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山神

作者: くけここま

 僕の生まれた村は山の斜面にある小さな村だった。

 四方を木々に囲まれ、村を出る道も一本だけ。それも小型トラックがようやく一台通れるぐらい細い道だ。

 家の数は両手の指で数えられる程度で、住人も大人ばかりである。

 そんな村だと子供も僕一人だけで、これといった遊び相手もいなかった。

 僕は毎日隣町の学校から帰ると、すぐに近くの森に出かける。そこら辺に落ちている木の枝を振り回し、たまに見かける動物を追い回して遊んだ。

 少しずつ体も大きくなって、でもじっとしていられるほど大人でもなかったある日、鬱蒼と生い茂った森の奥に大きな岩を見つけた。

 薄暗い森の中でその場所だけはぽっかりと空間が空いている。天上から差す陽の光に照らされ、その大岩は静かに鎮座していた。

 僕の体の何倍もあり、苔むした表面に太いしめ縄がぐるりと巻かれている。その威容は場の静謐な空気と相まって問答無用に見る者を圧倒した。

 幼い僕は見上げて感嘆のため息をもらし、同時に少しがっかりした。しめ縄が巻かれているということは他にもここに来た人がいるということだ。どうやら僕だけが知っている秘密の場所、というわけにはいかないらしい。

 途端に興味が失せて元来た道を戻ろうと歩を進めた時、頭上から声をかけられた。

「なんじゃ、もう帰るのか」

 はっとして振り仰ぐ。さっき見上げた時には誰もいなかったはずなのに、そこには少女が立っていた。

 白を基調とした装束に身を包み、大岩の上で仁王立ちしている。見たところ僕とそう代わりない歳のはずだが、腕を組んで見下ろす様は時代がかった言葉遣いのせいもあって尊大な印象だった。

「……君は?」

 おそるおそる尋ねると彼女は小さく鼻を鳴らす。

「こら、人に名を尋ねるときはまず自分から名乗らんか」

 諭すように言われて僕は少しムッとする。でも答えないことには先に進めない気がして渋々口を開いた。

「……冬弥」

「うむ、冬弥よ。見違えるほど大きくなったな」

 名を聞くや否や破顔して親しげに話しかけてくる少女に眉を寄せる。以前どこかで会っただろうか。少なくとも自分にそんな覚えはなかった。

「前にどこかで会ったかな」

「ああ。だがお主は覚えておらんだろうな。かれこれ十年ほど前だ。お主がまだ歩くこともできん頃だよ」

「……はぁ」

 十年前となれば彼女だって相応に小さかったはずなのだが、信じられないことに彼女は僕のことを覚えているらしい。でも下手に言い返すと馬鹿にされそうな気がして、僕は話題を戻すことにした。

「それで、君の名前は?」

「ああっ、そうであったな。すまんすまん。我が名は、と言ってもどうせ覚えられんじゃろうから短くシロで良いぞ」

 シロと名乗った少女はそう言って僕の身長を超える高さの大岩から飛び下りる。あわてて受け止めようと駆け寄ったが、彼女は難なく目の前に着地した。

「……足、大丈夫なの?」

「問題ない。このぐらいワシには造作もない事よ」

「なら、いいけど……」

「うむ、では行くぞ」

 彼女は返事も待たずに僕の腕を引いて歩き出す。向こうは面識があるらしいが、僕からしてみればまだ会ってものの数分。よく知りもしない相手に主導権を握られるのはどうにも面白くなかった。ずんずん進んでいくシロの背中を恨めしげに見つめながら仏頂面で引きずられていく。

 でも不機嫌でいられたのもそう長くなかった。やがて森の奥から水音が聞こえ始め、しばらくして視界が開ける。

 そこにあったのは小さな、けれど子供が川遊びをするには十分な大きさの小川だった。

「どうじゃ? ここは知らんじゃろ」

 得意そうに胸を張ってみせるシロに僕は頷いた。

 毎日走り回っている森の中にこんな場所があったなんて知りもしなかった。もちろん、村からあまり離れすぎないようにと気をつけていたせいもあるが。それでも何年も遊び場にしていた森に自分のまだ知らない場所があったのだ。わずかに悔しく思い、それ以上にまだ見ぬ場所への期待が胸の内で大きく膨らむ。

