#18 白き獅子“ネクリス”
「移すって…魔界をグランド・マリアに転移させるってことか!?」
ユウ兄が驚愕の表情で鏡の中のセイリーンさんを見つめる。
『そうです。結界を通さずに転移するには膨大なマリアと、大きな陣が必要なのはわかっています。
なので今、私の部下であり魔界随一の魔術師たちに陣を描かせています。
そして先程も言ったとおりマリアは私のものを使い、魔界を移すのです。』
セイリーンさんの説明に誰もが言葉を失った。
この世界の仕組みや、魔法にマリア。
私は全てにおいてまだよく理解していない所があるけれど、これだけは分かった。―――この人は死ぬ気だ、と。
「他の……他の方法を探しましょう!」
鏡を覗き込むようにして、私はそう言っていた。
そんな私の言葉に、セイリーンさんは一瞬目を見開くも直ぐに真剣な表情に戻った。
『そんな時間はありません。私は魔界を、魔界に住む者たちの命を救わなければなりません。その為なら、私は快くこの命を使います。だから…!』
覚悟は決めた。そう語る彼女に、私は声を荒げた。
「そんなの…間違ってます!!」
奇麗ごとかもしれない。けれど言わずにはいられなかった。
「快くとか、自分の命をそんな簡単に捨てるようなこと言わないで下さい!
……死んじゃったら、もう…大切な人に会えないんですよ?
貴女を思っている人のことを、考えてください!!」
(きっと、アリルさんだって…そう思ってた。夢の中のあの人を置いて一人で逝ってしまうのを…とても後悔していたから!)
「アオイ…」
私の声に驚いたのは、彼女だけではなかった。
イオゼリクさんもユウ兄もただ静かに私を見つめていた。
『……そう。貴女がアオナシエル、ね。本当に似ているわ…』
セイリーンさんはそういった後、イオゼリクさんを一度見てから私に視線を移した。
「…?」
誰に似ているというのだろう。
どうしてそこでイオゼリクさんを見るのか分からず少し眉間に力を入れていると、彼女は笑った。
『ふふ…。イオゼリクが大切にする理由が分かったわ』
「……あの?」
『貴女の言いたい事は伝わりました。
ですが、今の状況を打破する手段を探すといっても…何か当てがあるのですか?』
「そ、それは…」
(何も考えてなかった…。)
焦る私に、イオゼリクさんから助け舟が出される。
「まずは、あの闇をどうにかしないといけない。魔界であるこの空間を捨て、大陸と魔界人だけを移すにしても…あの闇がグランド・マリアとの境界にあっては、いくら結界を解さない転移の魔法でも使えないだろう。」
『そうですね…。私のいる王都が唯一グランド・マリアと接触できる位置にいましたが、闇に多い尽くされ、今は結界を張って飲み込まれないようにしていますから。』
セイリーンさんの後ろは窓なのだろうか、外は漆黒の闇が広がり覆い尽くされているのが分かった。
「城には他の魔界人もいるのだろう?ならば、とりあえず結界を張ったまま此方に繋げろ。
……先程はお前一人そこに残るために王都は浮かせることなく、そのまま闇に飲まれてもいいと思っていたようだが…。
その意味はもうないだろう?それと、転移のときは俺達も一緒に魔法を使う。」
一度私に視線を移したイオゼリクさんが、優しげな笑みを浮かべた。
それを見たセイリーンさんは驚きに目を見開いたが、直ぐに嬉しそうに微笑んだ。
『そうですね…。私も、生きる為に…この力を使います』
「セイリーンさん…」
彼女の言葉に、自分の意志が伝わっていた事が分かり私は微笑んだ。
(だけど…。あの『穢れ』は…どうしたらいいんだろう)
私が自分の無力さに俯いた――その時。
―――《……僕を、呼んで?》
「え…?」
頭の中心に直接声が響いた。
《アリルとの…力。君が、受け取ったんでしょう?》
(力を…私が受け取った?)
これで二回目の声は、少年のような声だった。
彼の言葉を心の中で反芻して、知っている単語に気づく。
「アオイ?……どうし――」
黙り込んだ私にイオゼリクさんが手を伸ばすのと、私が言葉を紡ぐのはほぼ同時だった。
「…アリルさんの力」
ピクッとイオゼリクさんの手が止まる。
『アオナシエル?』
「葵?」
セイリーンさんとユウ兄も不思議そうに見つめてくるのが分かる。
けれど私は、そうしなければいけない気がして目を閉じた。
(貴方は誰?…アリルさんとの力って何?私が受け取ったのなら、その力は私にも使えるの?)
《…僕との力、君にも使える。》
(!!…それならお願いします!その力を魔界を救うために貸してください!!)
