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エピローグ

 ゆらり、ゆらり。疲弊しきった覚束ない足取りで、要は豪奢なマンションの一室にようやく辿り着き、安堵しきった様にその場にへたり込む。

 長かった。かつてこれほどまで、帰宅するだけで疲れた事はなかった。

 制服は泥だらけで、咥内は血が充満している。飲み下しても足りず、溢れ出した赤黒い血液が、唾液に混じって口端から滴り落ちる。

「ぁ、ハァ……ひ、ひ、ィハ……」

 動悸が激しく、呼吸一つままならない。足は棒の様に固まり、動く事を拒絶しているみたいだ。

「もう、すぐ。……もうすぐ、っちゃ、けん」

 座り込んだまま息も絶え絶えに、学生鞄の中からキーホルダーを取り出し、鍵穴に差し込む。がちゃり、冷たくて無機質な解錠の音が、今は何よりの救いに思えた。

 ドアを開き、玄関に雪崩れ込む。足がもつれて前のめりに倒れる。フローリングに頭を打ち付けたが、痛いとも感じない。自分の体が自分の物ではないみたいだ。

 良かった。これでようやく、誰にも迷惑がかからない。周囲には誰もいない。自分だけの部屋(テリトリー)に帰れた事で緊張の糸が解れた瞬間、堰を切った様に視界を覆う涙が漏れ出した。

 止まらない。

 止まれない。

 止められないし、止めたくない。

「ぅぐ、ひっ、うぇえ……!」

 大粒の涙がフローリングに染み、広がっていく。心が痛い。その痛みに比べたら、打ち付けた頭も、殴られた頬も、掠り傷程も感じない。

 体内に異物が入った様な悪寒。それは感情だ。きっと、今まで自分の中に在って、今まで自分が見ない様にしてきた醜い感情なのだ。

 どうして、私だけが不幸なのか。

 原初にして根幹。雛鳥要という少女を構成する、一にして全の重要な要素(ファクタ)

 それが、先程の女生徒により剥き出しに暴かれた。

 一度自覚して仕舞えば、抑える事は叶わない。雛鳥要はそういう、醜悪で劣悪で害悪なモノであったと選定されて仕舞った。

 誰も憎まなかった。

 誰も恨まなかった。

 誰も呪わなかった。

 少女は善良だった。

(違う! 違う違う違う違う違う違う違う違う!!)

 違う。根本が歪んでいる。雛鳥要は、決して、善良だった訳ではない。

 世界を憎まず、恨まず、呪わない事が善良であるのなら、世界に言葉は生まれていない。人々に意思なる物は芽生えていない。ただ淡々と虫の様に、機械の様に、生命の存続と繁栄だけを繰り返せば良いのだ。

 それは善良とは言えない。

 それは無害であるだけだ。

 清く、正しく、慈しみを以て、世界を円滑に円満に運用する事こそが善良の定めだ。自己を殺し、自我を潰し、自愛を滅す。それは『存在しない』事と変わらない。

 雛鳥要は、最後まで間違いに気付けなかった。

 憎み、恨み、呪う。確かにそれは他者にとって有害な行いだろう。間違っても善良とは言い難い所業だ。

 だが、それは世界の一部だからこそ生まれる感情でもある。感情が生まれれば、存在が生じる。そして、存在するのであれば良かれ悪かれ、望んだ未来へ自分を導く事が許される。

 不在に等しい自分には出来ない事だと、要は右手だけでで顔を覆い隠しながら、自嘲する。

「不二くん、知久……ごめんね……」

 玄関先でうずくまったまま、泣き喚く自分はさぞ滑稽だろう。そう思いはしたものの、溢れる涙は止まらないし、止まれない。

 何を謝り、何を誤っているのか。要にはそれすら分からない。自分でも分からないまま、言葉だけが先行して喉を震わせた。

 制服が汚れている事とか、額や口から血が垂れている事とか。そんな事は瑣末だ。

 たった一時間足らずの出来事で疲れ果てた要は、玄関でうずくまったまま、気を失う様に眠りに就いた。

 だから。

『雛鳥要は、最期まで間違いに気付けなかった』。


 薄暗い玄関で、僅かに差し込む月明かりを反射する白刃が一閃。

 雛鳥要の首が刎ねて宙を舞い、鮮血が迸る。


 夥しい量の血液が切断面から噴出し、床のみならず、壁や天井すら紅く彩る。ごろん、髪の乱れた首が床を転がり、痛々しい後遺症のある左半面を露出していた。

 いつから其処にいたのか、それとも最初から底にいたのか。泣き崩れたままの表情で事切れた生首を見下ろす影が一つ。紫色の上品(シック)なドレスに身を包んだ少女・美咲は、蛇腹剣を握り締めたまま、沈痛な面持ちで自分が生み出した惨劇を眺めている。

