六、『プロローグ』 物語は始まりを告げる
襲撃から数日が過ぎた。雨は何日も振り続け、戦いから四日目でようやく収まった。それから程なくして、生き残った者たちが死者の埋葬と爆発によって壊された建物のがれき撤去が行われた。イドもそれに参加している。戦火の爪痕は大きく、復興まで何年もかかるだろう。それでも残された人たちは今日を生きていかなければならない。悲しみは深いが、空元気を出して頑張っている。
イドが保護したアリサは心身喪失状態で施設に入院している。復興作業の合間をぬってアリサの様子を見に行っているが、反応は芳しくなかった。
父親バフィンの遺体は共同墓地に埋葬された。まだちゃんとした墓はないが、復興が進めばそれも可能になるだろう。
それから更に数日が経ち、襲撃からは約一ヶ月たったある日。
(親父さん……すまない……)
彼はあの黒い一団を追うことを決意したのだ。まだ怒りの炎が燃え盛り、憎しみは胸の中で渦巻いている。バフィン父娘の恩に報いることが出来なかった無念の思いを、復讐という形でイドは果たそうとしている。ただ、一人残されるアリサの事が気がかりだった。僅かな間だったが、彼は自分の子供のように彼女を想い、慈しんでいた。そんな彼女を、肉親を亡くした後にたった一人でここに残すのはためらわれた。
結局、妥協としてこの街の孤児院に預けることを決めた。それは自分へのごまかしであり、己の罪悪感を少しでも軽くしようとするパフォーマンスだ。そんな事、きっと彼女は望んでいないだろう。それに、大恩あるバフィンに報いるならばこの街にとどまり、彼女の生活を工面することが第一のはずだ。
だが、それを彼は選択できなかったのだ。目について離れない、妻と子の最後の断末魔を、死に顔を忘れて生きることなど出来はしない。彼は憎しみという亡霊に魅入られている。そしてその亡霊が囁くのだ、仇を討てと。
イドは出した結論を告げるため病室を訪れていた。たとえ反応は無くとも、それが最低限の義務だと考えたからだ。
「すまない、やっぱり俺は行くよ……本当なら、ここで君に恩返しをするのが筋なんだろうが……やはり、奴らと同じ天の下には居られない。何処までも追いかけて、必ず息の根を止める……そう誓ったんだ」
「…………」
少女は答えない。目は開いていても、ただ虚空を見つめているままだ。その目に生気はない。
数呼吸言葉を止め、反応を待つ。
「ここの医者に後のことは頼んであるんである。良くなったら医者の言うことに従って欲しい。孤児院だ。きっと悪いようにはしないはずだ」
沈黙。
やはり反応は無く、生気のない瞳に映る自分から逃げるように病室を後にした。
仮設された宿に戻り旅の支度を整える。水や保存食がほとんどだ。鍋やカンテラ、毛布に火打ち石といった基本的な装備を用意する。こういった知識もバフィンから教わったものだった。準備が終わると出発の報告をしに、バフィンが眠る墓地へとやってきた。
目をつむり黙想する。想うことは何もない。ただあるのは謝罪のみ。私情で恩を仇で返すことを、残す娘を見捨てることを。
出発の時が来た。目撃者によると、ここより東へ去って行ったという話だった。男はマントを羽織り、宝刀を腰へ下げ、荷物を背負い東へ足を進めた。雨で湿った空気が吹きすさぶ。日は雲に隠れ、辺りは薄暗かった。
◇◇◆◆◇◇
今日も病院内は慌ただしく、治療士たちが怪我人を診て回っている。そのとある一室に異変が起こっていた。本来いるはずの患者はなく、ベットはもぬけの殻。開け放たれた窓からは、どうやって作ったのか縄がおろされていた。医者がよく見ると、ベットのシーツやカーテンなどを撚り合わせた簡素な作りの縄で、ガッチリと結ばれている。
病院は騒然となった。逃げた患者を連れ戻そうと探しまわっている。その騒ぎを尻目に、別の場所で一個の馬車が大通りを爆走する事件が起こっていた。道行く人を無視して暴走する馬車だ。それは一直線に東の大門へ向かっていったという。
馬車を見た人は口々にこういった。
『涙を流した少女が馬車を操っていた』
と。
◆◆◇◇◆◆
平野を前に、数歩行った所で後ろからガタガタと激しい音が聞こえてきた。驚いて振り返ると、馬車がもの凄い速さでこちらへ向かって走ってきていたのだ。何事かと飛び退いて地面を転がって避けた。馬車はさっきまでイドがいた場所をドカドカと踏み抜いて、数メートル先で停止した。地面に転がったまま様子を見ていると、一人の少女が御者台から飛び降りてきた。少女はイドの方へ駆けて来る。
その姿は病院で着せられる薄着のままで、しかも裸足だった。まさに着の身着のままという風体で、イドの目の前で止まる。肩で息をしているが、彼の前で仁王だちするように両足を踏ん張り、胸をそらしている。見上げるその顔は、逆光になっていて見えなかった。
