#2 大切な人達
ベッドから体を起こし、側のカーテンに手をかけ開け放つ。
眩しくて目が開けられない程の朝の光が、窓から体に降り注ぐ。
その光に背を向けるように手を伸ばし、ベッド脇の目覚まし時計を止める。
「……朝、か」
時計の針は六時を指していた。
(早く…着替えなきゃ)
ベッドから抜け出すと、真っ直ぐクローゼットに向かい、掛けてあった制服に手を伸ばした。
だが、その手は制服を掴むことなく、空中で止まる。
「っ……」
ポロポロと、頬を涙が伝う。
嗚咽が漏れるのを止めようと、口を押さえる。
だが、涙は止まることなく流れ続ける。
(まただ、夢の…筈なのに…。なんで、こんなに悲しいの…?)
──小さい頃から見ている夢。今日もまた、その夢を見た。
男の人と女の人の夢。知らない人達なのに、とても大切な人たちな気がしてならない。
そして目が覚めると、いつも涙が溢れて止まらないでいた。
それは小さい頃も同じだった、ただ違うのは恐怖に泣いていたということ。
でも、今思えばそれも分かると思う。
あれは、人の死…。
「葵?…まだ寝てるのか?」
昔の事を考えていると、不意にドアがノックされた。
心配そうに聞いてくるこの声は、二歳年上の悠磨お兄ちゃんだ。
私は『ユウ兄』と呼んでいる。
「お、起きてるよ!今、着替えているから!」
泣いているのを悟られないよう、元気に言ったつもりだったが、少し声が震えてしまった。
「………。わかった、先に行ってるぞ」
少しの沈黙の後、ユウ兄の気配がドアの向こうから消えた。
少しして階段を下りる音が聞こえ、それに安堵するも、悲しい気持ちは未だ心に残っていた。
(気づかれた…かな?とにかく、心配させないように早く着替えて、下に行かなきゃ!)
頬を伝う涙を拭い、気持ちを切り替えると、早々にパジャマを脱ぎ捨て、制服に着替えた。
ボタンを止めていないコートを羽織り、パタパタと音をたてて、階段を駆け下りる。
すると、目の前に洗面所に通じるドアが見え、そのドアを勢いよく開ける。
中に入り、左側にある洗濯機にパジャマを放り込むと、今度は右側にある洗面台の鏡を覗き込む。
「わっ…やっぱり、赤くなってる…」
そこに映ったのは、目の周りが少し赤くなったのを、嫌々しく覗き込む自分の姿だった。
しかし時間がないので、少し寝癖がついている髪をとかし、顔を荒うだけで朝の準備を済ませる。
「あおい~?もう、六時半過ぎたけど、いいのかー?」
タオルで顔を拭いていると、洗面所の隣にあるリビングから、ユウ兄の声が聞こえてきた。
そこでハッとなり、腕時計を見て青ざめる。
(いけない!…『ヒロ』との約束、六時半だった!)
