三、花の街 カーシャ
【花の街 カーシャ】
その名の通りあちこちに花が溢れ、実に美しい街だ。
ここの花束をプレゼントすると、恋が実り、末永く幸せになれると言われている。その真偽は確かではない。だが、そう言われるほどこの街の花は素晴らしいと評価され、大陸随一とも謳われている。
あれからミラーはバフィンたちに連れられて街を観光している。見るもの聞くものが新鮮だった。花の香りが彼の鼻孔をくすぐる。
(なんともフワフワした街だ)
ゴミひとつ無いどころか、この花の街に相応しくないような置物や建物は一切無かった。最早花のためにあると言っても過言ではない。花が街なのか、街が花なのか、頭が混乱してきた。きっと香りのせいだとミラーは思った。
通りで華美な装飾が施された兵士とすれ違う。
「なんだ、あれ。花のお化けか?」
「あれか? あれはこの街の兵士だ」
「とてもそうには見えない。なぜあんな格好をしているんです?」
「普通の装備じゃ無骨すぎて、この街には似つかわしくないからだとさ」
口調から呆れていることが分かる。
この街を警備する兵士までもが花に彩られた装備を身に着けているのは、街の景観を損なわないようにとの配慮らしい。そのおかげで他の街よりも住民と兵士との仲は良好ということだった。
徹底しすぎて逆に違和感がある。ある意味恐ろしい街だ。
「でも可愛いじゃないですか」
「そうか? 女の気持ちはよくわからんな」
「父上はまず娘の気持ちを理解して下さい」
「花を買わなかったこと、まだ根に持ってんのか……?」
旅の記念に少女は押し花を買ってもらった。本当は小さな花束が良かったようだが、置く場所がないと言われ却下されたのだった。その為いまだに機嫌が悪い。実際長旅に使われる馬車は、女の子が一人いるというのになんの飾りっけもない。アリサが駄々をこねるのも分かるというものだ。時には荒野を行くこともあるというのに、年頃の女の子にとって外も内も無味乾燥というのは非常に酷だろう。
ただ、バフィンの言い分も分かる。確かに置くスペースはないのだ。ほとんどが商品用の品物で埋め尽くされ、ようやく確保できるスペースにはイスや組み立て式の簡易ベットなどが置かれ、とてもそんな余裕はない。
そして一応の妥協案として大きめの押し花を額に入れたものだった。
◆◆◇◇◆◆
夜、宿に戻った二人は共に酒を飲み語り合っていた。特にバフィンは街の花気にあてられたのか、ミラーが見ても明らかに飲み過ぎだった。その為泥酔しているのだろう、込み入った身の上話を話し始めていた。娘のこと、早逝した妻のこと、これまでの商いのこと。酒の入った彼は饒舌に今までのことをミラーに語った。記憶のないミラーには、覚えのない感覚でどこか遠くの事のような話だった。しかし、その一つ一つを心に刻みこもうとしていた。酔っていてもそのような話しをしてくれるのは、なんだか信頼されているような気がして嬉しかったのだ。
「あいつを、旅に連れ出すのは随分迷ったさ。なにせ危険なんて腐るほどある。ただ道を行くのだって盗賊どもや凶暴な怪物に気を払わなきゃならん。だがな……」
ジョッキに注がれたエールを一口ふくむ。窓の外は自動魔導照明の明かりに花が照らされている。明かりそれ自体が一つの花の様に彩られていた。きっとこの街を空から見たら、一つの華の様に見えたかもしれない。それぐらいの景観デザインはやってのけるだろう。いや、もう既にやっているのかもしれない。半日街を練り歩いただけで、そのような気概をミラーは感じていた。
そんな夢想をしていると、バフィンは先を続けていた。
「あいつの目が言うんだよ、私を一人にしないでってな。別に本当に一人で放置するわけじゃない。俺のお袋たちのところに預けるんだ。それでも随分グズってな、最後にゃ泣き叫ぶんだ……。俺も連れ合いを亡くして間もなかったからなぁ、痛いほど気持ちがわかったのさ」
「…………」
「行商は俺の夢だ! そして夢の終着点は世界の珍品を集めた店を持つことだ。だが、夢か娘か……。親父にも言われたよ、二足のわらじは履けない、ってな。俺は、俺は……」
