テスト×テスト×テスト(1)
カルト・ハダシュトはティルス地域で一、二を争う大都市なだけあり、とても賑やかな街だった。
客引きの声が飛び交う中、砂糖菓子を山盛りにした大きな丸い鉄の盆を頭に戴き歩く少年が、華やかなスカートを揺らして闊歩する少女たちに声をかける。
舗装された石畳の大通りは、交易商や貴族の馬車が行き交い、立ち並ぶ露天には、色とりどりの野菜や果実が堆く盛られていた。
その、一つの店に東西の食物が同居する様は、まさしくルブナーン国の縮図だった。
東からも西からも多くの文化的影響を受けたルブナーンは、まさに百色国と東方表記されるだけあり、様々な文化が混沌とする、華やかな独自の発展をしてきたのだった。
太陽が中天に差し掛かる頃、アルバートとヒューズはカルト・ハダシュトに到着した。
それは受験の前日だった。
アルバートは、ヒューズと別れると、まず、寮の申請に向かった。
――アラベスクの国家試験は、半年近く拘束される大掛かりなものなのである。
四人部屋に案内されたアルバートはさっさと荷物を置き、街を散策した。
翌日、適当に朝食を済ませると中央に聳える区役所に向かった。区役所の建物は、東、西、中央の三つの塔からなっており、受験期間中は、東西の二つの塔が受験会場として解放される。
「試験開始時刻の三十分前には、こちらの衣服に着替え、席に着席していてください。試験監督より、試験の説明があります」
東塔一階の受付から制服を受け取ると、アルバートは着替えのできる場所を探して、建物構内を歩き回った。
大理石の廊下は受験生でごった返していた。
染め士の受験会場である東塔は、見事に男ばかりだ。
精霊と戦闘のある危険な職なのだから、当り前と言えば当り前だったが……だからこそアルバートは不服だった。こうまで男だらけだと言うのに、何故、着替える場所など探して歩き回らねばならないのか。人目を憚らず着替え出す者がいないのだから、アルバートも倣うしかない。みんな、育ちが良いのだと思い知った瞬間だった。
「何だかんだと、緊張してきたな」
廊下を闊歩しながら、アルバートは程良い息苦しさを感じていた。
自信はある。
しかし周りは自分よりもっと凄いのだと言う錯覚が飛来する。
失敗の不安と、やっと評価される場に来られた喜びが、胸の内でせめぎ合っていた。
「ヒューズの奴、ちゃんと受付済ませたンだろーな。なーんか、どっか抜けてっから心配なんだよなぁ」
機織りとは受付が違う。
染め士は東塔、機織りは西塔だ。寮ももちろん別だから、縁が無ければ、もう二度と会うことはない。
二、三日、旅を共にしてきて、連絡先一つ訊かなかったことに、今更アルバートは気付いた。
「……ま、二次試験で会った時にでも聞きゃいっか」
二次試験は、染め士と機織りがペアとなり、実際にアラベスクを作成する。
今焦らずとも、その時の顔合せで知れる、とアルバートは気にしないことにした。彼は自分とヒューズの合格を露とも疑ってはいなかった。希望的観測と言われればそれまでだが、そんな確信にも似た予感があるのだ。
「アルさん」
と、中央塔までやってきた時、不意に声をかけられた。驚き振り返れば、見慣れた顔があった。
「ヒューズ!――――うおっと。やっぱ、厭味な存在だな、お前」
「え? え?」
「いや。こっちの話」
よほど縁があるのだろう。
今さっきまで考えていた友人との再会に喜色を浮かべかけたアルバートは、目を細めると、これみよがしに嘆息する。
機織りの制服は、黒地上下の染め士に対し、白地のシャツに白地のズボンと決まっている。だからうだつの上がらない機織りが、「デッド・マン」などと呼ばれるのは、死刑囚に擬えてのためだったが……足の長いヒューズは、憎いほどに、見事に白を着こなしていた。
「っつか、お前、何処で着替えた? どこの便所も長蛇の列でさ」
「中央の地下は全然人いませんでしたよ」
立ち止まって話をするのも邪魔になると、二人が脇に寄った時、ちょうどタイミング悪くヒューズの肩にぶつかる者があった。
「あ、っと、すいません」
「何処見てるんだよ!」
慌てて謝罪したヒューズに苛立たしげな声を飛ばしたのは、アルバートと同じ背丈ほどの少年だった。年の頃は、十二、三だろうか。黒の上下に、緑の腰巻をまとい――染め士の受験生だ――耳の辺りでパツンと几帳面に切りそろえられた赤髪や、姿勢の良い様は堂々としていて、身分の高さを誇るようだった。
