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 キラキラ輝く星の色。

 クラクラめまいがしちゃいそう。

 サラサラ揺れる木々の舞い。

 ユラユラ揺れる水面の唄。

 風の薫りに酔いしれて、ハラハラ涙がこぼれてく。

 私は翼。雛鳥の翼。

 私はやがて、空を舞う。

 その日を夢見て、奇跡を信じて。

 ――そんな魔法が、在ったらいいのに。



「おっはよ、カナメ。なぁに書いてるの?」

「うびゃああ!!」

「うわ、すごい悲鳴ね。アンタ本当に女子中学生か」

「びびび、びっくりしたっちゃけん! なんしよっとよ知久シルク!」

 現在時刻は七時一〇分。誰もいない筈だった、早朝の教室。耳が痛くなる程にシンと静まり返った空気を裂く様な、甲高い悲鳴が木霊する。

 雛鳥要ひなどりカナメは、突如現れた同級生にして友人・日下部知久くさかべシルクを、顔を真っ赤にしながら睨み付ける。

「こ、こげん早よう来るとか珍しかね。何かあったと?」

「私は朝練あるからいつも通りで、朝早くから珍しいのはアンタよ。いっつも遅刻ギリギリだから違和感あるんでしょ」

「あれ? そうやったっけ?」

「で、何かノートに書いてたけど、何を書いてたの?」

「うびゃああ!! みみみ、見らんでって!」

 知久は要が咄嗟に隠していたノートを奪い取りながら、中を確認する。

 そして、そこに書き連ねていた文字群に一通り目を通し、傍目を気にする事なく爆笑した。

「くッ、ぅあっはっはっはっは! ポエム、ポエムノートかこれ! ぎゃはうは、すっげえコレすっげえ可愛い! 要、アンタ詩人になりなさいよ!」

「やめてってー! 返してよー!」

 二人の少女が、誰もいない教室で騒ぎ立てる。それを咎める者はいない。

 知久の魔の手から愛娘ノートを奪い返した要は、目尻に涙を浮かべながら机の奥底に仕舞いつつ、ため息を漏らす。

 良く言えば天真爛漫、悪く言えば傍若無人。それが、転校して間もない頃から要の友人として付き合っている、日下部知久という少女の有り様だった。

「酷かっちゃもん、知久。なんでそげん事すっと?」

「ふふ。いやぁ、要はすぐ泣くから可愛くって、ツイね。泣かし甲斐があるわ」

「想像以上にちかっぱ酷い答えが返ってきたっちゃけど……」

 半泣きどころか八分泣きくらいの涙目で、要は知久を見つめている。一方の知久は、あっけらかんとした態度で自分の机に鞄を引っ掛け、代わりに部活の道具を肩にかける。

「で、結局アンタは何でこんなに朝早くから登校してんのよ?」

「私、今日は日直とよ。で、頑張って早起きしようとしたら、はよすぎてこんな時間やったっちゃん」

「日直……ああ、そっか。アンタにとって日直は、月一の最重要イベントだもんね」

「ちょっ知久!? シーッ、シー!」

 誰も聞いてやしないわよ。知久はそんな捨て台詞を吐きながら、そそくさと教室を後にする。後に残された要は、怒りと嘆きをどこにぶつけたものかと悩んだ挙げ句、いつも通り胸に溜め込む事にした。

(……まあ、知久だし、しょうがないか)

 最近ではそんな言葉で片付けて仕舞う事もしょっちゅうだ。もう慣れて仕舞ったものだ。

 不承不承、心中で茶を濁しながら、要は黒板に目を見やる。端には今日の日直担当者の名前が二つ、並べて書いてあった。

 それを見るだけで、要の心は嘘みたいに軽くなる。先程の怒りはどこへやら、口元に浮かぶ笑みが隠しきれない。

 雛鳥要。

 不二春音ふじハルト

 ボン、という不可思議な音が聞こえた気がした。無論、幻聴である。それは要の顔に血液が上る擬音である。

(うひゃー! うひゃー! いかんってちかっぱ緊張してきたしちょっと落ち着かんと変に思われるって私!)

 プラスチックの下敷きを団扇代わりにバッサバッサと扇ぎ、空冷クールダウンを試みる。が、その程度の風でどうにか冷める様な火照りではない。むしろ、身体を動かす分、ますます暑くなってきた気がした。

 絶えず冷たい風を顔に送りながら、要は教室の時計を見る。既に七時半を回り、四〇分を過ぎていた。知久が来た時と比べ、部活の朝練を終えた生徒や、要の様に日直で早めに登校してきた生徒の足音や会話が、廊下の向こうから聞こえてくる。

 未だ要の相方は来ない。それも織り込み済みだ。要が転校してまだ半年しか経ってないが、不二との日直は六回経験している。彼は日直であってもこの時間は登校して来ず、いつも決まって――、

