#5 動き出した闇
階段を下りる音が二つ響く。
(早く…早く行かなきゃ!)
「あっ!」
そう焦る余り、階段を踏み外してしまった。
来るだろう衝撃に強く目を閉じたが、次の瞬間には腕を掴まれ、落ちずにすんだ。
「大丈夫か!?」
「ヒ、ヒロ…」
目を開け、上を見上げると、心配そうに私を覗き込むヒロと目が合った。
するとヒロは、腕を掴んでいた手を離し、少し乱暴に私の手を取った。
「何に焦ってるか知らないが、教えてくれ…夢の事。……歩きながらでいいからさ」
先に階段を下り始めたヒロの手を、強く握りしめ、私も階段を下りる。
私の手を引くヒロの背中が、とても強く見え、私は口を開いた。
「……女の人がね…好きな人の前で亡くなっちゃう、夢なの」
「…!!」
驚きに目を見開き、ヒロは足を止め、私を振り返る。
ヒロには、これまで夢を見ていることは言っても、内容までは言ったことがなかった。
でも、これ以上の事は何故か言えなくて、私が黙り込むと、ヒロは握る手をより強く…優しく握ってくれた。
「そうか……話してくれて、ありがとう」
「…っ!……うん」
聞いてごめん、辛かったな、そんな言葉が返ってくると思っていた。
でもヒロは『ありがとう』と言ってくれた。
それだけで、私の心は軽くなった。
だが消えない不安が、私の中にはまだ残っている。
それも、ヒロに伝えようと思った時だった。
「きゃあああああ!!」
「「!!?」」
丁度下り立った階から、悲鳴が聞こえたのだ。
(あれ……今の声、はるか?)
私が思ったことを、ヒロも思ったようで、私達は頷き合うと、声のした方へ駆け出した。
走り際、階段の階数表示が見えた…『二階』と。そう、ここは部室がある階だ。
「春華!!」
部室のドアをヒロが開け放ち、私が叫ぶ。
だが、そこには春華の姿は無く、開けられた窓からの風にカーテンが揺れているだけだった。
「どうなっているんだ?春華も…夏輝の姿も無いなんて…」
ヒロが部屋に足を踏み入れ、辺りを見回す。
私は恐怖に震え、奥に進もうとするヒロの服の袖を掴む。
それに気づいたヒロが、優しく手を重ねる。
「大丈夫だ、春華達は無事だ。だから…大丈夫。な?」
「うん…」
本当は、今がどういう状態か分からない筈なのに。
だからだろう、私を落ち着かせるために、ヒロはそう言ってくれたのだと分かった。
「とりあえず…教室にでも行って───」
ヒロが私の手を握ったまま、歩きだそうとした瞬間。窓に腰掛ける人影を見た。
「ヒ……」
私はヒロの手を引き、それを知らせようとした。
その刹那、握られていた手の感覚は無くなり、側にいるはずのヒロの気配がなくなった。
消えた…としか言いようがない。何故なら、そこにヒロという存在がないのだ。
「ヒ、ロ…?…ヒロ…紘斗!!」
「ぎゃーぎゃーうるせえなぁ…」
存在を探すように、私が声を上げると、窓に腰掛けていた影が、ゆっくりと床に降り立った。
「邪魔だったから消しただけだっつーの…」
面倒くさそうに漆黒の髪をかき上げ、影はゆっくりと近付いてきた。
「ヒロに…何をしたの…っ?」
恐怖に震える足を動かし、後ずさりながら、聞けたのはこれが精一杯だった。
だが狭い部室だ、すぐに背中は壁に当たり、私は身動きが取れなくなった。
それを先程まで面倒くさそうにしていたのが嘘のように、その影は笑みを浮かべこう言った。
「へぇ…なんだ、つまんない命令だと思ったけど…結構面白そうじゃん!」
私との距離があと、数メートルという時。
影の姿がはっきりと見えた。
漆黒の髪に、黒一色の洋風の服、私を貫くように見つめる冷酷な金色の瞳。
一見若そうに見える男だが…この男の全てを例えるのなら…───闇だ。
「ああ、なんだ。やっぱり神童か」
突然の声に、私も男も部室のドアを見つめる。
そこに立つ人物に、男は笑みを、私は恐怖に顔を変える。
「やま…せ…先生」
ヒロに伝えようとして、云えられなかったもう一つの不安。
きっと、ここにヒロが居たのなら、迷わず先生に助けを求めていたと思う。
でも、私はこの人に言われた…
『えー最後に…奇怪な夢を見る者よ、貴様の周りを全て消す。消されたくなければ、日が沈み始める頃、一人になれ……。』
朝のあの時、確かにそう言った。
でも、先生のその言葉が分かったのは私だけのようで、一日中考えていた。
もし、あの言葉が本当に起こってしまうなら一人でいた方がいいのでは、と。
(でも、ヒロに心配かけて、側にいちゃった…。だから、ヒロ達は消えてしまったの…?)
