#22 封じられた記憶
私はアリルさんとイオさんを見つめ、二人と視線が絡み合う。
けれどそこで私の肩に乗っていたネクリスが地面に降り立ち、アリルさんを見上げながら口を開いた。
『アリル。ざんねんだけど、もう時間だ』
「え…」
ネクリスの言葉にアリルさんを見れば、体の下半身はすでになく、上半身だけがかろうじて見えるくらいに透けていた。
そこからはとめどなく光が溢れ、天に昇っていっていた。
それが、アリルさんが此処に留まれるのが限界だということを知らせる。
「ま、待って…アリルさん!!お願い“もう”どこにもいかないで!!」
自然と出た言葉に、アリルさんの肩がビクッと震える。
《…っ。ごめんなさい、アオイ。もっと話をしたかった…ちゃんと、真実を私から伝えたかった…だけど》
フワッと私の額にアリルさんの指先が触れる。
そこから温かな光が体に広がっていくのを感じると、頭の中で何かが次々と蓋を閉じていく。
それが何なのか分からないけれど…今、決してそれを閉じてはいけない気がした。
けれど私の意志とは反対に、それらは鍵をかけるように固く閉じていく。
「いや…待って…。いかないでっ…アリ…ッ…―――お母さん…!」
《…っ!!》
全てが閉じられる前、私の脳裏に“小さい頃の私”を笑って抱きしめてくれている女性の姿が浮かんだ。
それは今目の前にいるアリルさんで、どこか遠い昔にいつも側にいてくれた“お母さん”の姿だと…何故かそう思った。――――
* * * *
「また…記憶を封じたのか?」
イオゼリクは自分の腕の中で、涙を流しながら眠るアオイを悲痛な面持ちで見つめた。
《ええ、一部…だけど。
私たちが感情に任せて言ってしまったから、前にかけた魔法が解けかかってしまったみたい。
…たぶん、此方の世界に来て私や、イオ、アルクスといった“関わりのある人達”に会ったことも原因。
だから……新しく封じるしかなかったのよ。ううん、これでよかったの…》
イオゼリクと同じように悲痛に歪めながらも、アリルは笑みを浮かべると消えゆく手でアオイの頬を撫でる。
《いつかは言わなくてはいけない日が来ると思う。だけど今はその時じゃない…から》
「それは…アオイが決めること、か?」
アオイの頬にあるアリルの手の上に自らの手を重ね、イオゼリクはアリルを見つめた。
《ええ。アオイが本当に真実を知りたいと願った時、それと同時に受け入れる覚悟が備わった時…私の魔法は自然と解けるわ…》
「……それは、アオイはもうこの世界で生きていくしかないということか」
イオゼリクの答えの分かっている問いに一瞬言葉を詰まらせるも、アリルは静かに頷く。
《アオイは…私達『光』と『闇』の間に生まれた子。
天界と魔界が争う今、一番強い力を持っているだろうこの子は両側にとって喉から手が出るほど欲しい存在よ。
そんなこの子を、魔力の出しにくいあちらの世界に置いておくのは、返って危険だわ》
「そう、だな」
苦しそうに表情を曇らせるイオゼリク。
──天界と魔界。決して交わってはいけない世界の者たちが交わり「アオイ」という“繋ぐ者”が生まれた。
俺達の愛の結晶。小さくも温かかった。
それを誰もが“交わり”を忌み嫌い、殺そうとまでした。
だから…俺とアリルは違う世界にいた方が安全だと、アオイを…手放した。
短い間だったが、アリルと俺と過ごした記憶を封じて。
だが戦争が拡大していき、皆勝つことに執着し、考えることは…「強き力」を手にし、天界を、魔界を、破滅させることだった。
そしてたどり着いたのが「魔王」と「天界の姫」との間に生まれた娘。
勿論、俺たちはそれを食い止めようとした。
けれど魔界では魔王である俺の言うことに耳を貸さず、天界では姫であるアリルの言うことを誰も聞かず。
皆…血眼になってアオイを探していた。
俺達は…アオイを守るために。そして、アオイと共に三人で暮らせる日を願って戦っていた…のに───
「俺達は…愛し合ってはいけなかったのだろうか」
《!…そんなこと!》
「分かっている……俺のアリルを愛する気持ちは変わらない。
けれど…アオイを巻き込んだこの戦いは、俺達の関係も火種の一つだったのではと……ここ数百年、思っていた。
数百年…長いことなのに、短く感じる。
だからこそ、天界も魔界も…何一つ変わっていない」
