テスト×テスト×テスト(4)
もちろん方向音痴は健在で、地図があっても迷ったアルバートである。
けれど、そのタイム・ロスは大したものではなかった。
街の人は受験生に親切だったし、案内にも恵まれ、目的の聖域――街の西端に広がる森にはすんなりと辿り着くことができた。
けれど。
「余裕、の、はず」
ドサリ、と地に尻持ちをついたアルバートは、目前の状況を信じられない面持ちで見遣った。
わさわさと威嚇に揺れる木々。
その前で大地を貫き飛び出た幾本の根が、ギリリと的をアルバートに絞っている。
と、その横脇から荒れ狂う蔦がビュンッと宙を切り裂き伸びてきた。
上半身を逸らし、紙一重で避けたアルバートに、今度は根が躍りかかる。
「何でだよ」
アルバートは腰元にぶら下げたナイフを引き抜くと、容赦なく伸びてきた根を叩き斬った。
ギャッと嫌な悲鳴が耳を打つ。と、更に攻撃は激しさを増した。
木々の背後には、全身を逆立て怒る木の精霊の姿……
「何なんだよ。何で」
精霊は基本的に人を攻撃しない。
けれど聖域の生物や色を望む者は別だ。
精霊は様々な手段で人を試し、認めた者にだけ、聖域の物や色を与えた。
試練の中には暴力的なものもあったから、もちろんアルバートは戦闘も覚悟していた。
覚悟はしてはいたが……それは力を望む性質のある土の精霊などであって、木の精霊では無い。木の精霊は、暴力を好まず、地・水・火・風の四精霊よりもずっと穏やかな性質のはずだった。それが――――
「くそ!! 何が気に食わねェんだよ!!」
怒りにまかせてナイフを振るえば、足を取られた。
前のめりに転んだところに容赦なく、蔦の鎗が襲う。
「俺はこんなところでまごついてるわけにはいかねぇンだ!」
アルバートは足を拘束する蔦にナイフを突き刺し千切ると、大地を蹴った。
従わないのならば、従わせる。
それが染め士に求められる力――アルバートは迷わず、前へと足を踏み出した。狙うは、群れのリーダー格だ。
木の精霊は、まとめ役を中心に群れる。それを力でねじ伏せてしまえば、統率の取れなくなった木の精霊は、アルバートに従わざるを得ない。
まさかこの方法を、人に最も友好的だと考えられている彼らに使うとは……アルバートの胸中に苦いものが広がった。
けれど、手段は選んではいられなかった。丸一日も彼らの説得に費やしてしまったのだ。
まだ、土の精霊も残っている。さっさと桜色を採って次にいかねばならない。
「お前らが悪いんだ。俺に色を寄越さねぇから」
アルバートは迫り来る蔦と根の鎗を素早い身のこなしで避けると、躊躇いなく群れの中に飛び込んだ。わたわたと木の精霊らが散り散りに逃げ出す。
「おおおおおおッ!!」
咆哮を上げ、ナイフを振りかぶると柄の部分を叩き込む。恐怖に立ちすくむ木の精霊のリーダーがぎゅっと目を閉じるのが見えた。
もちろん殺すつもりはないが、やはり気持ちの良いものではない。
――――と、その時だった。
「ぐあッ」
脇腹に衝撃があった。
吹っ飛ばされ、地を転がったアルバートは身体を丸めると咳込んだ。
次の攻撃を避けるためにも、体勢を早く立て直さねばならない。
グッと奥歯を噛みしめて痛みに耐え、身体を起こそうとした彼は……先ほど自分を攻撃してきたものに目を見開いた。
目前にアルバートの背丈ほどの、人型の拳の如く盛り上がった土の塊が生えていたのだ。
木の精霊らの方を見遣れば、彼らを守るようにして、土の精霊が集まりだしていた。
数十体の精霊は、小さな目に、怒りの炎を灯してアルバートを睨んでいる。
「何なんだよ、一体……お前ら」
アルバートは愕然とした。
村ではこんな目に遭ったことなどなかった。
幾度か土の精霊とは手合わせをした事はあったが、こんな風に憎しみを向けられることなどなかった。
いつだって彼らは単純で、好奇心旺盛で、無邪気で……
アルバートは焦る。情報をさらい直す。
聖域の状態は悪くなかった。
この辺りの精霊が、特別凶暴だと言う噂も聞いていない。
なによりも調べに来た時、攻撃されると言うことはなかった。
彼らが何故、ここまで自分に敵意を剥き出しにするのか分からない。考えもつかない。
(考えろ、考えろ、考えろ……!!)
