06
あたしは素早く印を結ぶと風の魔法の力を使って人間の脚力の限界を超えた速度で子猫に詰め寄った。魔法で接近を阻んでも詰まった距離が伸びることはない。むしろ距離を詰められた状態で魔法を発火したときにできる隙を狙われると逆に逃れようがなくなる。接近戦は防御側が不利だ。
「<発火>」
呼び出したのは足元の地面を柔らかくして底なし沼に引きずり込む土属性の魔法。発動時の距離、わずか1メートル。距離が近くなればそれだけ魔法の着弾までの時間が短くなり、この距離ならどれだけ魔法が早くても防御している余裕はない。この勝負、あたしの勝ちだ。
タッ
――なっ、躱した!?
俺は少女の突進を見て十分に引きつけて魔法の発火を待ってから素早く飛び退いた。接近戦で魔法を使う時の最大のリスクは自爆だ。相手と自分の距離が近い分、効果範囲を広く取り過ぎると自分までダメージを負ってしまうから、魔法の発動は範囲を限定する必要がある。それは、逆に言えば避けやすいということだ。
もちろん、避けるのが早すぎれば追いかけられて着地地点を狙われるだけだから、ぎりぎりまで引きつけて魔法を発火するタイミングで避けなければならない。普通の運動能力では発火から着弾までの間に避けることは不可能だが、俺の場合は水属性の身体強化を常時発動して、筋力と物理攻撃耐性を高めているからそのくらいはお手のものだ。
「<発火>」
そして俺は着地とともにカウンターを放った。風属性のかまいたちだ。少女は風属性の魔法で加速しているので、それを巻き込めば威力が増加する。おまけに少女はさっきの魔法の反動ですぐには防御魔法を呼び出せない。
――もらったっ。
あたしは子猫に攻撃を避けられて反射的に次の攻撃を予測した。次の攻撃は絶対にあたしの魔法に被せてくる。風か、もしくは土か。
子猫の動きを目で追って結印の瞬間をかろうじて目の端に捉え、その魔法が風だと言うことを確認すると、あたしは迷うことなく目の前に作った底なし沼へと飛び込んだ。一瞬の後にあたしのいた所をかまいたちを含んだ突風が吹き抜けるが、あたしはもうそこにはいない。
「<発火>」
底なし沼に潜ったあたしは頭上の危機が去った頃合いを見て水属性の魔法を呼び出した。あたしの身体を水が包み込み、沼の中から吹き上がる噴流に乗って地上へと舞い戻る。土属性の沼と水属性の噴流が相殺する時には、あたしは地面の上に着地していた。
「あーあ、ずぶ濡れ」
泥汚れは水流がすっかり流してくれたが、頭の先から足の先、パンツの中までぐっしょりだ。後で魔法で乾かせばいいだけのことだけど不快極まりない。
だけど、不思議な事に気分は悪くなかった。むしろ楽しくて仕方がない。こんなに戦いが楽しいと思ったのはいつ以来だろう。多分、あいつがいなくなってから、こんな気分になったことは初めてじゃないだろうか。
――次はどうしようかな。
ずぶ濡れのまま楽しそうににこにこ笑っている少女を見て、俺は高鳴る気持ちを抑えることができなくなっていた。
――こいつも楽しいんだ。
目の前の少女はきっと俺と同じで、この戦いが楽しくて仕方がないんだ。こっちが何か攻撃して、その手を読んだ相手が裏をかき、さらにそれをこっちが予測して先回りする。言葉は通じなくても魔法のやり取りだけでお互いの考えていることが想像できる。こんな相手には滅多に出会えることはない。
少なくとも俺は初めてだ。
こいつが相手だったらいつまででもこの戦いを続けていたい。元々はこの家から少女を追い出すことが目的だったのに、俺の頭からそんなことは完全に抜けさってしまっていた。むしろ、今はこの戦いを終わらせるのがもったいない。
「この野良猫め。よくも……」
高揚した気分で1人と1匹が睨み合っているところに、さっき子猫に倒された男が1人、意識を取り戻して棒を構えて近づいてきた。
「邪魔です。 <発火>」
「うるさい。 <発火>」
そこへ、完全に息のあった少女と子猫が、全く同時に風属性の魔法を唱えて男を塀の外へと吹き飛ばしてしまった。
「一騎打ちの邪魔はマナー違反です」