「……痛いのなら、痛いって言えば良かったんですよ」

 返事はない。自分が殺した。

「苦しいのなら、苦しいって言えば良かったんですよ」

 返事はない。自分が殺した。

「助けて欲しいのなら、助けてって、誰かに頼っても良かったんですよ」

 返事はない。自分が殺した。

 物言わぬ、かつて雛鳥要と呼ばれていた死骸を、昏い表情で見下ろす美咲には、先程まで失っていた手足があった。擦り切れ、焼き切れたドレスも元通りだ。

 表情は、逆光と暗闇に隠れてよく見えない。にも拘わらず、不気味な蛇の双眸が、奇妙にも爛々と浮かんでいる。

「貴女は、最初から最期まで歪んでなどいなかった。ただ妄執(ゆめ)の中で淀んでいただけだ」

 そう。

 雛鳥要は、自分を歪んで見ていただけで、正常でこそなかれ決して歪つだったとは言い難かった。

 彼女は間違えていただけなのだ。事ある毎に自身を納得させる為だけに『世界』という言葉を利用して、履き違えている自分を『見ようとしていなった』。

「日下部知久が目を付け、日下部知久が目に付いたのは、きっと貴女達が似た者同士だったからですよ」

 猜疑と欺瞞に満ちた、今はもういない少女を思う。

 思えば、知久と要は共通項があった。表層の性格こそ真逆であった二人だが、深層の人格は鏡合わせの様に酷似していた。

「貴女の間違いは、貴女の言う『世界』を見ようとしなかった事です。自分が作り出し自分を中心とした『世界』で、不在であろうとした。貴女は歪んでいたのではなく、『世界』の底で淀んでいたんです」


 雛鳥要は、『世界』を直視する事を避け続けていた。

 それは彼女の信じた『世界』のみならず、親友である日下部知久や、想い人である不二春音の姿すら視界に映していなかった。


 誰も憎まなかった。

 誰も恨まなかった。

 誰も呪わなかった。

 しかし、少女は善良だった訳でも、まして無害だった訳でもない。

 それは閉じた世界の中心にて怨念や怨恨として蔓延り、腐らせる極上の毒素として蓄積していき──破裂した。

「言葉にすれば良かったんですよ。貴女は、言葉にして良かったんですよ。日下部知久でも、不二春音でも、父や祖父母でも、相手は誰でも良かった」

 ただ一言。「助けて」と。

 要は、救いを求めて手を伸ばすだけで良かったのだ。

「善良でも無害でもない。貴女は、ただ、迷子だっただけなんです」

 誰一人として信用しなかった日下部知久。

 誰一人として救済しなかった雛鳥要。

 きっと、出逢いの形が違っていたのなら、打ち解け合い、本当の意味で親友になれたであろう二人。

 今はもういない。

 奈木美咲が諸共に殺した。


『ギャーハハ。何だよーオ、泣いてんのかーア?』

「……」

 癇に障るクリムの声に、我に返る。どれだけの時間、物思いに耽っていたのか、思い出せないくらいに。

 美咲は、保健室で眠っていた要の寝顔を思い出していた。悪夢に魘される様に苦しげな表情で眠る彼女を見て、魔法で彼女の夢を共有して、

 彼女が地獄に囚われている事を知った。

 土砂崩れに巻き込まれ、山道から転落したバスの事件はニュースを見て知っていた。美咲が魔法少女となる前、今から一年半前に九州で起きた事件だと記憶している。

 誰も彼もが血まみれで、呻き苦しみながら死んでいく。どのパーツが誰の物なのかも判別が付かない惨状。美咲が覗き込んだ地獄は、そういう物だった。

「……何故、私が泣く必要があるんですか?」

 ポツリと呟く。暗く沈み、深く淀んだ震える声で、美咲は独白する。

「仕方がなかった、私は悪くない、悪いのはアクマだ。……そうやって私に逃げろと言っているのですか?」

『さて、ねーエ?』

 どれが、誰のパーツなのか分からない程に粉々(グチャグチャ)の車内。全員血まみれで、恐らく自分が浴びた血液が、誰の物かも理解し得ない地獄の中。

 アクマは、そこにいたのだろう。

 アクマは、最も弱い者を見定め、取り憑いたのだろう。

「泣く、という行為すら奪われた命を前にして、理不尽にも奪った者が泣いて、被害者を気取れる道理など、世界中を見渡しても存在する筈がないでしょう」

 血液感染。性行為や輸血など、体液の混合により、アクマは感染(うつ)る。

 アクマに憑かれた者は、自らの欲望の為に他者を不幸にする。自分の希望を叶える為に、他者を絶望に陥れる。

 ある女生徒が(かお)を奪われた様に、アクマは恵まれぬ者の嫉妬や憤怒に従い、恵まれた者の希望を奪う。数多くの不幸(しあわせ)を濃縮する事で、宿主となる発症者を『結果的に』幸福(ふこう)にする。