「悪い、遅れた!」

 勢い良く教室のドアを開き、荒い呼吸を整えながら大声で謝るのだ。

「ふ、不二くん。おは、お、お早う」

「お早う。……つか、かなり待った? まだ俺の仕事残ってる?」

「ん。大丈夫。ちゃんと残しとるけん」

「良かった、残ってたんだ。今日こそは駄目かと思ったよ」

「朝いっつもランニングしとるっちゃろ? 日直くらい私がやるけん、そんな急がんでいいよ」

「そんな訳にいかねぇって。雛鳥にばっかりやらせてらんねぇよ。俺がサボってるみたいじゃん」

 肩で息を切りながら要の隣の席に腰掛け、手を差し出して催促する不二。スラッとした手は意外とゴツゴツしていて、女の子のそれとは全く違う。思わず、動悸が早くなる。顔が赤くなる。

 要はなるべく不二から視線を逸らしつつ、日報のファイルを渡す。急いで来たのだろう、火照った不二の顔はいつもより艶っぽく、直視していられない。

「サンキュ……って、殆ど終わってんじゃん!」

「ま、まだちゃんとあるって! ほら、担当者欄とか!」

「自分の名前書くだけじゃん! こんなの仕事の内に入んねぇって!」

 何やら呻きながら、不二は汗に濡れた前髪をかきあげる。

「花瓶の水替えとか、教室の掃除とかは?」

「水替えはもう終わっとるけど、掃除はまだ……ごめんね」

「……あ~、良かった。まだやれる事残ってんだな。じゃあ、サクッと掃除済ませちまうか」

「うん、そうね。もうみんなが来るまでそんなに時間ないし――」

「あ、ストップ!」

 立ち上がり、机を動かそうとする要を、不二が制止する。予想外の事にきょとんと目を丸くする要に日報を渡し、要が持っていた机を代わりに持つ。

「教室の掃除は俺の仕事。雛鳥はそれを先生んとこに持ってってくれ」

「えぇッ!? そんな、私も手伝うって!」

「いいからいいから。こういう力仕事はおれの仕事で、女の子にはやらせらんないっての。遅れてきたのは俺なんだし、そのくらいさせてよ」

「でも、私ばっか楽してるみたいで悪いし……」

「だから、悪いのは俺なんだってば。だから、これは俺がやる」

 言うが早いか、教室の机をさっさと移動し始める不二。要が手伝うより、一人の方が早そうな勢いである。

「う、ん。分かった。じゃあ、早めに戻って手伝うけん、それまでやっとって貰っていい?」

「任せろ。掃除は得意なんだ、俺」

 後ろ髪を引かれながら、要は日報を持って教室を出る。少しだけ早歩きで廊下を歩いていると、何人かの生徒とすれ違う。そろそろ普通に登校してくる生徒が増えてくるだろう。それまでに教室に戻って、掃除を手伝わなくては。

(でも、やっぱり……不二くんは優しいなぁ)

 こんな私でも、女の子として扱ってくれる。その優しさがたまらなく愛おしく、同時に切なく感じて、でもやっぱりどこか嬉しい。

 誰かを愛おしいと感じるのは初めて、と言えば嘘になる。転校前の学校でも好きな男子はいた訳で、その時も同じ様に言葉を交わしたり、一緒に行動出来たりで一喜一憂したものだ。

 が、こんなに気持ちを強く感じたのは生まれて初めてだ。要の十数年の人生において、自分の心がこれだけ強く、誰かを意識した経験はかつてなかった。

 不二春音。

 この気持ちは初恋ではない。

 初恋でない事が非常に心苦しく、残念ではあるが――この恋心は本物であると確信できた。

(まあ、私には無理っちゃろうけど……)

 釣り合わない、なんて話ではない。それ以前の問題だ。

 そもそも、雛鳥要が誰かに好意を抱かれるという事が、大前提として有り得ない。それは許されない。

(……だから、)

 この恋心は、いつまでも。

 自分の心に秘めたまま、終わるのだろう。

 あわよくば、などと都合のいい事は考えない。人生で奇跡が許されるのは一度だけ、二度目はない。

 要は既に一度、奇跡を体感している。二度目はない。ないのだ。

(……それでも、)

 夢の様な奇跡を望めるのなら。

 幻の様な魔法を願えるのなら。

 そんな、素敵な希望を、要は祈りたい。そう思えてならない。

(私って、欲張りだったんやねぇ……)