村と町では、精霊の性質が違うのだろうか?
アルバートは目前の精霊らを見た。戸惑いを振り切るように、生唾を飲み下す。
――そうだ。そうに違いない。
アルバートは結論付けた。
力でもって、従わせるのが、染め士に求められる力。
それが答えだ。それしか、ない。でなければ。
『現実を見なさい、アルバート!』
不意に、叔父の声が脳裏を過ぎった。
アルバートはギクリとする。
力でもって従わせるのが、答えでないとすれば……
(でなきゃ、俺に、素質がないってことだ)
唇を噛み、アルバートは首を振った。
叔父や――周りが言ってた事が、真実なはずはない。
(俺には、素質がある)
アルバートは必死に言い聞かせた。
村ではきちんと採色できていたのだ。それは精霊らに認められる素質があると言うこと。
(あるんだ。……絶対に)
筆記試験など関係ないほどに、実技で華麗に点を取る。
二次試験で、みんなが驚くような色を採り、麒麟児だとゼロに思わせる。
そんな噂は村にまで届き、今まで母を馬鹿にしていた奴らは手の平を返したように、「どう育てたの」などと母に問うだろう。
そしてアルバートは、「思い通りにならなかったな、クソジジイ」と、叔父を鼻で笑ってやるのだ……
庶民出だからと倦厭するミシェルが、ヒューズにするように自分に目を輝かせる。
みんながアルバートの未来を期待する。
――そんな自分を思い描いていた。
漠然とそうなると信じていた。それほどの努力をしてきたつもりだった。
けれど。
アルバートの唇が戦慄いた。
(そうなるんじゃない。そうするんだ。絶対)
これで失敗などしたら、笑いものではないか。
クラシックになってからが問題だったはずなのに、クラシックにすらなれないなんて、絶対に許されない。
送り出してくれた母親に、顔向けできない!
アルバートは、手に力を入れて立ち上がろうとした。
「な……ッ」
けれど、失敗した。
地に着いた手が、大地に飲み込まれていたのだ。土の精霊の仕業だった。慌てて手を引き抜こうともがく。けれど、びくともしない。
木々が不穏に揺れた。木の精霊らが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
アルバートは顔を上げた。初めて、精霊が怖いと思った。
(――殺される)
頭の中で不穏に響き渡る警戒音。
今まで一度として感じたことのない命の危機に、アルバートの混乱は極限に達した。
何故、こんな目に遭っているのか理解ができない。
いな、理解したくなかった。
音を立てて、蔦の鎗が迫る。それは正確にアルバートを狙っている。
手を地に縫い付けられた体勢では避けることなどできない。アルバートはきつく目を閉じた。
「くっ」
恐怖を、情けなさが上回る。
疑問が翻り、弱気が心を塗りつぶしていく。
精霊に嫌われている事実を、認めねばならなかった。
突きつけられた現実に、積み重ねてきた自信がへし折られる――――夢が、終わる。
全てが終わる。思わず、笑い出したくなった。
アルバートは目を閉じた。
情けなくて、苦しくて、情けなくて情けなくて……
「………………?」
けれど、いつまで立っても痛みはこない。アルバートは恐る恐る顔を上げ――目を瞠った。
目に飛び込んできた、陽の光を照り返す美しい黄金の長髪。
腰巻には見覚えがあった。
赤地に細密で優美な曲線の植物紋様の刺繍されている。
唯一、記憶と違うのは、その人は腰に巻いた長い布の、余った端の部分を肩の方に引き上げ、肩覆いとして使っている事だった。そして、すらりとした足を覆うのは、白いズボン。それは、機織りの服装だった。
じっとアルバートの目前に立つ男を見遣った木の精霊や土の精霊らが、しずしずと森の奥へ帰っていく。
「大丈夫か、少年」
ホッと溜息をつき、その人は背に流れる長い金髪を揺らして振り返った。
次いでアルバートを見下ろすと、神経質そうに切れ長の目を細めた。
瞳はヒューズと同じ、晴れの海を思わせる蒼で、研ぎ澄まされた刀剣を思い起こさせるような、鋭い美貌の持ち主だった。
「ウ、ウィリアム試験監督」
アルバートは驚きと共に、その人を見上げた。
ウィリアム・ルイス――国王直属の機織りであり、もう一人の試験監督、ゼロ・ホープの相棒だ。まさか誰かに命を救われるとは思っておらず、しかもそれが雲の上の存在であり、尚且つ自分の専門とは違うウィリアムで、アルバートは暫し呆然自失の為体で地にへたり込んでいた。
「す、すいません……ッ」
やがて、ハッと我に返ると、アルバートは慌てて頭を下げた。
背後からのほほんとした声が聞こえたのは、その時だ。
「危機一髪だったねぇ」
ゼロだった。
アルバートは下げた頭を持ち上げる事ができなかった。
――見られていた!