 誰にでもあるありふれた希望を、より多く、より重く、より大きな不幸の上に成り立たせるだけの異形。

 そして、アクマを討つ事が出来る唯一の能力者を、魔法少女と呼ぶ。

「これは、奈木美咲(わたし)の罪だ。殺人鬼(わたし)の罪だ。何かに責任転嫁するなど烏滸がましいにも程がある」

『だったらーア、魔法少女なんて辞めちまえばいいじゃねぇかーア?』

「……そうはいかない。私は、私の目的の為に、理不尽な死をバラ撒くしか出来ない」

 今にも泣き出しそうな笑顔で、美咲は呪われた様に、臓腑の底から呪詛を捻り出す。捻子くれ、もはや前衛芸術の様に常人には理解すら及ばない不気味な感情で、笑う。

 魔法少女とは、人々から希望を奪うアクマを殺す者だ。そして、アクマが溜め込んだ希望を更に奪い、より多くの絶望を糧に、願いを叶える者でもある。

 美咲には願いがある。その為だけにライバルとなる魔法少女を殺し、それより多くの発症者(アクマ)を殺し、もっと多くのアクマに希望を奪われた人々を見殺しにしてきた。

 その所業(エゴ)を、この世の誰が許せようか。

「いつか私は裁かれるでしょう。私が殺してきた全ての方々の、無念と怨念を背負った断罪者が、私を殺しに来るでしょう。……それがいつになるかは分かりませんが、いつか来たるその日より早く、私は願いを叶えなくてはならない」

 立ち止まっている時間はない。迷っている時間はない。

 何よりも、誰よりも早く、多くの希望を集めなければならない。それまで、死ぬ訳にはいかないのだ。

 そして──その為に、美咲の希望に応じるだけの人間を殺すのだ。何よりも、誰よりも、早く、多く。

「……さあ、お喋りは終わりです。最後の仕事に取り掛かりましょう」

『アヒャッギャハアハハハ! あのクソ猫オンナだけでも喰い応えがあったっつーのに、更にデザートつきたぁなーア! 今日は本当に素晴らしい一日だぜーエ!』

 美咲の言葉とクリムの狂笑に呼応する様に、雛鳥要から垂れ流される血液がゴポリと泡立った。同時、美咲は大きく距離を取る為にバックステップで廊下の端まで移動する。

 泡は見る見るうちに膨れ上がり、壁や天井に接触して、ようやく弾けた。紅い飛沫が美咲のドレスや頬を汚すが、気にした素振りはない。

 弾けた泡の中には、異形が在った。巨大な黒い影。霊長類らしき様相こそ保っているが、背中に生えた翼など、明らかに人知の理から外れた奇形である事は一見して分かる。

 図体(サイズ)が狂っている。

 縮尺(パース)が狂っている。

 形状(フォルム)が狂っている。

 間違いなく、この世に在っていい存在ではない。決して生まれていい存在ではない。

 生まれたての黒い異形(アクマ)は、自らの宿主の死を確認する様に一瞥し、翼をはためかせて空を飛んだ。壁や天井など、異形には関係がない。スルリとすり抜ける様に通過した天井には、ヒビ一つついていない。

 見覚えのあるアクマ。繁華街で目撃した、アーチにぶら下がっていたアクマと記憶が合致する。

 雛鳥要に憑いていたアクマの姿が見えなくなると同時、美咲は要の家のベランダまで移動し、柵を越えて宙に躍り出る。

 すぐさま足元に飛翔の魔方陣を展開し、アクマが消えていった上階を目指していると、不意にクリムが口を開いた。

『キャハハハ。あれを殺る前に、一つだけいいかーア?』

「……どうぞ、如何様にも」

『まぁ、そう身構えるなよーオ。一言で済むからさーア』

 嘲るでも蔑むでもない、何ら特別ではない調子のクリムの声が、頭蓋骨を木霊(リピート)する。


『ケヒ、ケヒヒッ。こーオの、アクマ』

Q.なんでこんな話を思いついちゃったの?

A.信じられるか…これ、プリキュアとマイメロをベースに作ったんだぜ…?

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