「ったく、テスト前に怪我したらどうしてくれ――――」
ヒューズを睨め付けた少年は、上気した声で「あ、あなた様は!」と叫び、つり上がった猫目をカッ見開いた。
「ヒューズ様!?」
その声に周りの人間が一斉に振り返った。
アルバートとヒューズは、ひっと短い悲鳴を零して、互いに身体を寄せた。
東塔ほど人口密度は低かったとは言え、それなりの人数の視線が一度に向くと言うのは、なかなか恐ろしい現象だ。
少年は二人の様子など気にも止めず、目を輝かせると、胸元で手を組みヒューズを覗き込んだ。
「う、うわあああ! 本物だ! まさか、こんな辺鄙な会場でお会いできるとは思ってもおりませんでしたよ!!」
「あ、あの……」
頬を紅潮させて、口早に感激の言葉を述べる少年に、ヒューズは仰け反った。
「まさか、本日お受験されるんですか!? ああ! かのヒューズ様がいらっしゃるなんて、ぼくはなんて幸せだろう! お互い尽力いたしましょうねッ!」
集まる視線から逃れようと、ヒューズは身体を縮こまらせ、応える。
「は、はい、あの、こちらこそ、宜しくお願いします」
周囲がざわつき始めた。
困り切った様子のヒューズは、あたふたしながら何とか目前の少年を落ち着かせようとしたが、
「感激だなァ!! ヒューズ様からお言葉をいただけるなんて!」
全てが空回ったようだった。
少年はますます興奮に声を震わせ、目を潤ませた。
「ぼ、僕はそんなに大層な人間じゃ」と、ヒューズが必死に首を振るが、すでに少年は彼の言葉を聞いてもいない。
「あ。申し遅れました。ぼくはミシェル・ニール。今年で十三歳になります! ヒューズ様よりも二つ下で……」
少年――ミシェル・ニールは誇らしげに胸を張ると、大げさな身振りで頭を下げ、ヒューズの手を無遠慮に取った。
「ニ、ニール家って……あ、ああ、染め士の」
「はい! 以後お見知りおきを!」
「は、はあ。でも、あの」
ヒューズはミシェルの怒濤の話が途切れた一瞬をこれ幸いとばかりに、彼の手から自身の手を引き抜いた。
次いでそそくさと、目だけでアルバートを探す。
「すいません。ちょっと僕、話が途中で。――アルさん!」
周りに集まり始めた人集りに押しやられ、少し離れたところに立っていたアルバートをヒューズは見つけた。
呆気に取られる彼の方に移動しようとすれば、行く手をミシェルが遮った。
「お知り合いですか? どちらのお家柄の?」
彼は、アルバートの足下から脳天までを無遠慮にじろりと眺め、口を開いた。
アルバートは意味もなくたじろいだ。
「いや、俺は、道中出会ったってだけで……っつか、俺、着替えなきゃなんねぇし。じゃ、またな、ヒューズ」
適当に話を切り上げ、くるりと背を向ける。
「え、あの……アルさ――――わっ!」
群衆が一気にヒューズに群がった。
ちらりと背後を振り返ったアルバートは、同情に、胸中で合掌した。
頬を染めて彼を取り囲んでいたのは――仕方ないとは言え、見事に男だけだ……。
アルバートは早足に地下へと続く階段に向かった。
何だか、胸の内がむずむずした。
まさかヒューズが、あれほどまでに有名な人物だとは思ってはいなかったのだ。
確かに思い返すだに、彼の織りの技巧は凄かった気がする。が、それにしても。
アルバートはそっと、シャツの上から左腕の紐に触れた。
感じた距離に、何となく寂しいような気持ちが心中に去来する。
「待ってください。あなた、染め士の受験生ですよね。ぼくも着替えなくちゃならなくて。一緒に行きませんか」
と、先ほどヒューズに目を輝かせていたミーハー少年、ミシェルが追いすがってきた。
「…………別にいーけど」
彼には気持ちの良いものを感じてはいないものの、明確に断る理由もなかったから、アルバートは彼をついてくるままにした。
暫くミシェルは無言で、アルバートの隣を歩いていたが、
「それで? 実際のところ、どちらのお家の方なんですか?」
束の間の窺う気配の後、彼はぐっとアルバートに身体を寄せると、小声で問うた。
「は? いや、マジで道中会っただけだが」
「あんなに親しげにされていて、そんなの嘘ですよ!」
「あー…………っつかさ、あいつ、何者なの」
アルバートがうんざりと逆に問い返せば「えっ」と、ミシェルは固まった。
彼は目をぱちくりさせてから、あたふたし始める。
「ほ、本当に? 本当に道中お会いしただけ? しかもヒューズ様を知らない、って」