私の声に答えるように、私の胸に温かなもう一つの鼓動があるのに気づいた。
それはドクン…と音を立てる。
《力は、君の望む通りに使える。それはアリルが望んだ事だから。だから……僕の名を呼んでほしい―――僕の名は》
ゆっくりと目を開ける。
そこには心配そうに見つめるユウ兄と、鏡越しにセイリーンさんがいた。
「私の…考えを聞いてもらっても良いですか?」
そう言った私の言葉に、誰もが真剣な表情になった。
―――――「………。」
大陸の端に、私は向かう。
その間にドォン…と音を立て、セイリーンさんのいる大陸である『王都』が繋がった。
「葵…!」
私を追いかけるようにしてユウ兄が駆け寄ってきた。
「無事に全部の大陸が繋がった。…いつでも転移魔法を使えるそうだ。」
ユウ兄の報告に、私は深呼吸を繰り返す。
「うん、分かった…。ありがとう」
何か言いたげなユウ兄の視線には気づいていた。けれど、私は笑顔を見せると歩き出す。
「葵!…本当にやるのか?もしかしたら、お前は…!!」
引き止めるように私の腕を強く握り、ユウ兄は悲痛な表情を浮かべた。
その反動で振り向いた私は、安心させるように笑う。
「大丈夫だよ!セイリーンさんに言ったでしょ?…自分の命を簡単に捨てるような事はしないでって。それを、自分で破ったりしないよ」
震える手を隠すようにしてユウ兄の手を外し、私はもう一度前を向く。
(私が聞いた『あの声』の力を使えるのなら…。きっと私の言った考えで―――)
「…自分が闇を払うから、その間に転移してくれ。」
「…!」
先程言った自分の言葉を反芻され、私は足を止める。
目の前には最初に会った時と同じ距離で、イオゼリクさんがいた。
「まだ…納得してくれてないんですね?」
「ああ、していない。」
短く返された言葉には、怒りの色が滲んでいた。
私が困ったように笑うと、イオゼリクさんが距離を詰めた。
「何故、力を使う?お前は今まで普通の人間として生きてきた…ならばこれからもそう生きていけばいい。
此方に関わらず平和に生きればいい。
無理することなく、自分の生きたいように生きてくれ…。お前だけなら、俺があちらの世界に…っ!!」
スッと手を伸ばして、私は感情を表に出して取り乱す彼の頬に触れた。
「…これは、自分で決めた事です。」
頬は冷たく、温かさを知らないみたいだった。
彼はいつも冷静で、それでいて温かい人だ。
けれど、時々その存在が消えそうに、不安定になるのを…短い間しか側にいない私でも分かった。
温かな人なのに心を閉ざして。…とても冷え切った人。
(それは…大切な人を目の前で亡くしたから、ですよね?)
「イオさん」
「!!」
彼は大きく目を見開いた。
もう、その名で呼んでもらうことは無いだろうと思っていたのに…もう一度呼ばれた。
そのことが嬉しい。けれど、悲しい。
そんな複雑な感情が、彼の瞳を見て分かった。
「私は貴方の前から消えたりしませんよ?
…なんとなく、ですけど…私はきっとアリルさん(あの人)と何か繋がりがあるんですよね?だから、貴方は私を助けてくれた。」
「どうして…アリルを…っ。」
何かを言いよどむ彼に、私は続ける。
「けれど、私は『葵』です。他の誰でもなく、私は私なんです。
だから……これは私が決めた事。貴方やユウ兄、セイリーンさんや、まだ知り合っていない魔界の人たち…。私は自分の力で助けたい。」
(力なんて怖い。
だけど、アリルさんに言われた…『私の出来なかった事をやり遂げて』っていうあの言葉を、私は成し遂げたい…!)
自分の気持ち、自分の意志を…彼に伝わるように、私は真っ直ぐに『銀の瞳』を見つめた。
「……。同じ瞳で、同じことを言うんだな」
「え…?」
真っ直ぐに私の視線を受け止め、彼はフッと悲しげに微笑んだ。
そして頬にある私の手を取ると、そのまま私を抱き寄せた。
肩にかかる体重と、首筋にかかる息。
それは温もりを持ち、先程までの冷たさはどこかに消えていた。
「絶対に、消えさせない。
…危険だと思ったら、直ぐに引き返えすんだぞ?…そうでなくとも俺が必ず…迎えにいくからな」
「…はい」
彼の背に手を伸ばす。
強く抱きしめあう温もりに、私は大丈夫。そう確信できた。
「いつまで、やってんだ!!」
彼から引き離すようにユウ兄が私の腕を引いた。
「…邪魔をするな」
「邪魔って…!」
「もう!ユウ兄のバカッ!」
「え…俺が悪いの?」
放心状態になったユウ兄が可笑しくて思わずクスリと私が笑うと、イオさんも微笑んだ。
(うん…大丈夫。絶対に、成功するよ!)
