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アラベスクに問え!  作者: 一瀬詞貴
三、晴れた蒼の章
22/26

それぞれのアラベスク(6)

 蒼にする方法を知ったアルバートに残された課題は消臭だけとなった。

 一方で、ヒューズとの関係は悪化の一途を辿った。

 アルバートは今までと変らない態度で接しようと努めたが、ヒューズは相棒の存在を無視するでなく、わざわざ嫌がらせ――と言うよりも、子供じみた拗ね方でもって彼を苛立たせた。

 例えば、アルバートが食事当番の時、彼は食卓から自分の食事を大皿から取り分けると、部屋の片隅まで椅子を引きずっていって、背を向けて食べた。

 また、ヒューズが食事当番の折には……テーブルにレタスが丸ごと置かれたりもした。

「おい、俺の飯は」

「葉っぱでも食べててください」

 言って、彼は自分だけ街で買って来た菓子パンにぱくついたから、アルバートは机を乗り越えヒューズに殴りかかった。

 さすがにそれ以降、レタスだけの食事は二度となかったが、ヒューズの作る食事は最大限の手抜き料理ばかりだった。

 対して、アルバートは野菜に肉にとバランスの取れたものを作り続けた。家での習慣を今更止めることができなかったのである。

 こうして日を追うごとに険悪になっていく二人だったが、アルバートはヒューズと食事を取ることを止めなかったし、ヒューズも食事時には必ず顔を出した。

「『やれ』って、もう言わないんですね」

 無言の食卓に、ぽつん、とヒューズの呟きが落ちたのは、そんな微妙な距離が二週間ほど続いた夜だった。

 相変わらずヒューズは部屋の片隅で、アルバートに背を向けて食事を取っていた。

 肉団子のスープが入っていた皿を膝で挟み、パンを千切り、残ったスープに浸して食べていたが、ふと、食事の手を止めると、ヒューズは引き攣った暗い笑いを零した。

「さすがに、僕に期待するの、止めました?」

 アルバートは無言で立ち上がった。

 ビクッと肩を揺らすヒューズに大げさに溜息を吐くと、後ろから腕を伸ばして野菜だけが残ったスープ皿を取り上げた。それから、さっさと台所へ行くと、問うた。

「肉団子。まだおかわりあるぞ」

 ヒューズがポカンとする。

 アルバートは苛立たしげに、レードルで鍋をカンカン鳴らして答えを催促した。

「食うの。食わねぇの」

 ヒューズはハッとしてから、慌てて顔を逸らすと、唇を突き出した。

「た……食べない」

「食うんだな」

 豪快に肉団子を皿によそったアルバートは、ついでにパンも数欠片添えてヒューズのもとに戻った。

「オラ」

 乱暴に突き出された皿から、ヒューズは暫く顔を背けていたが、アルバートが戻る素振りをすると、がしっとその腕を掴んだ。

 再びアルバートが皿を押しつければ、今度はすんなりと受け取る。

 もちろん、彼はペロリと完食した。

 その日から少しずつ、ヒューズの椅子は食卓に近づいてきた。

(クソ面倒な奴だな)とアルバートはうんざりしたが、犬の餌付けと思って堪えた。

 やっとヒューズは、アルバートの対面に座って食事を取るようになった。

 が、それからも暫くは無言の食卓は続いた。

「…………ねぇ」

「あー?」

 ヒューズが口を開いたのは、二次試験が始まって二月目に入った夕食時だった。

 彼はパンを無意味に皿の上で千切りながら問うた。

「どうしてアルさんは染めるの?」

「好きだから」

 アルバートが即答する。

 ヒューズは顔を上げた。

「好き?」

「ああ。簡単だろ?」

 アルバートは大げさに肩を竦めると、銀食器を置いた。

 椅子の背もたれに体重を預けると、昔に思いを馳せ、ポツポツと語った。

「俺が初めて採色したのは七歳の時だった。父親に教えて貰ってさ。――ああ、前に言ったけど親父は染め士で、まぁ、ずっとクラシックだったけど。んで、そン時は、茜から、赤色採ったんだよ」