ゴトンとジョッキをテーブルに置いた。その勢いで残った中身が少しこぼれてしまった。
ミラーは何も言わずに聞いている。身じろぎもせずに。
「俺は、夢を……選んだ」
巨体がソファーに深く沈み込んだ。あれほど大きく感じていた身体が、今はしぼんで小さく映る。罪の意識を感じていたのか、あるいは酒に酔っただけだったのか、それは懺悔のように聞こえた。いや、実際懺悔だったのだろう。
「しこたま親父に殴られたよ。お前はひとでなしだってな……。だから夜中の内にこっそりと出発すると決めたんだ。誰にも合わす顔が無かったからな。予定通り馬車を動かし、ある程度進んだ時、後ろの荷台から物音がしたんだ。覗いてみると、泣きはらした顔で毛布にくるまったアリサだった」
「付いて来てたんですか」
「先回って荷台に潜り込んでな。俺は腹をくくったよ。どっちのわらじも履いてやるって。アリサにはこの世界を生き抜くための技術と知識を与えた。娘にするような仕打ちではなかったかもしれんが、それ以外の方法を俺は知らなかった……」
沈黙。それからいくら待ってもバフィンは喋らなかった。もしかしたら寝ているのかも知れないとミラーが思い始めた時、窓に映る街の光景に異変が起こった。
火の手だ。遠方で何かが燃え、爆ぜているのだ。
「な、なんだ……! 親父さん、外! 外見てください!」
ミラーの尋常ではない様子に、慌てて窓を覗きこむ。酔いが覚める勢いで血の気が引いていく。
「な、なんだこりゃぁ……」
南の空が茜色に染まっていた。黒煙が空へ立ち昇り、それは加速度的に広がっていった。
「街が、街がも、燃えているのか……!」
「盗賊団でも攻めてきたか!? しかし、規模が大きいぞ!」
火の手のある南側で爆音がいくつも聞こえた。かなり大きく、自分たちが居る宿ですら衝撃で揺れる。
「やつら火薬まで持ってんのか! 山賊バルトの黒豹どもか!?」
その時ドアが勢い良く開き、アリサが飛び込んできた。顔面蒼白で、バフィンの腕に飛び込み、抱きとめられ震えている。
「ち、父上! 今の……」
「ああ、ヤバイことになった。部屋に戻って荷物をまとめてこい。トンズラするぞ」
そう言って震える娘を部屋に送り返し、自分も逃げる準備を始める。と言ってもそんなに多いわけではない。身の回りの細々とした物がほとんどだ。残りは停留所に止めてある馬車の荷台の中だ。ここに来てから人を雇い、管理させている。
幸いなことにまだ遠くのことだ。今すぐ出れば、すんなり脱出できるだろう。
しかし、
「あん? あんた、どうした……?」
ミラーはぴくりとも動かなかった。元々荷物など無いに等しい彼だったが、それでも様子がおかしかった。さっきから窓に張り付いて微動だにしない。声をかけても反応しない。普段ならば無視されたのならそっとしておくのが心情の彼だったが今は緊急時のためもう一度、今度は強く声をかけた。
「おい! どうした?」
二度目の声掛けにも反応しない。無視を続けるミラーに焦れて、バフィンは準備の手を止め、窓から引っぺがす様に顔をのぞき込んだ。
「お、おめえさん……」
その表情は今まで温和な表情だったミラーとは全く別の顔をしていた。目はカッと見開き、歯を力いっぱい食いしばり、汗を大量にかいている。握りしめた拳は小刻みに揺れ、ミラーは燃え盛る東の方角をただずっと凝視していた。
「おい、大丈夫か」
肩に手をやり揺する。そのおかげかミラーがようやく反応を返した。ただ、歯の根から漏れだすような、何かを限界まで堪えているような、そんな絞りだすような声だったが。
「あの時も、そうだった。炎と爆音……そして、雷光……!」
炎と黒煙に包まれる南方で、天地を貫くような白光が煌めいた。それは炎よりも夜を、夜空を照らし、一瞬だけど真昼のように明るくなった。
光はますます歪む彼の顔を明るく照らした。それは、怒りと憎しみに凝り固まった悪魔のような表情だった。
「間違いない、あいつらだ……」
霧が晴れるように思考が鮮明になっていく。そして、頭は蘇ってくる記憶の濁流に飲まれ悲鳴を上げる。それに耐え、男は己の過去を、あの日の事を無理やり引きずり出した。
男の脳裏に、あの時の光景が蘇る。