あれほど、情けないところを見られていたなど……アルバートは、きつく唇を噛む。
ゼロにだけは見られたくなかった…………ッ!!
ウィリアムはそっとアルバートの腕を取ると、引っ張り立たせてくれた。ついで、彼はゼロを振り返ると、険を含んだ声で言った。
「ゼロ。染め士の生徒はお前の担当だろう」
「えー? だって、メイドさんの恰好してないし」
「……ゼロ」
重々しい戒めの声に、ゼロは大げさに肩を竦めた。
「ウィルは過保護過ぎだよ。こう言うのは放っておくの。じゃないと成長できないじゃないの」
「今のは成長で済む状況では無かった」
「彼みたいな子は、死んだって学べないと思うけどねー」
唇を尖らせて毒づいてから、ゼロは地に転がっていたアルバートのナイフを拾い上げた。
ナイフに付着した土を払ってから、アルバートをじっと見つめる。
「ゼロ試験監督……」
気まずそうにするアルバートに、彼はニコリと笑むと言った。
「君さ、染め士に向いてないよ」
ガツンと、後頭部を殴られたような衝撃がアルバートを襲った。
二の句を告げられず、ゼロを見上げれば、彼はアルバートの手を取り、その上にナイフを置いた。
「ゼロ」と、ウィリアムの厳しげな声が飛ぶ。
「何? 俺、何か間違ってた? これだけ精霊に嫌われてちゃ貰える色も何も、ないでしょーが」
ゼロは小首を傾げて相棒を振り返った。
……アルバートは手の上のナイフを見下ろした。
(向いてない?)
目眩がした。呼吸がうまくできなかった。
今、色が採れなかったのはたまたまだ、と心が訴えていた。
自分には素質がある。
心臓がドクドク脈打ち、「あるはずなのだ」と必死に声を上げていた。
その耳鳴りの中、
――もしかしたら。
小さな不安が、全身に薄く細く流れていく感覚に襲われる。
手が震えていた。
否定が大きくなる。
それに比例して、不安が大きくなる。
「ね。聞こえた? 君は染め士に向いていないんだ」
ゼロがせせら笑うように、アルバートの肩に手を置き、顔を覗き込んだ。
「ゼロ。いい加減に――――」
「君は、それでも染め続けるのかな」
苛立たしげに相棒の腕を引き、ゼロをアルバートから遠ざけたウィリアムはピタリと言葉を飲み込んだ。
「は……?」
アルバートは訝しげにゼロを見た。
ゼロの瞳は、今までで一番、真剣な色を帯びているように感じた。
染め士に向かない者が、染め続ける。それは、染め士になれない者が、染め続けると言うこと。
染め士になれなければ、アラベスクに従事することはできない。
クラシックにすらなれなければ、名誉も、金も、夢見ることはできない。王の近侍など話にもならない。
「…………何スか、それ」
染め士でもないのに染めても、何にもならない。
(そんなの、意味ないじゃん)
ゼロは失望を隠しもせずに嘆息を残すと、さっさと踵を返した。
アルバートは力なく地面を見つめた。
戦闘で踏みつけた草花が無残な姿をさらしていた。赤の花びらは散り、緑の草はくたりと地に伏している。
「アラベスクは想いの形」と、誰にともなくウィリアムは口を開いた。
のろのろと顔を上げたアルバートを真っ直ぐ見つめ、彼は続けた。
「迷ったならば、内なるアラベスクに問え」
お読みくださり、ありがとうございます!
次回更新は、2月24日(火曜日)7時です!!