02
「ふぅ」
あたしはこれで何度目かのため息をついた。隣の席の娘が心配半分、好奇心半分の視線をこちらに送ってくるが、軽く無視して再び授業に集中する。あまり気は乗らないが、仕方のないことだ。何のことかというと引越しのことだ。
トルニリキア魔法学園は国内随一の魔法学園として知られるが、優秀な魔法使いの子女を親元から離して寮制の英才教育を施すということでも有名である。そのような子どもは、早ければ生後数ヶ月で学園に預けられ、寮の世話係を親代わりにして、独立するまでの間ずっと親元に帰ることなく寮を第二の生家として育つのだ。
あたしもそういう子どもの1人だ。しかし、あたしの場合は他の人とは少し事情が異なる。
トルニリキア魔法学園の制度の1つに、特別に優秀な学生に一人暮らしの家を与えるというものがある。これは魔法の練習を自宅で自習する際に、あまりに能力が高いせいで魔法が失敗した時に家を壊す事故が起こりえるため、魔法耐性の高い特別な構造の家を与えることになっているのだ。
そして、あたしの場合、これに当てはまってしまったのだ。しかも中等部2年という異例の低学年での適用だった。
寮制度と一人暮らしの制度が両方適用になった場合、一人暮らしの制度が優先される。誰も寮を壊されたくはないからだ。もちろんあたしも壊したくはない。でも、あたしはまだ10年以上住み慣れた寮の部屋から出ることに抵抗を覚えていた。頭では納得している。でも、心が納得しない。
それは、未だに空き室のまま残されている隣の部屋の主のことを、まだ忘れられないからだろうか……
「ね、マナはまだ使い魔決めないの?」
次の魔法の実技授業のために、更衣室で動きやすい服に着替えて急いで演習場へと向かっているところで声をかけられた。
「うん。まだこれっていうのがいなくて」
道すがら話しかけてきたのは教室でも隣の席に座る女の子だ。名前はミレイ。ショートヘアのボーイッシュな娘だ。
「慎重だよね。ま、使い魔なんてそうそう変えるものじゃないから慎重になるのも分かるけど、使い魔なしじゃ授業辛くない?」
「まだ大丈夫かな。それに、やっぱり使い魔は納得できる相手と契約したいんだよね」
「それ言い始めてもう1年半になるんだけど」
ミレイの言うことはもっともだ。普通、学園の学生は中等部に進学してすぐに何かしらの魔法生物を使い魔として契約する。一般的な魔法生物なら学園が無料で提供してくれるし、家が裕福なら高価な魔法生物をプレゼントしてもらうことも少なくない。そして、実技の授業には使い魔同伴で参加することが許可されているから、強力な使い魔を連れている方が当然結果を出しやすくなる。
例えば、実技の中には模擬戦も含まれる。使い魔ありと使い魔なしでは2対1の戦いになるので、どう頑張っても使い魔ありの方が有利だ。それに加えて、使い魔にするような魔法生物は人間が持たないような特殊能力を持つことが多いため、その点でも不利なのだ。
しかし、あたしはそれでもまだ使い魔を持つことに抵抗を感じている。実際のところ、使い魔を持たないあたしにいまだに誰も勝てないから使い魔なんていてもいなくても同じなのだけど、使い魔を「使役する」という考え方があたしには受け入れられないのだ。……ううん、というより、まだあの事件を引きずっているという方が正確なんだろうけど。
「でも、マナがそれだけ慎重になるってことは、きっと君が選ぶ使い魔ってのはすごいのなんだろうね。例えば、ドラゴンとか?」
「ドラゴンが使い魔なんて神話でしか聞いたことないよ」
「えー、でも君は神話級に強いからねー」
「そんなわけないでしょ。まだ高等部には勝てない人もいるし」
「勝てないだけで負けたこともないでしょ。マナは自分が何歳だと思ってんのさ。それに君は使い魔なしで戦ってるんだよ」
「んー」
ミレイと話しているうちに演習場についた。さて、今日も相手を怪我させない程度に頑張るぞっと。
すべての授業が終わった後、あたしは真っ直ぐに寮の部屋へと戻った。もうすぐ学園が手配した引越しの手伝いの人が来る予定になっている。私物として持っていくものは大したものがあるわけではない。家具類は向こうに備え付けのものがあるから、衣類や日用品などをまとめるだけだ。あたしはそんなに服にこだわる方ではないので、それにしたってそんな量があるわけではない。
ただし、本だけは大量にある。これはあたしだけに非があるわけではない。むしろ、この本の山の中であたしが集めたのは1/4くらいのもので、残りの本は空き室になっている隣の部屋の主が集めたのだ。あたしは持ち主のいなくなった本を引き取っただけにすぎない。
あたしはベッドに腰掛けて片手で印を結び、まだ箱詰めされていない本を魔法で操って次々と仕舞っていった。正直な所、引越しくらい魔法を使えば1人ですぐに終わらせられるのだけれど、公道上でむやみに魔法を使ってはいけないことになっているから、面倒くさくても手伝いを呼ぶ必要があるのだ。
「マナさんですか?」
「あ、はい」
「引越しの手伝いに来ました」
「よろしくお願いします」
本を箱に詰め込んだところでタイミングよく引越しの手伝いの人が来たらしい。これでいよいよ本当に10年以上暮らしたこの部屋ともお別れだ。あたしは何度目かになっため息をついて、荷物を運び出す手伝いを始めた。
前回は「俺」視点で、今回「あたし」視点でした。