何を言おうか迷っていると先に少女が口を開いた。
「私も行きますっ!」
力強い瞳でまっすぐ目を見つめている。逆光となっていても、その瞳だけはハッキリと分かる。その目を彼に向けながら、断固とした意志の強さを感じさせる口調でそう言い切った。
「馬鹿な。危険過ぎる。それに君は病み上がりなんだぞ」
「そんなの……平気ですっ」
「……俺の旅は復讐の旅だ。呪われている行為を行うんだ。そんな事、君にさせられるわけがないだろう」
彼は拒絶した。あの戦いで感じた高揚感。そして仇を討つというどうしようもない欲求。それは容易く人を外道へ突き落とす甘さを持っていた。彼も復讐者であるが、行商父娘の恩があったからこそギリギリで踏みとどまることができ、その人間性を失わせずにすんでいるのだ。
強い拒絶であったが、それをそのまま突っ返す程の意思が彼女にはあった。
「私の父も殺されました。私にも恨みがあります、復讐する権利があります!」
少女は続ける。
「それに、私の仇討ちまであなたに背負わせたくありません」
その言葉にハッとする。全て見透かされていた。彼が背負っているのは妻子の恨みだけではない。この娘から父親を奪ったことに対する恨みもこもっているのだ。その為に、彼は苦渋の決断を下した。それすらも病身でありながら理解しているのだという。
目の前のか弱く心細い少女は、大地をしっかり踏みしめて立ち、背筋を伸ばし、胸をそらせ、精一杯力強く振舞おうとしている。その様子に見た目以上の何かを感じ取った。その瞬間、彼はこの少女が誰よりも、何よりも強いことを悟った。自分ですら足元に及ばないほどに。
「……さっきも言ったが道中は危険だ。途中で死ぬかもしれない、傷つくかもしれない」
「覚悟の上です。それに、旅の年季で言えばあなたより先輩なんですよ。私には父の残した馬車がありますし、私を連れて行けば楽ができますよ?」
あの父親のような気概にあふれた顔つきから一転、今までのあどけない少女の顔になり自然と笑みをこぼす。
(敵わんな……)
彼女の決意が固いことを知り、彼は諦めたように言った。
「分かった……一緒に行こう。相棒」
「相棒? ですか?」
「そうさ。これからはアリサ、俺達は対等だ。同じ目標を持ち、同じ道を往く同志だ。俺は君の相棒であり、君は俺の相棒だ」
彼はもうひとつ付け加えた。
「改めて自己紹介しよう。俺の名前はイド。『イド・ミラー』。改めてよろしく、アリサ」
「そう。記憶が戻ったんですね……。うん、よろしく、イド!」
――そして……
「よし、行こう! まずは東だ」
パシン! と馬にムチを入れ、ユルユルと馬車が動き出す。
二人は東への道へ踏み出した。
復讐という呪われた目的を持ち、胸に怒りと悲しみを巣食わせているのに。
二人の旅の始まりは、極めて軽やかな足取りで進んでいった。
「そういえば君は病室での俺の話を聞いていたようだが、あれはどういうことだ?」
動き出した馬車の中、御者台に座る二人は病室でのことを話し合っていた。アリサがここに来たことに対する疑問を、イドが聞いている。
「あの、どういうわけか声だけは聞こえていたんです、ずっと。でも動いたりできなくて……なんだか寝たり起きたりを何度も繰り返してるような感じだったんです」
「聞こえたり、聞こえなかったり……?」
「それで……あの、イドが旅に出るって言ってきて、それはヤダなって思ってたら体が動いて」
彼女の告白にイドが反応する。アリサは今、馬車の荷台に積み込まれていた旅装束に着替えて、さっぱりした姿をしていた。その服の端をグリグリといじっている。どうやら恥ずかしいらしい。
「やだ、とは?」
「あ、あ、あの……さっき言ったことも本心なんですけど、父上が亡くなってから、もう私の知る人が居なくなるのが怖くて……」
良心がチクチクと痛む。後悔の念が鎌首をもたげるように沸き起こってくる。やはりこの判断は間違っていたのだろうか。そういえばあの日に、バフィンから娘を連れて旅をしている理由を聞いたのを思い出した。それと同じことを自分もやっていたのだ。彼女にとってそれこそが本当に怖いことなのだろう。押し黙ってしまったアリサを見てそう思った。
(結果的にはこうなったが、やっぱりあの街に残るべきだっただろうか。いや……いつか必ず旅に出たはずだ。内実は違っても、君も俺と同じなのだから)
――コトコトコトコト……
二人を乗せた馬車は、軽快なリズムで街道を往く。
目指すは東の地。この広い大空の下で、ようやくこの物語の始まりが告げられた。
短編で一気に上げても良かったかもしれませんね
ここまで読んで下さりありがとうございました