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アラベスクに問え!  作者: 一瀬詞貴
二、歪んだ銀の章
13/26

テスト×テスト×テスト(6)

 村に戻った時……いってらっしゃい、と言ってくれた母や叔父にどんな顔をして会えば良いだろう。

 アルバートは夜道をがむしゃらに歩きながら、思いを巡らせた。

 叔父が言った通り自分は天才ではありませんでした、と今までの過ちを認めるのか?

 唐突に筆記試験が導入されて、対処ができませんでした、と言えば良いのだろうか?

 運悪く、試験監督が無茶苦茶な奴で……と。

 そもそも、村になどおらず、ちゃんとした教育さえ受けていれば、筆記が導入されても、痛くも痒くもなかった。都の精霊たちに馴れていれば、実践で手こずることもなかったはずだ。

「――――――違う」

 アルバートは頭を振った。

「理由を外に求めたって何も変らない」

 どれもこれも、言い訳でしかない。

 今の自分には、足りなかった。――たったそれだけだ。

 けれど、そのせいで、全てが終わる。

『君は、それでも染め続けるのかな』

 脳裏にくすぶるゼロの声。

 試験に失敗して染め士になれず、村に帰った自分は、それでも、染め続けるのだろうか……?

 染め士でなければ、アラベスクには触れられない。

 ただの糸をただの布のために染色し続ける? 

 必要性もなければ、大した金にもならない。

 村では、まだやってるのか、未練たらしいなどと笑われて。

 それでも?

(それでも、俺は染め続けるのか?)

「分かんねぇよ」

 何故、自分は染めるのだろう? 何故――――

「……そして、此処は、何処、だ!」

 アルバートは両手を振り上げると、声の限りに叫んだ。

 考えながらぼんやり歩けば、知れず目的地に辿り着いていた――などと言う二度目の奇蹟は起こらなかった。

「くっそー。すっげぇ、気にくわねぇ。アイツの言った通りになっちまった」

 アルバートは辺りを見渡すと顔を引き攣らせた。

 目前に広がるのは、石造りの同じような二階建ての集合住宅……建物は一見悪くはないから、貧民街の広がる西側ではなさそうだった。しかし、アルバートにはそれ以上は検討も付かない。

 夜更けのベッドタウンは静まり返り、人の気配はなかった。

 まだ明かりが灯っていた部屋もあったが、それも、アルバートがぼんやり眺めているうちに、次々消えてしまった。

「ヘクチッ!……うう、寒ぃ」

 寒さにくしゃみが零れる。

 アルバートは、丸めて持っていたヒューズの上掛けを、渋々ながらに取り出すと肩に羽織った。

 仕方無く、外灯に沿って歩き始める。

 闇に浮かび上がった道は寂しげだ。と、その時だった。

 アルバートの目は、ある集合住宅前の門脇に備え付けられた水盤に釘付けになった。

「あれは……?」

 水面にきらめく色に、思わず駆け寄る。

「す、っげぇ。これ、何の色だよ」

 水盤に濯がれた水は、得も言われぬ色をしていた。水に油を混ぜた時のような曲線を描いて、半透明の液体に鈍い光を孕んだ白が水面に浮かんでいる。

 アルバートは水盤の縁に両手をかけると、まじまじと覗き込んだ。初めて見た色だった。

「白っつーより、銀に近い。重みのある白……は、水盤の底のせいじゃねぇ。うわ、角度によってちょっと色が変わる」

 そこでアルバートはバッと顔を上げた。

「そうか、月光か」

 空に煌々と輝く満月を見上げて、アルバートは再び水盤に目を落とした。

「綺麗だ。……欲しいな」

 呟いた彼は、そこから点々と地面を濡らす水滴跡に気付いた。

 アルバートはしゃがみこんでそれを見た。

 地に吸い込まれて、水分はほとんど無かったが、よくよく見れば白が薄い膜を張っている。

 アルバートはその水の跡を辿りながら考える。

 こんな色が出せたなら、どれほど人を魅了する布ができるだろう……

「紅地にも蒼地にも、合う。むしろ、糸が足りるなら、この色を地にして――ああ、どの紋様なら最もこの色を生かせっかな」

 白とは微妙に違う。絹糸を漂白しても、このしっとりとした重い色は出ない。

 しかも、この、時たま瞬く銀が絶妙なのだ。どうやったら、こんな色が出せるのだろう?

