燃える石
昭和の終わり頃まで、雪国の家庭の中心には「ストーブ」があった。ストーブ、と言っても電気や石油などではない。
「石炭ストーブ」だ。
平成生まれの人にはなじみが薄いであろうが、昔は家庭の真ん中に、大きな黒い固まりが鎮座していたのだ。
鉄製の本体は正面に扉が付いており、開けると中はがらんどう。扉と反対側、もしくは大きなものだと天面に丸い穴が開いていて、そこに煙を外に逃がすための煙突が付く。
本体の中に薪を数本、空気の通り道を確保しながら突っ込んでいく。所々に新聞紙を入れておくと火の回りがよい。
そうして最後に、全盛期は「黒いダイヤ」ともあだ名された石炭をごろごろと放り入れ、火をつけた新聞紙を置いて、周囲に燃え広がるのをしばし待つ。
暖まるのに時間が掛かるのがネックだが、一度燃え出すと長い時間、暑いくらいに部屋中を暖めてくれる。
時々火掻き棒で中を掻き、新しい薪と石炭を足す。乱暴に掻くと灰が舞い上がり、部屋が真っ黒になる。そしてかなり熱く危険なので、作業は大人の仕事だった。
ストーブの天面は平坦なので、そこに薬缶や寸胴に水を入れ乗せておく。すると下からの熱で湯が沸き、湯気は乾いた室内を潤す。沸いた湯はお茶を入れたり、寝る前に湯たんぽに入れたり。高熱の天面に網を置けば、餅や干し芋、スルメを焼ける。
石炭ストーブ一つあれば、何かと便利なのだ。
寒い冬の朝、一等最初に起きるのは父だった。
父は起きるとまず、ストーブに火を入れる。薪と石炭のガラガラ、ゴロゴロという音が薄い鉄製のストーブに響き、煙突を震わせる。
火が付いたのを確認すると、寸胴に水をたっぷり持ってきてストーブに置く。石炭入れが空になったら、家の外にある石炭小屋から新しい石炭を運び入れる。
一連のルーチンを済ませる頃にはすっかり居間が暖かくなっており、家族も起きて湯たんぽの中の、まだ幾分温かい湯で顔を洗うのだ。
父がストーブの火を掻き、新しい石炭を足すところを見るのが好きだった。
命が尽きるかのように小さくなっていく赤い光の上に、無垢な白い木肌と、黒くピカピカ輝く宝石が置かれる。今にも消えそうだった炎が生まれ変わったかのように再び燃え上がる様は、幼心に妖しく、美しく映った。
そんな「燃える宝石」の栄華は徐々に翳りを見せ、各地にあった炭坑は次々と閉鎖していく。それに伴って各家庭でも石炭から、石油ストーブなどの代替品に移っていった。
とうとう我が家も時代の波にあらがえず、石油ストーブが導入されることに。
家の真ん中に、まるで小さな機関車のようにどんと据わっていた黒い姿が、ばらばらに壊されていく。
一つの時代の終わりが、そこにはあった。
新しく来た石油ストーブはピカピカで、その炎は今まで慣れ親しんだ、不規則に燃え上がる生き物のような動きは全くせず、ひたすら機械的に、静かに仄明るい。
古い物を取り去って新品を迎えた嬉しさがしばし家族を包んでいたが、やがてその興奮も醒めると無機質な炎が物足りなく感じ、こまめに手を掛ける不便さも懐かしくなるのだから、人とは全く現金な生き物だと思う。
平成も三十年近く経って、今は冬になると電気ストーブを引っ張り出す。
生温い風を逃すまいと送風口の前に陣取る度、強烈に家中を暑くした石炭ストーブの威力と、がらがら、ごろごろという音が無性に恋しくなるのだ。