 考え込んでいる内に、いつの間にやら職員室に着いていた。別に悪い事をした訳ではないのだが、職員室に入る事に躊躇して仕舞うのは要のみならず全生徒共通の感覚だろう。

「し、失礼しまーす……」

 ノックし、挨拶しながら職員室の引き戸を開く。教師達の視線が一斉に要に集中し、心臓が飛び出しかねない勢いで驚き、後ずさる。

 少なからず視線恐怖症の気がある要だが、そこに害意がない事は承知している。唾を飲み、恐怖に耐えながら、職員室に一歩踏み込む。

 二年九組の担任教師、染井佳乃(そめいヨシノ)はすぐに見つかった。あの薄桃色のポニーテールは、どんな人混みであろうと、見失う方が難しい。

「染井先生。朝の日報です」

「んー、ご苦労さん。そこ置いといて」

 およそ教師どころか社会人にすら見えない程の反社会的(ロック)な容姿をした染井は、トテトテと早歩きで近寄ってきた要に振り返る事なく、ぞんざいに自分の机を指差した。

「……何しよる――何をしてるんですか?」

「見て分かんだろ。携帯電話を(デコ)ってる」

 綺麗に整頓された……というか必要書類の一つも置かれていない机の上は、実に色鮮やかなラメが入ったケースがあった。ラメケースと言えば可愛らしい印象だが、染井のソレはお父さんの日用大工の道具入れを改良したものである。飾り気など欠片もない。

 しかし。だがしかし。

 ケースに収まったラメやビーズをピンセットで摘み、デコレーション専用の接着剤をつけ、携帯電話にくっつけていく。

 その巧みさと言えば、その道のプロフェッショナルではなかろうかと見紛わんばかりである。

「綺麗かねぇ……」

「そう? ありがと。でもまだ完成には程遠いのよね」

 携帯電話に花と翼を立体的にくっつけながら、不満そうに染井は語る。扱いやすく、耐久性に優れ、かつ持ち運びの利便性に特化された合理的形状を追究された携帯電話は、しかし、元の形状より遙かに膨らんでいる。

 断言しよう。それは既に『携帯』電話ではない。翼や花などちょっと触れただけで折れて仕舞いそうだ。携帯する事が困難な時点で、携帯電話としての役目を果たせていない。

「っていうか、染井先生。教師がそんな事やっとっていいと?」

 要は携帯電話のデコレーションに目を奪われつつ、至極真っ当な疑問を口にした。

「ははは。そんなん、いい訳ない。っつーか今更だな、雛鳥。私の頭見りゃ分かんだろ」

 ある程度の満足いく仕上がりなのか、染井は接着剤の乾いていない携帯電話を机の端に慎重に置きながら、半ば以上に開き直った口調で返す。

「授業日程とか宿題や小テストの用意とか採点とか、色々あってもう大変。今日は転校生もいるしね。超面倒くせぇ」

「染井先生。それは間違っても教師が()っちゃいけん事っちゃないですか?」

 ざっくばらんというか、あっけらかんというか。明け透けた事を惜しげなく述べる染井に、要は苦笑する。

 良くも悪くも、染井佳乃なる教師は常にこういう人格者(キャラクター)だった。

「ところで雛鳥。もう日直の仕事は終わったのか?」

「あ、はい。あとは掃除だ――……け」

 染井の質問に笑顔で答え、要の表情がそのまま硬直した。若干、頬が引きつっている。

「う、うわぁヤバかッ! 不二くんに押しつけっぱなしやん!」

 大声を心に秘める事も忘れ、要は慌てて走り出す。途中、何人かの教師とぶつかりそうになり、何度も頭を下げながら、職員室を出ようとして、

「失礼します」

 要が手に掛けた引き戸が不意に開かれ、外から入って来ようとしていた生徒と鉢合わせた体勢になる。

「わっ!」

「……?」

 咄嗟に飛び退く要と、入室しようとしたまま微動だにしない生徒。お互いの視線が、真っ向から絡み合う。

 ――世の中には、『こういう』人種もいるのだと。改めて、要はそう痛感した。

 混じり気もなく艶やかな長い黒髪と、強い意志を帯び凛とした双眸。どれだけ精巧な人形であれ再現不可能な程に整った顔立ち。短いスカートから覗くスラリとした足は、単に痩せて細い訳ではなく、引き締まっている事が窺える。しかし、それでいてアスリートの様な無骨さもなく、表面を薄い脂肪と柔らかな皮膚で覆っていて、非常になめらかだ。

 まるで、御伽噺に出てくる様な絶世の美貌を持つ姫君が、そっくりそのまま切り取って連れてこられたかの印象を与える。

「ごめんなさい。お先にどうぞ」

「えっ!? あ、はい……すみません」

 引き戸の前で立ち尽くしていた黒髪の少女が道を譲り、要は怖ず怖ずと少女の前を通り、一礼して職員室を出た。

 少女は要に軽く会釈し、入室して静かに戸を閉める。生徒達の喧騒が次第に大きくなりつつある早朝の廊下に残された要は、本来の目的も忘れ、職員室の戸をじっと見つめていた。

 黒髪の少女の名残が、瞼に焼き付いて離れない――。





 それが。

 雛鳥要と奈木美咲(なぎミサキ)の、最初の出逢いだった。

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