという事実を知った。ならば俺は、そうなれるようにと、確信を持って歩みを進めることが出来る。例え君の意思が変わったとしても、いずれ自分で至ればいい──遠回りをしなくてよくなったんだ。佐藤とのことは……端的に言ってしまえば、命が惜しいと、憂いたが故のこと。その憂いが霧散した今──犬迫と、佐藤の願いに答えることが出来るかもしれない。その可能性を対話の中で探す、それが俺の答えだ」
「本当に自分勝手な人です」
「ああ、その通りだ。この状況が何時まで続くのか分からない、答えがあるのかも分からない、受け容れられるかも分からない……、どうする? 泥船も泥船──今なら下船も可能だが?」
「気持ちは変わりませんよ──今回の件で、私がどれ程の役に立てるかは分かりませんが、貴方が船を降りるその日までお供します」
「そうか──これで心置きなく、犬迫と対等な立場で向き合えることが出来る。……それにしても、君に守られなければ対話すら出来ないとは、些か情けない」
「──貴方が誠実な人だから」
「あん?」
「事ここまでに至って尚、佐藤さんを頼らないのは何故?」
そういうことか。
犬迫との会話を全て聞いていたのなら、佐藤とのあの会話も同じく聞いていた筈だ。
「そっちも、聞いていたか……」
「いえ、話の内容までは流石に遠慮しました。ですが彼女なら、全てを知り壊れることなく貴方達二人に協力してくれるでしょう。それをしないのは、貴方が貴方なりの義を貫いているから──責める訳ではありませんが、その誠実さは全ての真実を知ることになった時、彼女に寂しいと感じさせるかもしれませんよ」
「その時はその時で、頭を下げるしかないな」
「ええ、そうですね……貴方の主義と、佐藤さんへ通す義は、歪ながら正当だと私は思います。そして、それは犬迫さんも同じ──彼女という存在に命を懸けることが出来る。その一点をもって、貴方達二人は同じ檜の舞台を踏んでいる」
言葉の意味は分からないではないが……、
「何が言いたい?」
「貴方が情けないなどと、そんな訳がないということです。貴方は肉体面で言えば、確かに人です。しかし、その精神面を窺い見た時、私では及ぶことの出来なかった位置にいます。私という協力者を得た貴方は、既に犬迫さんと対等に向き合うだけでなく、同等な立場で語り合うことが出来る存在です──負けないで下さい。私はまだ、死にたくありませんよ」
「発破という訳か──有り難く受け取ろう」
「私も足を引っ張らない様に頑張ります」
「まぁ、こうして首尾よく方向性が決まったのは喜ばしいが、それはそれでまた現実的な問題が浮上する訳だがどうしたものか……」
「……負け筋への対策ですね」
「いや、それもなんだが──俺は君に守って貰わなければならない。だが、四六時中俺に付いて回る訳にはいかないだろう」
「え、付いて回ればいいじゃないですか」
何だ──この、初めて感じる常識が通じない感じは……?
「いや、それは女の子的な……?」
「私、吸血鬼ですよ」
あー……、これは、
「いや、そんな──子供扱いするな、みたいなノリで言われても」
「それに、今更の指摘です。既に、また明日と別れた昨日から今日ここまで、貴方に付いて回っていました──気付いてなかったでしょう?」
文化の違いというか、種族の違い……?
「おい、さらりと怖いことを言ったな」
「最低限のプライベートは守ります──これ以上の手は無いと思いますが……?」
違う、そうじゃない、そこじゃないんだ。
「違いない訳だが、長丁場になる可能性もあるぞ」
「仕方ないことです」
「夜は寒い上──狼が出るぞ、と続けば童話のソレだな」
「では私は──心配しないで下さい狩人ですから、と続けましょうか」
「真面目な話、君に掛かる負担が多いように思う」
「有事の際を考えれば、妥当と思いますが?」
「……痛みが無い訳じゃないんだろ?」
「それは、まぁ──……相手は独立した世界のようなものですから」
あー、駄目だ通じない。
ナイトウォーカーとまで称される吸血鬼に、ここまでの心配は逆に愚かなものなのかもしれない。いずれ至るとして、この申し出を受け入れるべきなのだろうか……、
「あー──こう、何、試用期間……? 君の半分以下の力でもいい。俺も吸血鬼になれたなら、こんな心配はなくなるんだがなー……」
「そう都合の良いモノでは──……えっ!? ママ──……?」
その一瞬──夜を闊歩する鬼が溢したのは、昼を生きていた少女の言葉だった。