 顎に手をやり、跡を追っていたアルバートは、やがて川に出た。

 それでやっと現在地を理解する。首都よりもなお北から流れ、ここカルト・ハダシュトや、さらにアルバートの住んでいた村を下る、ルブナーン国最大の川、ミノア川だった。

 河岸に沿う外灯に照らし出されたミノア川は寂寞としていた。

 そこに、不思議な世界が広がっていた。

 ゆるゆると流れる水面に移る月は滲み、そこから白く輝く色が流れている……

「――――――え?」

 と、覗き込んだ川面に大きな黒い影が映った。

 飛び上がって背後を振り返ったアルバートの全身が、ゾゾッと泡だつ。

「……………精霊?」

 アルバートの背後に立っていたのは、彼よりもゆうに三倍はある大きさの、醜悪な精霊だった。

 全身毛むくじゃらで、頭部には、睫毛の長い一つ目以外は何もなかった。

 臀部から生え出る筋肉質な足は一本で、足先のかぎ爪が地に刺さる。

 一方、肩から飛び出た腕は人の形によく似ており、スラリとした様は女性のもののように優美で美しかった。

「まさか、あれか? やばい系の精霊か」

 怪物(モンスター系精霊。

 精霊は基本、人には害を加えないと言うが、肉食のものも少なからずいた。

 アルバートは慌てて脳内の自分辞書に検索をかける。が、目前の醜悪な精霊に見覚えは無い。

 呆気に取られるアルバートには気付かず、その精霊は真っ直ぐ彼の脇を通ると、川に滑り込んだ。

 水しぶきが立つ。

 頬に飛ぶ水滴に、腕で顔を庇ったアルバートの目は、川面から離せなくなった。

 精霊が飛び込んで波紋を広げた川面が、淡く発光し始め、白が溢れた。

 月を写し取ったようにその色は揺れ……暫くすると流れて消えてしまう。

 アルバートは這いずって再び川面を覗き込むと、手を突っ込み水をすくった。

 ――――精霊の持つ色ならば、染めることは可能だ。

 それができるのが〈染め士〉なのだから。

 アルバートの胸は早鐘を打ち始めた。

 初めて見る色だった。どうやっても欲しいと思った。とても、とても――綺麗だと思った。

(でも、俺になんてくれっかな)

 木の精霊や土の精霊ですら、自分に色を分けてくれなかったことを思い出す。

 さきほど、河に飛び込んだ精霊の攻略方法など知らないし、もし戦闘する必要があるならば、また、昼間のような失態を犯して命の危険に合うかもしれない。そうなった時、このような夜更けに助けがあるとも思えない。

 アルバートは昼間の危機を思い出すと、手が震える自分に気付いた。

 地から手を離し、膝を叩いて立ち上がる。

 無意味だった。

 試験以外で色を染めても何にもならない。しかも、今、手元にあるのは試験用に配布された〈精霊の糸〉だけ。一つでも使えば、その分、試験に回答できる色が減るし、〈精霊の糸〉はしかるべき機織りの手により織られねば、半年ほどで消滅してしまうのだ。

(……ああ、だけど、欲しい)

 アルバートは背に背負うリュックの中身を意識すると、なかなかその場を動けなかった。

(母さんの紅地のスカートに、よく合うだろうな。下の方に一段、刺繍いれたりして)

 そんな風にぼうっと考えを巡らせていれば、アルバートの右肩に、後方からドン、とぶつかってくるものがあった。

「うおっ」

 バランスを崩したアルバートは、そのぶつかったものを見遣って呆然とする。

「あ…………」

 先ほどの精霊が群れになってぞろぞろと河へ向かってやってきていた。

 アルバートに接触した一体が、一つ目をゆっくりと動かすと、自分の行く手を遮る障害物に気づいた。

(ヤバイ)

 アルバートの咽がゴクリと鳴った。

(――逃げねーと)

 スラリとした腕が伸びてくるにも関わらず、アルバートは恐怖で動けないでいた。

 精霊の手がアルバートの頭頂に触れる。ぎり、と強く掴まれる。

「いっ……」

 アルバートは痛みに呻いた。

(これは、ヤバイ。マジでヤバイ。ヤバイヤバイヤバイ)

 背中に嫌な汗が流れる。昼間感じた命の危機がフラッシュバックする。

(ヤバイ。マジ、死ぬ)

 歯が鳴った。

(――――でも)

 しかしアルバートは動けなかった。いな、動かなかった。

(……欲しい)

 目線は精霊から逸らさずに、アルバートはリュックを下ろすと、前で腕に強く抱え込んだ。

(どうしよう、欲しい。でも、ヤバイ)

 頭の中で、ぐちゃぐちゃと思考が巡る。

(ヤバイ。痛ぇ。欲しい)