「おい、いつまでそんな姿でいるつもりだよ」
私が一人、青ざめた顔で思考をこらしていると、男は胸くそ悪いと言わんばかりに、先生を睨みつけた。
「そうだな…」
それには動じず、先生が薄く笑うと、背中から黒い霧のようなものが漏れ出るように溢れ出した。
やがてその霧は、先生の姿を隠すように、周りを囲んだ。
そして完全に先生の姿が霧に隠れると、次の瞬間には、シュウゥ…という音と共に霧は一瞬にして消えた。
霧が消え、そこに立つ人物は、どことなくもう一人の男に似た、山瀬先生とは別人の男だった。
「……っ…。」
突然の出来事に、私はその場にペタンと崩れ落ちた。
消えたヒロ達、先生とは別人の男と目の前の男、いったい何が起こっているのか分からない。体は恐怖に震え、何も考えられなくなっていた。
「で?…コイツなんだろ、シック?」
先生から姿を変えた男…シックに、私の目の前の男が、座り込む私を指差し訪ねる。
すると、シックと呼ばれた男は頷き、私の側まで歩み寄る。
「ああ、間違いない。現にこうして此処に居るからな。それに…」
そう言うと、シックは私の顎を掴み、上を向かせ、まるで品定めするように顔を見た。
(…いや……嫌っ!)
抵抗しようとしたものの、体は動かず、泣かないようにするだけが精一杯だった。
「どうでも良いけど、早く連れてこうぜ……マゼル様に怒られるから、よっ!」
「きゃっ!?」
シックが私から離れると、目の前にいた男が軽々と私を担ぎ上げた。
それを見たシックは、大袈裟に肩をすくめると、直ぐに笑みを浮かべ、窓に歩き出すと…一瞬にして窓から飛び降りた。
それを追うように歩き出した男も、窓の縁に一瞬で立つ。
「おい、口……閉じてろよ」
そう男が言った瞬間。
私の体を浮遊感が襲った。だが次の瞬間には、浮遊感とは別の感覚が襲う。
(……う、そ…でしょ?……落ちてる!?)
いくら学校の二階といえど、高さからして落ちたら一溜まりもない高さだ。
風の抵抗と、落下のスピードに堪えきれず、私はきつく目を閉じた。
だが、不意に…風の抵抗が無くなり、穏やかな風が頬を撫でた。
不思議に思い、ゆっくりと目を開けると…
(え……浮いてる…?)
校庭の地面まで後数メートルという所で、私の体は止まっていた……いや、浮いていた。
「ヴァール!『通路』が閉じかけている!急ぐぞ!」
「ああ!」
その声にハッとして、シックを見ると、彼の背中に黒い翼のようなものがあった。
そして、恐る恐る私を担ぎ上げた男…ヴァールの背中を振り返ると、シックと同じように黒い翼があった。
その翼をはためかせ、二つの影が上昇して行く。
ヴァールの肩の上で、私は徐々に落ち着きを取り戻していた。
(この人達が何者か分からないけど……。なんとか、逃げなきゃ…!)
まだ恐怖は有るものの、何かしなくてはと、考えを巡らせる。
その時、水平に飛んでいた彼らが、降下し始めた。
周りを見ると、そこは学校裏の林だった。
「よっ…と!」
地面に降り立つと、彼らの背中から黒い翼は一瞬で消えた。
「きゃっ…!」
その瞬間、私はヴァールの肩から乱暴に下ろされ、ドサッと地面に倒れ込む。
「ヴァール、少し乱暴だぞ…傷一つでもあったらマゼル様がお怒りになる。」
「おわっ…それは勘弁して欲しいぜ」
シックの言葉に顔色を変えると、ヴァールは私の右手首を掴み上げ、私を強引に立ち上がらせる。
「おい、逃げようなんて考えるなよ」
ギリギリと手首を握る力を強め、ヴァールは有無を言わせぬ顔で私を睨む。
それには答えず、私は俯く。
すると、最初から答えは期待していないと言うように彼らは、歩き出した。
(これじゃあ、逃げられないよ…)
私の手を引き、スタスタと歩く彼らは、どこか目的地に向かって歩いているようだ。
やがて、視界が開けると…そこは、今朝私達がやってきたあの、ミステリーサークルの場所だった。
だが、今朝とは違い…地に描かれた図形が怪しく、紫色の輝きを放っていた。
「間に合ったな…行くぞ」
「分かってる」
お互いに頷き合うと、彼らは迷うことなく、輝きを放つ図形の中に入っていく。
私も手を強く引かれ、図形の中に足を踏み入れた。
それを確認したシックが、右手を胸にあて、聴いたことのない言葉を並べ立てた。
そして───
『我らの地 魔界へ!』
最後にシックがそう言った瞬間。
図形が、今までで一番強い輝きを放ち、辺りが紫色に埋め尽くされた。
その強い輝きに私は、目を開けていることができず、強く目を閉じた。
───紫色の光が消えると、その場所には図形も、葵達の姿も跡形もなく消えていたのだった。
此処まで読んで下さり、ありがとうございます!
ヒロ達はどこに消えたのか…。そして、葵を連れ去る彼らは何者なのか……。
次は、あの人達が再び登場です!