悲しげに細められた目に、イオゼリクが見てきたものが知りたいと…アリルは思う。
(人の姿をしていようとも、私達は人間という種ではない。
だからこそ、時間の流れを気にせず生きている。けれど……イオ、アナタは…っ)
自意識過剰だと思われてもいい、それでもイオゼリクは自分を世界一愛してくれていた。
けれどそんな自分が、逝ってしまい…“独り”という時間を数百年もの間“一人”で生きてきたのだと、今になってアリルは理解した。
(もし自分が同じ立場だったら。そう考えて思うのは…自らの命を絶ち、後を追うこと。
けれどそうしなかったのは…)
目を向けた先には、スヤスヤと眠るアオイの姿。
《イオ、私はアオイを産んだことを後悔していない。アナタを愛したことも後悔なんてしない。
たとえ天界と魔界があれから変わっていなかったとしても、争いを止める事を諦めないで!》
「アリル…」
《イオは数百年をちゃんと生きてきた、それは何故?》
「それは…」
突然のことに戸惑うイオゼリク。
アリルは消えてゆく自分の手を精一杯伸ばし、イオゼリクの胸に指を当てる。
《アオイを…探していたのでしょう?》
「!!」
ハッとしたように目を開き、イオゼリクはアオイを見つめる。
(俺は…アリルを探していたんだ。
死んだなんて嘘だと、どこかにいるんだと…自分に言い聞かせて。
けれど…心のどこかで分かっていたんだ……アリルは亡くなったのだと。
だから……俺はアオイを探した。違う世界にいるアオイを…)
「そうだ…ただ…会いたかったんだ。
俺が接触する事で、戦いに巻き込まれるのは解っていた。だが…っ」
そこで、イオゼリクの頬を涙が伝った。
(会うことは叶わず、何百年もの時を経て、アオイを見つけて…“また”出会えたとき、嬉しかった。懐かしかった。愛おしかった。
だが同時に…アリルはいないのだと、悲しかった…んだ)
その表情は子供のような泣き顔で、アリルも初めて見た表情だった。
──まるでアリルを亡くした時の悲しみと、独りで過ごしてきた時間の分だけの悲しみを流すように、イオゼリクの目からは涙が溢れる。
それを見たアリルもまた、優しげに目を細めると涙を零した。
《いいの。泣いて、いいの。
イオ…ごめんなさい。私もアナタとアオイとずっと一緒にいたかった…。
傍にいられなくて…ごめんなさいっ》
アリルも自信の想いを、涙で零す。
それはこれからのアオイの成長を側で見守れないこと。
悲しいとき、嬉しいとき、アオイとイオゼリクの側で一緒に分かち合えないこと。
そして―――大好きで大切な相手に、触れられないこと。
《イオ…アオイを守って?
傍にいられなかった分を、私の分も、これからずっと…共に過ごして?
私は…傍にいられないけれど…ずっと、ずっと貴方とアオイを想ってるから》
ポロポロと止まることのない涙に構わず、アリルは微笑んだ。
その笑みは、母親の穏やかな笑みだった。
すると、今まで黙って聞いていたネクリスがアリルの手にすり寄った。
『僕も、アリルの分までアオイの側に居て、ずーっと守り続けるよ』
《うん、ありがとう…ネクリス》
イオゼリクは涙を拭う事なく、アリルを見つめた。
「ああ。…もう一度、約束する。」
《…もう一度?》
その言葉に首を傾げたアリルに、イオゼリクは顔を近づけた。
「“あの子をお願い”…お前との、最後の約束の事だ」
《っ…うん。じゃあ、もう一度。───アオイをお願いね、イオ》
「ああ、誓おう。…絶対に、護ると」
嬉しそうに目を細めたアリルの頬に、イオゼリクが触れると、二人は愛を確かめ合う。
「…愛してる、アリル。これからも」
「私もよ、イオ。愛し続けてる…」
二人の気持ちを繋ぐように、唇が触れ合った。
その瞬間、アリルの体は淡い光となり天へと昇っていった。
──だけどね、イオ。力あるアオイはきっと……戦うことを避けられない。
それが…あの子の…『繋ぐ者』の運命。
だから…あの子の“心”も守って。──
そんなアリルの声を、イオゼリクは聞いた気がした。
そして未だ眠るアオイが目を覚ましたとき、新たな決断が彼女を待っていると確信したのだった。
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