真実を探し出そうと、じっとアルバートの顔を覗き込んだ彼は、やがて眉をハの字にすると、鼻から抜ける笑いを落とした。
先ほどの押しつけがましい親しさとは打って変わった冷めた表情になる。
「なるほど。身分を隠しているのかと思ったけれど。確かに、隠すも何も汚い身なりだね」
目を細めてアルバートの全身を改めて眺めた彼は、つん、と顎を反らすと問うた。
「それで? 庶民ごときがどうしてここに?」
「ああ? ンなの決まってンだろーが。受験しに来たんだよ」
「そんなことは訊いていませんよ。どうしてあなたは染め士になりたいのか、と訊いているんです」
高圧的な態度に、さすがにむかっとしたアルバートは、鼻に皺を寄せた。
「それこそ愚問だな。決まってんだろ。凄ぇ染め士になったら色々捗ンじゃん」
ミシェルは一瞬、目を見開いてから、フッと低く笑った。
それから嫌悪感を隠しもせず、ポケットからハンカチーフを取り出し、口元を覆った。
「だろうとは思ったけど。まったく、庶民のくせにヒューズ様と親しくされるなんて、汚らわしいったらないよッ!」
彼は盛大な舌打ちをすると、アルバートにビシリと人さし指を突きつけた。
「その下賤な耳に告げるのもはばかれるけど、ぼくは親切なんでね。さっきの質問に答えてあげよう」
ハンカチを顔から離し、彼はたっぷりと間を設けてから、誇らしげに告げた。
「あの方は、ヒューズ・ルイス様。歴代の機織りを輩出している名門、ルイス家の御曹司様さ」
ルイス――――
アルバートは眉根を寄せた。
その姓は苛立ちを吹き飛ばすほどの力があった。
田舎者のアルバートも聞き覚えのある〈ルイス〉。それは確か……
「現在、国王陛下の近くに仕える機織り、ウィリアム・ルイス様は、ヒューズ様の異母兄であらせられる」
「へ、ぇ」
アルバートの唇から、驚きとも納得ともつかない吐息が漏れた。
何故だか物寂しい思いに拍車がかかる。アルバートはそんな自分に戸惑った。
「要するに、あなたとは別世界の方――精霊に愛された清らかなお方なんだよ。分かる? あなたみたいな汚らしい庶民が気安く話しかけて良い方じゃないんだ」
「何で、てめぇにそこまで言われなきゃなンねーんだよ」
「はあ。さすが、庶民と言うか何と言うか」
やがて、彼はひらりと優美に手を振ると踵を返した。
「じゃ、ぼくはこれで失礼するよ。庶民と一緒に歩くと、空気が不味くてね。胸焼けがするんだ」
「そりゃこっちの台詞だ!!」
アルバートは余りの出来事に暫くパクパクと唇を開閉させて、その忌々しい背を見送った。
陰口の経験は何度もあったが、こうまでハッキリと面と向かって侮蔑されたことはなかった。
「ああ、何なんだよ、アイツ! アイツ!! アイツッ!!」
アルバートは苛立たしげに足を踏みならして地下へ続く階段を駆け下りる。
(別世界の人間? 清らかなお方? だから何だよ!)
ステップに差し掛かった時、アルバートはピタリと歩みを止めた。
手摺りに爪を立て、荒くなった呼吸を落ち着かせる。
「ってか、ヒューズの奴、どうして言わねーんだよ」
呟きが落ちた。
確かに……と、アルバートは思う。
ヒューズに何も聞かなかったのは自分だし、思い返すだに、姓をわざわざ名乗る場面は無かった。最初の自己紹介も適当に済ませたのは、自分自身だ。
それでも、なんとなく、ヒューズが隠したがっていたのだと感じた。
何故、彼は言いたくなかったのだろうか。
身分が違うと知れれば、アルバートの態度が変るとでもも思ったのか。
残念な思いが胸に満ちた。
自分の希望――染め士になりたいと言う夢を話したのは、ヒューズが初めてだった。
短い付合いだったが、アルバートは彼を気に入っていたし、話せる奴だと思っていた。
だから余計に寂しく感じる。
「やめやめ! 試験前に、余計な事考えるな、俺!」
自分勝手も甚だしい。
アルバートは頭を振って考えを追い出すと、荷物を脇の下に挟み、パチンと自身の両頬を叩いた。気合いを入れる。
「さっさと着替えねぇと」
辿り着いた化粧室に飛び込むと、個室に入り、考えを振り払うため乱雑に衣服を脱ぎ始めた。と。
「は?」
配布された衣装を開いたアルバートは目をぱちくりさせた。
「何だ、これ」
目の錯覚などではない。
手渡された黒地の制服には、―――――可愛らしい白いフリルがついていた。
お読みくださり、ありがとうございます!
次回更新は、2月13日(金曜日)7時です!!