 頭を締め付けられる痛みに、段々と意識が遠ざかる。

 ホワイトアウトしていく視界に、不意に、昔日が過ぎったのはその時だった。

 場所は、木漏れ日の差し込む家の中庭。

 そこで、アルバートは父親と共に、魔方陣を囲って座っていた。

 父が、陣に横たわる渇かしたばかりの糸を――アルバートが染めたそれを取り上げた。

 アルバートはドキドキしながら、父の顔色を窺った。

 父は、手にした糸にそっと触れると、目を眩しげに細めた。

 そして、アルバートの髪を乱暴にくしゃりとかきまぜると、言ったのだ。

 ――――綺麗に染まったなァ。

「へ……?」

 微笑んだ父の顔が霧散すると、アルバートはさきほどと寸分変らぬ腰を抜かした状態で、河岸にいた。けれど、群れをなして河に飛び込む精霊の気配は微塵もない。

 空では丸い月が変らず地上を照らしていた。

 ゆらゆらと揺れる川面は月光を照り返してはいたが、不思議な色が流れているということもなかった。

「ど、どこいった!? あいつら、何処に――――――」

 ハッと首を振って辺りを見渡したアルバートは、手にぶつかった物に目を落とすと、息を引き攣らせた。

「これ……この、糸」

 夢を見たのだと思いかけていた彼は、リュックの口から零れ出た糸玉の内の一つに手を伸ばす。

 月光の下、チッチッと瞬く煌めきを含んだそれは、確かに、先ほどまで河を流れていた不思議な〈白〉だった。

 街灯のか細い明かりの下、はっきりと断言するのは難しい、微々たる色だ。けれど、アルバートには確信があった。

「なんで? どうして? どうやって? っつか、あれ、何だったんだ?」

 呆然として川面を見やる。

 けれど、河は無言だった。穏やかに、ただただ下流へ向かって流れていく。

「………………ま、いっか」

 アルバートは、手にした糸玉を、月光にかざした。

「綺麗だもんな」

 暫く、じっとアルバートはその糸を眺めていた。どんな風に使おうかと考える。

 試験用に配られた糸は、アラベスク用の特別な糸――精霊が撚った〈精霊の糸〉だ。

 普通の糸と違うのは、その糸玉は精霊の加護がある限り、消滅しない。

 要するに、期限内であれば、どれだけ使ってもなくならない糸だった。けれど、期限内にしかるべき機織りにより布にされなければ、夢幻のように消えてしまう。

 アルバートの手の中にある限り、それは、たった半年だけの奇蹟の色だった。

「――って、ボーッとしてる場合じゃねぇ。課題こなさねぇと、マジ落ちる」

 アルバートはそっとリュックに糸玉を戻すと、肩に担いで立ち上がった。

「とりあえず、今、色は分けて貰えたんだ。この調子だ。明日こそ木の精霊と土の精霊にも……」

 気合いを入れ直すと、早速、寝床を探した。寮に帰ると言う選択肢は毛頭ない。帰れないのだから仕方無い。

「あー……あったけー」

 ヒューズに貰った肩掛けのおかげで、風邪は引かなさそうだった。




 そうして迎えた第二の試験最終日。

 錆びた色が空一面に滲む夕方、ゴーンゴーンと、重い音がカルト・ハダシュトの街全域に響き渡った。

「鐘の音………………」

 アルバートは力なく、右手を下ろした。

 手から、ナイフが滑り落ちて、地に突き刺さった。

 目前には怒りで顔を歪ませる、木の精霊たち。

 結局、課題の色を手にいれることはできなかった。

「ハハ。クリアできなかったし」

 アルバートは声を立てて笑い出した。ゴロンと地に転がり、腹を抱えてゲラゲラ笑った。――やがて、口を閉ざすと身体を丸めて、低く呻いた。

「…………笑うしかねぇよな」

 それから身体を起こして座ると、地に放っていたリュックを持ち上げる。

 と、その半開きになった口から、きらりと輝く銀糸が見えた。少しだけ……ほんの少しだけ、心が安らいだ。

「あの精霊って何者なんだろうな。地元の方にもいるかなァ」

 鼻の奥がツンとしたかと思えば、右目からぽろり、と涙が零れた。

 アルバートは慌てて、袖で目元を拭った。

 けれど、それをきっかけに、涙は両目から次々溢れてくる。

 アルバートは苛立たしげに目元に腕を押しつけた。歯を食いしばって嗚咽を飲み込む。

 声にならない慟哭が、華奢な身体を引き裂く。

 ――――一次試験の全てが、これで終了した。

お読みくださり、ありがとうございます!

次回更新は、3月3日(火曜日)7時です!!

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