「ほれ、ぼうっとしてないで早う遊ぶぞ。時間は有限なのじゃからな」

「うんっ」

 川魚の群れの中に彼女は飛び込み、靴を脱いだ僕もそれに続く。指の間を冷たい水が通り抜けていく感覚を心地よく思いながら、僕らは日が暮れるまで川で遊んだ。

 初めての川遊びは本当に楽しくて、時間があっという間に流れていった。同じ年頃の子と一緒だったというのも大きかったのだろう。気づけば夕日が山の尾根に差し掛かり、斜陽を遮った木々が波打つ川面に濃い影を落としていた。

「……まずい、どうしよう」

 橙色に染まる空を見上げて、日暮れまでに家に帰れないことを悟った僕は背筋が寒くなる。両親のカミナリを想像して身震いした。けれどシロは慌てることなく、相変わらず自信満々に言ってのける。

「なに、心配するな。ワシが家までの近道を教えてやる。ついてこい」

 ついてこい、などと言いながらまたしても僕の腕を鷲掴みにする。そして驚くことに歩いてほんの数分で家の裏手に着いてしまった。

 僕は理解が追いつかず呆気にとられる。

 家の裏手はこれまでに幾度も探索している。そして知っている限りじゃ裏手に川なんてなかったはずだ。あったとしてもそれは僕の足で行けるほど近いわけがなく。つまり、

 つまりどういうことだ?

「ほれ、さっさと行かんか。親御が待っておるのであろう?」

 混乱する僕の背中をシロは軽く叩いて促した。去り際、頭の片隅に浮かんだ疑問を振り返って問う。

「また会えるかな……」

「うむ、明日も大岩のところで待っておるぞ」

 当たり前だと言わんばかりの言葉を聞いて嬉しくなった。

 シロは不思議な少女だ。でも不思議と怖い感じはしなかった。むしろあの楽しい時間をまた過ごせるかどうかが、この時の僕にとっては重要だったのだ。

 それからは毎日大岩に通った。訪れるたびに彼女は律儀に待っていてくれ、毎度僕の知らない場所へと連れて行ってくれた。


 中学生になり、高校受験を考えるような歳になると、さすがに山で遊ぶようなことはなくなる。そもそもシロに会いに行くような時間がなかった。

 隣町への通学は片道で一時間ちょっと。それに加えて日々の宿題と受験に向けた勉強が僕の自由時間を大幅に削っていた。

 机に向かい参考書を開いていると、時折ふっとシロのことが頭をよぎることもある。しかし、この頃にはシロがどういった存在なのかは薄々感づいていて、所詮人間である僕とは縁遠い存在なのだと、そう考えるようになっていた。

 なにより高校は地方の全寮制の学校を選ぶつもりである。ならば疎遠であることに今から慣れておいた方がお互いのためである。そうも思えた。

「おう、そろそろ受ける高校は決まったのか?」

 街灯のない暗い砂利道をライトを頼りにトラックが走っていく。運転席に座るオジサンの隣で僕は頷いた。

「そうか。冬弥はウチの村唯一の子供だかんなぁ。是非とも偉くなってもらいてぇもんだ。そうすりゃ俺らも鼻が高いってもんよ」

「……わかってるよ」

 もう何度聞かされたかわからない与太話に辟易しながら呟く。村の者としては僕が当然戻ってくるものだと思っているらしい。しかし、僕にはその気がまったくなかった。

 だってそうだろう? なんだってこんな不便な村に戻ってくるというのか。娯楽もなく、仕事もない。あるのは山だけだ。日々の食料だって定期的に隣町に出かけないとまかなえない。衰退していくしか未来のない村にどうして若者が戻ってくると思うのだ? 心底不思議でしょうがない。

 僕は隣に聞こえないようにそっとため息をついた。

 ため息の数だけ幸せが逃げていく。そんな迷信をなんとなく思い出した時、突然車内を大きな振動が襲った。

 ゴドッ!

 という鈍い音が足元から聞こえ、一瞬の浮遊感に胃がせり上がる。運転席から短い悲鳴があがり、ライトの明かりが地面に明滅する。何か大きなものを轢いた。そう理解するのと同時にコントロールを失ったトラックは暗闇へと突っ込んでいった。

