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アラベスクに問え!  作者: 一瀬詞貴
一、打ち破る赤の章
5/26

自称天才染め士、アルバート・グレイの出立(5)

「……不思議なんですけど」

「あー?」

 ヒューズの呟きに、アルバートは自室の壁に背を預けて目を閉じたまま、気の抜けた返事を返した。

「どうして、もっと早くに抜けだそうとしなかったんですか?」

「……オジキから逃げるのは至難の業だ」

 言って、アルバートは瞼を持ち上げた。

 黒曜石の瞳に、部屋の隅で燃える暖炉の火が映る。

「馬にも乗れるし、足も速ぇし、力も強ぇし。方向音痴じゃねぇし。どれ一つ、俺が勝てる部分はねぇ。だけど」

 少しだけ躊躇った様子で口を閉ざした彼を、ヒューズは首だけ傾げて見下ろす。

 アルバートの左隣で、同じような姿勢で壁に凭れて座る彼も、がっちりと全身を縄で縛られていた。もちろん、そうしたのはアルバートの叔父である。

「だけど?」

 ヒューズが促せば、身動ぎせずじっと暖炉の火を見つめていたアルバートは、やがて、ゆっくりと決意めいた言葉を紡いだ。

「だけど、嵐の中だったら、話は別だ」

「じゃあ最初から嵐の中を行くつもりだったんですか? 無茶苦茶だ!!」

「前も後ろも分かんねぇ中なら、俺の方向音痴もましになるかもしンねぇし」

 思った通りの反応に、アルバートは拗ねたように頬を膨らませた。

 ヒューズはぶんぶん首を振る。

「いやいやいや、そんなわけないでしょう」

「うっせーな! 仕方ねぇだろ! そンくらいしねぇと、逃げらンねぇんだよ。あの、クソジ……クソババァからは」

 ハッと声を落として、アルバートは恐る恐る二階に続く階段に目をやった。

 それに倣ったヒューズも「なるほど」と頷き押し黙る。

 沈黙が降りた。

 時々、隣家の飼い犬の鳴き声が聞こえる以外に音のない、静かな夜だった。

 耳を澄ませば、風が強みを帯びてきたのだろう、梢のこすれる音が聞こえた。

 二階では、まだ母と叔父が話している気配……しかし、もちろん話の内容は聞き取れない。

「…………なんか、悪かったな。巻き込んじまって」

 アルバートが謝罪を口にすれば、ヒューズは目をぱちくりさせた。「いえ」と、首を振る。

 アルバートは身体をよじってヒューズに向き直ると、真剣な表情で問うた。

「っつーか、お前。どうしてさっき出ていかなかったんだよ。素直に従ってりゃ、縛られる事もなかったのに」

「絶対に置いていくなよ、って念押したのは誰ですか」

「そ、そうだけど……」

 最もな切り返しをされて、アルバートは黙り込む。

 それにヒューズはクスリと小さく笑ってから、穏やかに続けた。

「僕、見た目通りに律儀なんですよ。だから一緒に行くって約束したのに、それを破るとかできないんです。あなたの事情、聞こえちゃいましたし。それに、二人の方が抜け出せる確率が上がると思ったんです。まぁ、これだけきつく縛られてちゃ、難しいですけど」

 言って、背後で縛られた手を持ち上げたヒューズは、肌に食い込む縄の痛みに顔を顰めた。

 アルバートは呆れ返った。

「悠長な奴だな。今夜中に抜け出さなきゃ、お前、受験に間に合わねぇぞ」

「間に合わなかったら、それはそれで仕方ないです。諦めます。まだ、僕には二回もチャンスがあるし」

「――って、お前、十五歳!? 俺より二歳も下!?」

 あっけらかんとした答えに、アルバートは勢いよく壁から背を離すと、裏返った声を上げた。

 次いでヒューズとの身長差を、何度も目測すると、「ああ!!」と絶望の声を上げる。

「あ、あの……?」

「まだだ。まだ、俺には成長期がきてないんだ。ただそれだけだ…………」

 戸惑うヒューズから目を逸らし、アルバートは必死にブツブツと自分に言い聞かせた。――お年頃なのである。

 と、階段の軋む音に、二人は同時に顔を上げた。

「……母さん」

 固い表情で二階から降りてきた母親は、息子には目もくれず、部屋を見渡すと真っ直ぐ棚の影に押しやられていた、荷造りの済んだリュックに歩み寄った。

「おい。荷物、何処に持ってくンだよ」

「もう必要ないでしょ?」

「……くそ」返ってきた淡泊な答えに、アルバートは小さく毒づくと項垂れた。

 やりきれない思いで胸が詰まった。

 母なら分かってくれる、などと身勝手にも期待して、裏切られた気持ちになっている自分が殊更情けない。

「――――あ、そうだわ」

 と、荷物を引きずりながら二階に戻ろうとしていた母親が、突然、ヒューズを振り返った。

「ヒューズくん。何とか、貴方だけは外に出る許可貰えたから」

「え……」

 ヒューズはまじまじとアルバートの母を見た。

 先ほど、二階で話していた事はそれだったらしい。束の間、目線を床に落として何事か考えていたヒューズは、顔を上げるとはっきりと首を振った。

「いえ。僕は――」

「だって、今夜中に村を出ないと一週間足止めよ? それじゃ、貴方の帰りを待ってるお父さんがお許しにならないんじゃない?」

 言葉を遮り、アルバートの母はにこやかに言った。

「は?」

 アルバートとヒューズがポカンとする。彼女は頬に手を当てると、眉をハの字にしてふぅ、と嘆息を零した。

「買い付けでこんな辺鄙な所にまで来ちゃった貴方にも非があるとは言え、わたしだって、関係ない貴方を超個人的な問題に巻き込んだらさすがに申し訳ないかな、って思うのよ。他人様の家族にいらぬ溝を作るなんて気が引けちゃうじゃない?」

「あ、あの……僕、何が何やら話が」

 真意に気付いて目を見開いたアルバートの横で、ヒューズは目を白黒させる。

 そんな彼の耳に、アルバートの母は唇を寄せ、悪戯っ子のように笑って問うた。

「ね。ところで物は相談なんだけど。貴方、お金の持ち合わせはあるのよね?」

 目を瞬くヒューズに、彼女は右手の親指と人指し指で輪を作ると、商人さながらの、否とは言わせないトーンで、続く言葉を吐き出した。

「――――絨毯買わない?」

お読みくださり、ありがとうございます!

次回更新は、2月3日(火曜日)7時です!!

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