階段を下りる時と同様に洗面所を出ると、リビングに顔を出し、玄関まで駆け抜ける。
「私、もう行くね!」
「なっ!?おい、葵!朝飯は!?」
リビングの入り口に一瞬で現れ、一瞬で消えた葵の姿に、茶碗にご飯を盛っていた悠磨は一瞬呆気に取られたが、葵を追いかけ玄関に駆け寄る。
「朝ご飯はいいや、途中で何か買うよ!じゃ、行ってきま~す!」
言うが早いか扉を開けると、葵は駆け出したのだった。
─── パタリと、玄関の扉が閉まる。
持ったままだったしゃもじと一緒に、呆然とその場に立ち尽くす悠磨。
そしてうなだれたまま、リビングに戻るとため息を吐く。
「まったく…今日は俺が朝飯当番だから、気合い入れたのにな…」
悠磨の視線の先、ダイニングテーブルには、まだ湯気の立つ豆腐とワカメのお味噌汁に、お皿に盛られた綺麗な形の焦げ目のないオムレツ。その上にはケチャップで星の形が描かれていた。
レタスとミニトマトのサラダも脇に添えられていて、一見和と洋の組み合わせに見えるが──ただ、悠磨が作れるものを並べただけである。
(せっかく、葵が元気ないなと思ったから、葵の大好きなオムレツ作ったのに…。星付きの…)
葵の分のオムレツだけ、星が三つ描かれていた。
それは、悠磨なりの励まし方だった。
「う~ん…やっぱり、星は無いんじゃないか?星は…。」
「そうだよな…。葵も、もう十六歳だし、星はまずかったかな…───って!?」
突然後ろから聞こえた声に、悠磨は振り返りながら距離を取ると、その声の主にしゃもじを向ける。
「……人を化け物でも見たような目で見るな。それに、しゃもじをそんな風に扱うな…行儀が悪いぞ、悠磨。」
その言葉にムッとした悠磨だったが、正論なので言い返すことができず、しゃもじを下ろす。
そして、憎々しげに口を開く。
「今日仕事は、お昼からじゃなかったっけ…政稀兄」
悠磨の声に耳を傾けながら、政稀は冷蔵庫に手をかけ、中から牛乳を取り出すと、コップに注ぎ一口飲む。
「ああ、そのはずだったんだが、急遽変更になってな…八時には、出るよ」
言い終わると、残っていた牛乳を飲み干し、政稀は自分の席に着く。
悠磨も、二人分のご飯を茶碗に盛ると、自分の席に着いた。
差し出された茶碗を「ありがとう」と言って受け取ると、政稀は見るからに機嫌の悪い悠磨に問いかける。
「それで?…また、葵に振られたのか?」
「ぶはっ!?な、なな!?」
お味噌汁を飲んでいた悠磨は、核心を突かれ吹き出した。
どんどん顔が赤くなっていく悠磨を見て、「図星だな」と政稀は不適に笑い、テーブルに零れた、味噌汁を拭く。
「まあ、葵も少しは悠磨の気持ちを考えてやればいいのに…。毎回、悠磨が当番の時だけ、朝早いよな」
「……それ、今言うなよ。泣くぞ」
「…悪かったよ」
キッと睨んでくる悠磨に、大袈裟に肩を竦めると、政稀は自分の味噌汁に口をつける。
毎度飲んでいる味噌汁だが、その美味しさにいつも顔を和らげている。
そして政稀も考えるのは、いない妹のこと。
(悠磨も可哀想だと思うが、葵は毎回朝早くに何をしているんだ?…顔くらい見せてから行けばいいのに…。)
いきなり黙り込んだ政稀に、悠磨は先程の葵の様子を思い出し、口を開く。
その表情は、さっきまでとはまるで別人のような真剣な表情だった。
「そんな事より、葵…今日も泣いていた。多分、またあの夢を見たんだと思う」
「それは…本当か?」
悠磨が頷くと、政稀は考えるように顎に手を添え、俯く。
部屋の空気が緊張に震え、堪えきれないとばかりに悠磨が声を上げる。
「なあ、もしかして葵は…もう──」
そこで言葉を切った悠磨に、政稀が顔を上げる。
「いや、まだ知らないだろう。だが、もう事は起きているかもしれない……──悠磨」
悠磨と政稀の視線が絡み合う。
「出来るだけ…いや、一秒でも長く葵の側に居ろ。そして──奴等から護れ」
政稀の言葉に、悠磨の手は震えていた。そして、聞かねばならないと思った。
答えを知っていても、言葉で確認したかった。