「……っ……うっ」

 鈍器で殴られたような鈍い頭痛に目を覚ます。

 気を失っていたのは数秒か数分か。気づけば上下の反転した車内で僕は昏倒していた。暗がりに慣れた目で窓の外を見渡し、トラックが崖から落ちたのだと理解する。

 変に折れ曲がった体勢を何とかしようと体を動かし、足元からの激痛に息を詰まらせた。

 落下の衝撃で開いたエアバッグで足元は見えない。でも何かに挟まれて動かせないことだけはわかった。

 これでは助けを呼べない。その考えに至り、ようやく隣席の存在を思い出す。

 そうだ。自分が動けない以上、助けは彼に呼んでもらうしかない。

 そう思って右隣を振り返ると、そこには物言わぬ彼が横たわっていた。

 運がなかったのだろう。落下の際に窓を突き破った枝に絡めとられ、彼は微動だにしなかった。

 眼前の光景に僕は言葉を失う。一歩間違えば自分もこうなっていたのだ。そう思うと冷たい汗がどっと出て、体の奥底から震えが込み上げてきた。心臓が早鐘を打ち、それに比例するように呼吸が早くなる。

 けれどそれは結果として良かったのかもしれない。耳の奥で聞こえる自分の鼓動がまだ生きているのだと自覚させてくれた。

 足元からの突き刺すような激痛を呼気と共に吐き出し、どうにか冷静さを取り戻す。冷や汗と震えはいまだ止まらなかったが、それで十分だった。電波の届かない山の中で、満足に動けない僕にできることなどたかが知れている。

 微かに草の香りの混じった空気を吸い込んで、胸が張り裂けんばかりに叫んだ。静寂と夜闇に満たされた虚空に救いを求める言葉が溶けてゆく。

 どれだけそうしていたのか。やがて声が枯れ、激痛と暗澹たる未来に意識がぼんやりしてきた頃、耳元で僕の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。

「……や、……ろ、……っきろって言っとるんじゃ、このど阿呆っ!」

「ぅべっ!」

 頬に感じた衝撃に、一瞬何をされたのかわからず目を白黒させる。

 下半身の鋭い痛みとは別に、火傷したようにヒリヒリと痛む頬を押さえ、彼女と目が合った。

 見間違えるはずがない。シロだ。

 久しぶりに会った彼女は、やっぱり昔と一切変わらない容姿で、しかし見たことのない泣き顔を浮かべていた。

「ったく、本当に心配したんじゃからな」

「う、うん。ごめん……」

「もうよい。生きていてくれたんじゃからな」

 周囲から圧迫された窮屈な空間で彼女に抱擁される。幽霊のように半透明で実体がないというのに、不思議と暖かさを感じた。

「すまぬ。儂の力は無機物にはどうにも通じんでな。もう少しで助けが来るから、それまで我慢するんじゃぞ」

 彼女は申し訳なさそうに呟き、それから自分の力で助けてやれなくてすまないと頭を下げた。僕は気にするなと答えたが、果たして上手に笑えていただろうか。彼女の泣き顔をこれ以上見たくない一心で懸命に表情を作った。


 しばらくして僕は隣町の救助隊に助け出されて一命を取り留めた。

 非常に退屈で手持ち無沙汰な時間を病室で過ごし、退院したその日のうちに村に戻って山に入る。幼少の頃は遠いと感じていた距離も歩幅が大きくなった今ではそうでもないらしく、思っていたよりもあっさりと大岩に辿り着く。

 シロは初めて会ったあの日と同じように、大岩に仁王立ちしていた。

「もう大事ないか?」

「うん。えっと、助けてくれてありがとう。助かったよ」

「気にするでない。それがワシの役目じゃからな」

「う、うん……」

 どこか突き放した態度のシロに当惑する。なんと言って会話を広げたものかと思案している間に、彼女の方から口火を切った。

「……お主の父から聞いたのじゃが。お主、村を出るんじゃな」

「うん、まぁ。ここから通える学校もないし……」

「じゃが、その後もここに戻って来んのだろう?」

「……」

「……そうか」

 彼女は小さく呟き、軽く岩を蹴って飛び降りる。あの日と同じ、陽に照らされた大岩の前で僕の隣に降り立った彼女。ただ一つ違うのは彼女の浮かべた表情だけだ。

「まぁ、お主の人生じゃ。お主の好きにするが良い」

 そう言って儚げに笑うシロを直視できなくて僕は俯く。

 彼女と僕は違う。年齢も性別も在り方も、何一つとして同じところなんてない。

 それでもこうして言葉を交わせる以上は、互いに少なからず影響を与え合うのだろう。それは当人の望むと望まざるとに関わらず。こうして言葉を交わしている今も。……だから。

 だから、今ここで変えてしまってもいいんじゃないだろうか。

 たとえ手の届かない存在でも、出来る限り寄り添うことはできると思う。それは誰のものでもない。僕の意思の問題だ。

 そうさ。彼女が言ったように。

 これは僕の人生なのだから。


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