迫り来る闇はもう直ぐそこまで来ていた。私は意を決して、大陸の縁に立った。
それと同時に後ろから詠唱が始まり、大陸の集合体全土に結界が張り巡らされていく。
その詠唱とは別に、違う詠唱も聞こえてきた。
声の中には、ユウ兄、イオさん、マゼルさん、シックさん、ヴァールさん。そしてセイリーンさんの声もある。
それが合図のように、私は目を閉じる。
(名前を呼んで、だったよね。
…名前―――彼の名は)
「――――…ネクリス」
囁くように小さな声だった。けれど大声を出したかのように、息が切れているのに気づく。
私の中から何かが膨大に抜け出ていくような感覚があり、それと同時に綺麗な白い光が体に入っていくるのが分かった。
《呼んでくれて、ありがとう》
「!!?」
私は響く綺麗な声に驚き、目を開けた。
「…あれは!」
詠唱中だったセイリーンさんも驚きの声を上げるも、直ぐに詠唱に戻った。
驚くのも無理ないだろう、私の目の前にいるのは二メートルはあるだろう『白き獅子』なのだから。
しかも左目は澄んだ青色、右目は虹色というオッドアイ。
鬣はキラキラと光が当たっているように輝き、体も同じように光を放っていた。
白き翼を羽ばたかせ宙を浮く姿は、神獣と言われても納得してしまうほど優美な姿だ。
たとえるのなら『光』…それも空高く輝きを放つ太陽のような存在。
《何を、望む?…我が主。君の意に、僕は従う。》
「ええ!あ、主って」
(なんで、いつの間にか主従関係みたくなってるの?)
《力が、いるんでしょ?…僕は君が気に入った。それに『契約』はもうなされている。だから僕は、君の命令に忠実に従う。》
獅子…ネクリスは困惑する私の前に顔を近づけると、色の違う大きな二つの瞳で私を見つめた。
その瞳に緊張が和らぎ、私も見つめ返した。
「あの『穢れ』の闇を払う…みたいな事、出来るかな?」
《え?…そんなことでいいの?》
「え、そんな簡単な事なの!?」
あっさり言ってのけるものだから、私は思わず聞き返してしまった。
それに答えるようにネクリスは頷く仕草をすると、ゆっくりと私に背を向けた。
《僕の力は光の力。闇を払うなんて、容易なことだよ?…だけど魔界全土となると、少し厳しいから……背に乗ってくれる?》
「の、乗るの?」
《うん。君の力を僕の力と同化させて、一気に放出する…その為には僕のより近くに居てもらわないと》
そう言いながらネクリスは乗りやすいように、翼を大きく広げてくれた。
(動物の背中に乗るのなんて初めてだよ…しかもライオン。少し不安だけど……迷ってる暇は無いよねっ!)
二、三歩下がり、私は助走をつけてネクリスの背に飛び乗った。
ボフンッ!と音を立て、フワフワな真っ白い毛に視界が覆われる。
私はぎゅっとその毛を掴むようにして、顔を勢いよく上げた。
《うう…少し強く掴みすぎだよ~!》
「え?…あ!ご、ごめんね!」
パッと手を離して自分のいる場所を確認すると、どうやらネクリスの体ギリギリの所(下半身)にいる状態だった。
《あ!手を離しちゃ駄目だよ!!》
「え…あわわっ!!?」
(落ちる…!!)
引っ張られるように体が後ろに倒れていき、私は何かを掴もうと手を伸ばす。
けれどそれは何も掴むことなく、落ちるのを覚悟した。
《はあ…。こんなところまで似てるとは…思わなかったよ》
直ぐ側でネクリスの声がすると思ったときには、私はネクリスの首元、鬣に顔を埋めていた。
「あれ…?」
《こんな事になるなら、最初から魔法で背に乗せれば良かった…》
ネクリスのその言葉に、彼が助けてくれたのだと分かった。
「ありがとう、ネクリス」
《お礼を言うのは早いよ。いい?僕の鬣をしっかり掴んでいて。……痛いのは我慢するから》
「うん…!」
私の返事と共に、ネクリスは浮上した。
その途端、大陸に結界が張り終わったのか、一瞬だけ輝きを放ったように見えた。
此処まで読んで下さり、ありがとうございます!
やっぱりまだ終われてないよ!…私!
が、頑張りますので…次回も読んで頂けると嬉しいです!!