それぞれのアラベスク(8)
翌日からヒューズは機織りを再開した。
ヒューズは何も言わなかった。アルバートもそれに関しては口を閉ざした。
アルバートはヒューズに対する態度を変えると言うこともなかったし、相棒が必死に戦っていても、彼の役割を必要以上に肩代わりしたりもしなかった。
食事当番、ゴミ捨て、掃除……さぼれば容赦なくアルバートは不機嫌になった。
殴り合いの喧嘩はしょっちゅう勃発した。
――それでも、前とは確実に二人の関係は変っていった。
「やっぱ、謝りに行こう。許してくれるかは分かんねぇけど」
夕食時、アルバートは食卓に頬杖を付きながら、ヒューズが焼いた卵焼きをフォークで無意味に突いていた。
ヒューズはきりが良くなったら食べるから、と夕食の用意だけして、作業場に籠もっている。
消臭方法はまだ見つかっていなかった。
……いな、一度は消臭に成功したのだったが、その方法で染めた糸で織るのは死んでも嫌だとヒューズに拒絶されては仕方ない。一から考え直しだった。
こうまで煮詰まっては、一旦思考を放棄するしかない。
意識を別に振り向けようと考えた時、アルバートは気に掛っていた一つのことを思い出した。
無理矢理に色を奪おうとして傷つけた、木の精霊や土の精霊のことだ。
また、襲われるだろうか。
そう考えると、胸が締め付けられた。
恐怖よりも嫌われたことが痛かった。
「……詫びに、何か持ってくか。手ぶらじゃ行けねぇもんな」
土産にするなら肥料だろう、そう思い至ったアルバートは台所のゴミ箱をチラリと一瞥し、ハッとする。
「いや、いや、いや。まさか」
閃きを、頭を振って打ち消す。
けれど、転がるように期待はみるみる内に膨らんだ。
「でも…………でもッ!」
アルバートはいてもたってもいられずに、立ち上がった。
土の精霊の唾液ならば、ハッグで染めた糸の臭いをも消すことができるかもしれない!
「確かめてみる価値はある――うぶほッ」
卵焼きを口に放ったアルバートは、その余りの辛さに咳込むと、慌ててコップを傾け水を流し込んだ。
「あンの野郎」
息を整えてから、彼は足音高く機織りの作業場に怒鳴り込んだ。
「ヒューズ! てンめぇ、大人しくしてると思えば、ンなしみったれた嫌がらせ仕込んでやがっ―――――っと」
アルバートは口元に拳を当てると、慌てて言葉を飲み込んだ。
ランプの揺れるほの暗い部屋に、気息正しい寝息が響いていた。
窮屈そうに身体をまるめ、綜絖――横糸を通すための縦糸を上下に分ける器具の上に、頬をついて寝入るヒューズに、アルバートは腰に手をやると苦笑を噛み潰す。
「風邪引くっつの、バカ」
上掛けを持ってきて、その背に羽織ってやると、アルバートは土の精霊らに会いに行く準備を始めた。
その夜――――
ヒューズよりも一足先にベッドに潜り込んでいたアルバートは、台所の方でブフッと咳込む音を聞いた。
もちろん、ヒューズが自分の作った卵焼きを食べたのだろう。
「アルさん、寝てる?」
ベッドの仕切りカーテンを持ち上げて、ヒューズが覗き込んでくる気配。
アルバートはぎゅっと目を閉じると、狸寝入りを貫いた。
暫く返答を待っていたヒューズだが、やがてアルバートの足元に何か置くと――先ほどアルバートが眠るヒューズの肩に羽織ってやった上掛けだろう――誰にともなく言った。
「卵焼き……残したって、良かったのに」
彼は、ふと、呼吸を整えてから、続けた。
「あなたは厳しい人だ。ちっとも気遣ってくれない。でも、あなたは僕をきちんと見ていてくれてる。僕はね、初めて……信じられているって実感することができたんです」
ヒューズは暫く押し黙った。
それから、ごにょごにょ謝辞を呟くと、あたふたと作業場の方へ戻っていった。
「…………バーカ」
不機嫌そうに毒づくアルバートの耳は赤い。
機を織る、リズミカルな音が聞こえてくる。
その音を子守歌にアルバートは目を閉じた。夜は穏やかに更けていく。
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次回は、4月10日(金曜日)7時予定です。
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