「……『どっち』から護るんだ…?」
「…両方だ。」
きっぱりと、そしてはっきりと政稀は告げた。
その言葉に悠磨は改めて、自分のやるべき事を肝に銘じたのだった。
──その頃葵は、待ち合わせ場所へと息を切らせながら駆けていた。
冬の寒さに吐く息は白く、手は悴んで、少し赤くなるくらい、外は冷え込んでいた。
数分後…小さな公園が目の前に見えてきた。
その入り口には、私と同じ学校の制服の上に、黒いコートを羽織った黒髪の男の子が立っていた。
私はその男の子を見て、笑みを浮かべると、走る速度を早めた。
「ヒロッ!」
名前を呼ばれ、振り向いた幼馴染みの彼『片倉紘斗』は、少し怒っているようだった。
(当たり前だよね…六時半って言ったのに、もう、四十分だもんね…。素直に謝ろう)
ヒロの前に立つと、私は膝に手を置きながら、荒い息遣いで頭を下げる。
「ご…ごめんね…はあ、はあ…遅くなって……怒ってる?」
少し顔を上げ、ヒロを見つめると、彼は先程より顔をしかめていた。
「ああ、怒ってる……」
(うう…やっぱり…)
「…何かあったんじゃないかって、すごく心配した。だから、怒ってる」
「え…?」
息を整えて頭を上げると、ヒロは心配そうに、私を見つめていた。
そして私の頭に手を置くと、優しく撫でる。
身長が私より、数センチ高いヒロは、最近やたらと頭を撫でてくる。
別に嫌ではないけど…恥ずかしい。
「遅れるときは、メールか電話。これは絶対守れよ、約束だ……『アオ』」
これは、幼馴染みである私達だけの「名前」の約束。
私はヒロと呼び、紘斗はアオと呼ぶ。
小さい頃から変わらない、二人でいるときだけの愛称。
それが嬉しくて、私は自然と笑みを深める。
「アオ?聞いてるのか?」
「あっ…ごめん、聞いてるよ。メールか電話、ね!わかった、約束する…!」
不意に顔を覗き込まれ、咄嗟に視線を逸らし、了解したとばかりに何度も頷く。
それを訝しげに鋭い視線を送るヒロに堪えきれず、私は逃れるように歩きだした。
「ほ、ほら!遅れちゃうから、早く行こう!」
少し早足で歩いていると、後ろで盛大なため息を吐いて、仕方ないとばかりにヒロは私の隣に並んで歩く。
そして、思い出したかのようにコートのポケットに手を入れると、携帯を取り出し、私に見せる。
「さっき、夏輝からメールがきた……でも、俺には解読できなかった…」
「え、夏輝くんが?珍しいね、ヒロにメールくれるなんて…」
そう言いながら、ヒロの携帯を受け取り、メールを開く。
夏輝くんは、私達と同じクラスで、部活も一緒のヒロの友達だ。
でも、クセのある人で、毎回メールがヘンテコなので私が解読している。
──件名 寒い
本文 早く、春、水、来て───
それだけが書かれたメールを見て、私は納得した。
「えっと…寒いから、早く待ち合わせの噴水公園に来て、春が怒ってるから…って言いたいみたいだよ?」
「よく分かるな…この暗号みたいなメールで…」
私が携帯をヒロに返しながら、メールの内容を言うと、ヒロが感心したように携帯を見つめる。
「まあ…春華に教えてもらったからね」
私が言った「春華」という名前に、ヒロは納得したようだった。
春華は、クラスは違うが同じ部活なので、私の親友とも言える人だ。
そして、夏輝くんとは、双子の姉弟なのだ。
「おい、さっき春華が怒ってるって言わなかったか…?」
少し、青ざめて私を見るヒロに、私も恐る恐るヒロを見上げ、頷く。
「そう、言ったよ……。ま、まずいよ!急がなきゃ!!」
「あ、ああ!」
駆け出した私に続き、ヒロも駆け出す。
(春華が怒ると、すっごく怖いんだよー!もっと早く走れ~!私の足ー!!)
凄い速さで駆け抜ける二人の姿が、道の先に消えていった。
──だが、そんな二人を見下ろすように、二つの怪しい影が、空に浮かんでいた。
その影は、二人が消えた方向に目を向けると、後を追うように飛んでいった。
此処まで読んで下さり、ありがとうございます!
この後から、盛り上げていきたいと思います…!