 アルバートは昔に思いを馳せた。おっかなびっくりで火を沸かし、茜を煮出し、糸を赤く染めた思い出……

「すっげぇへったくそだったと思う。茜の色を全く生かしきれなくて。赤よりも黄味が強く出ちまってて。しかも、糸はむらだらけ。だけど」

 出来上がった糸は予想していたものと違っていたから、アルバートはとても残念な気持ちになったのだ。

 けれど、父はアルバートの髪をかきまぜると、目を細めて笑った。

「親父さ、褒めてくれたんだよ。『綺麗に染められたな』って。『初めてとは思えない』とか、おだてやがってさ。俺、単純だから。すげぇ嬉しくて」

 父から教えられる、一つ一つのことが楽しかった。

 糸を渇かす魔方陣だとか、精霊の話だとか、色を定着させるのに必要な鉱石の話だとか……ちょっとしたコツだとか。

 聞くたびに、アルバートはわくわくしたのだ。

「それから、気がつけばずっと採色してた。新しい色に出会った時の興奮がたまんなくて、色を生かし切って糸に定着させた時の達成感が気持ち良くて」

 父は、アルバートが十の頃に亡くなった。

 父を失った喪失感はもちろんあったが、アルバートにとって何よりショックだったのは、染め士としての知識をもう二度と教えて貰えないことだった。

 アルバートは、残された機材を前に途方に暮れた。

 まだ使い方も知らないものもたくさんあった。

 けれど彼は自力で染色を始めた。続けることは、とても自然なことだった。

「染色が、何よりも好きなことになってた。だから、俺は染める。そこに、わくわくする色があるから、ってな」

 アルバートは自身に確認するように、言い切った。

 それから静かに聞いていたヒューズに向き直ると、鋭く問いを投げた。

「ンで? お前は?」

「え」

「お前は、何で織るんだ?」

「…………分かりません」

 ヒューズは、力なく頭を振ると、膝の上で組んだ両手に目線を落とし言った。

「いえ、分かってます。何故織るのか。答えは簡単です。――ルイス家の人間だからです」

 しん、と静まり返った室内に、ヒューズの声が落ちた。

 外は随分と冷え込んだのか、ガラス窓には結露し、水滴が線を描く。

「僕はルイス家の嫡男です。だから、織らなきゃならない。織れなきゃならない」

 テノールのか細い声は、そう一気に吐き出すと上ずった。

「本当は、跡継ぎとか全部兄さんに譲りたいんです。確かに兄さんのお母様は正式な妻ではないけれど、そんなの関係なくあの人は凄いから。僕がどれだけ努力しても、たどり着けない人だから。だけど」

 静寂。

 ヒューズは一度言葉を句切ると、目前に座る相棒を窺った。

 アルバートは首を傾げた。

「だけど?」

 先を促され、ヒューズは小さく目を見開いてから、泣き出しそうに顔をくしゃりとさせた。

「だけど……そんな事したら。ルイス家の人間じゃなくなったら、僕には何の価値もなくなってしまう。誰からも見向きされなくなってしまう。ハハ、馬鹿ですよね。今なんて単なる面汚しなのに。機織りの名門にいながら、最も必要なことができないのに。それでも、この身分を失うのが怖いんです。僕には嫡男だって言う価値しかないから。情けなくて、こんな自分が嫌で。辛くて」

「いまいち分からん。お前はどうしたいんだ?」

「へ?」

 ヒューズは眉をハの字にして顔を上げた。

 アルバートは噛んで含ませるように問いを重ねた。

「織りたくないのか? 織るの、嫌いか?」

「織らなくて済むなら、織りたくない。織る事は、嫌いです。大ッ嫌いだ」

 戸惑いの声は、やがてはっきりとした忌ま忌ましさをもって吐き捨てられた。

 アルバートは鼻から息を吐くと、すんなり頷いた。

「じゃぁ答えは簡単だ。織るな」

 ヒューズはポカン、と唇を半開きにした。

 アルバートはテーブルに肘をつけ、ヒューズに右の人さし指を向けた。

「大切なのは、家の前にお前自身だろ。嫡男って価値以外に、お前の価値を見つけたらいい。さっさと家なんて捨てて、やりたい事やれよ」

「で、でも」

「でも何だよ。家の価値以外に自分の価値がない、か? だったら、作れ。全力で作れ。それで作れなーいとか言うのは、それこそ甘えじゃねーの」

 アルバートは黙りこんだヒューズを暫く見つめていたが、やがてテーブルの上の皿をまとめると席を立った。

「…………アルさんは、それで良いんですか」

 俯いたままヒューズが問う。

「あン? そこで何故俺に訊く」

「だって、アラベスクが出来なきゃ、あなたは――――」

「バーカ」

 縋るように顔を上げたヒューズを、アルバートは一蹴した。

「人生、なるようにしかなんねぇよ。っつーか、お前。自分の人生の選択に他人を介在させんな。面倒だぞ。あとな。俺は、俺のやりたい事やるって決めたんだ。だから、他人にやりたくないことは強要しねぇ」

 ヒューズは目をぱちくりさせた。

 アルバートはふん、と鼻を鳴らした。

「お前だって、やりたい事やっていーんだぞ」

「……僕は」

 ヒューズはぼんやりと目線をテーブルに落とした。

 アルバートは軽く嘆息して、今度こそ台所に洗い物を持って引っ込んだ。

お読みくださり、ありがとうございます。

次回は、4月3日(金曜日)7時予定です。

宜しくお願いします!

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