婚約破棄の断罪劇で、通訳の私が手を挙げました。『恐れ入りますが、その手紙は誤訳です』
通訳の仕事は、透明であることだ。
良い通訳は、磨かれた窓ガラスに似ている。人は窓越しに景色を見るけれど、ガラスそのものを見ることはない。
六年前から、私――没落男爵家の次女、ミナ・ハートウェルは、偉い人の半歩後ろに立ち、他人の言葉を完璧に繰り返してきた。私の名前を覚えている人はいない。それで正しいのだ。
だから、王立学園の卒業パーティーの真っ最中に、王太子エドマンド殿下が壇上へ上がり、自らの婚約者を指さしたときも、私はいつもどおりのことをした。仕える相手のほうへわずかに身を寄せ、訳し始めたのだ。
「コーデリア・アシュフォード! リリィ・ブラウン嬢への数々の罪により、貴様との婚約を破棄する!」
『コーデリア・アシュフォード。リリィ・ブラウン嬢への数々の罪により、貴様との婚約を破棄する』
私は帝国語で、大使の耳元にそう囁いた。
ヴァルトマルク帝国大使、オーレル様は眉ひとつ動かさなかった。背が高く、灰色の髪に、いつも誰も気づいていない何かを面白がっているような瞳をした人だ。通訳として仕えて三か月、私はこの人が驚いた顔を一度も見たことがない。
『興味深い』彼は自国の言葉で、小さく言った。『卒業の宴で。それも外国の大使の目の前で。君の国の王子は、実に勇敢だね』
これは訳さなかった。通訳には、胸にしまっておくべき言葉もある。
ホールの中央では、コーデリア様が刃のようにまっすぐ背筋を伸ばして立っていた。泣きもせず、叫びもせず、ただ静かに首を傾げる。
「どのような罪でしょうか、殿下」
「しらを切るな!」殿下は三枚の紙を掲げた。「リリィ嬢は三通の脅迫状を受け取っている。しかも帝国語でだ! 帝国に留学していた貴族は君だけだから、誰にも読めないと思ったのだろう。だが、王宮翻訳官がすべて訳してくれた。クイル師!」
眼鏡をかけた痩せた男が進み出て、判決文でも読み上げるような声で言った。
「一通目。『二度と彼に近づけば、後悔することになる』。二通目。『この学園から、お前を消してやる』。三通目。『お前は誰を敵に回したのかわかっていない。必ず報いを受けさせる』」
ホール中が息をのんだ。殿下の隣では、蜂蜜色の髪をした平民の特待生、リリィ・ブラウン嬢がじっと床を見つめている。
「最初の二通は、わたくしが書きました」コーデリア様は落ち着いた声で言った。「三通目は、書いておりません」
「認めたな!」殿下は笑みさえ浮かべかけた。
――そして、私の問題が始まった。
壇上は魔導灯で明るく照らされていた。殿下は手紙を高々と掲げ、文面をこちらに向けている。そして私は、とても目がいい。
唇が勝手に動いた。通訳の職業病だ。誤訳を耳にすると、直さずにはいられない。調律の狂った音を聞いた音楽家のように。
『また、あの顔をしているね』大使はこちらを見ずに言った。
『どの顔でしょう』
『財務大臣が「二万」と言ったのに、書類には「二十万」と書いてあったときの顔だ』
私は黙った。
『言いたいことがあるなら言いなさい、ハートウェル嬢』彼は続けた。『責任は私が持つ』
没落男爵の娘が、公衆の面前で王太子殿下に異を唱える。その結末なら知っている。父はわずかに残ったものまで失い、私は二度と王都で働けなくなる。透明な通訳には仕事がある。意見を言う通訳には、ない。
そのとき、背中に回したコーデリア様の手が、小さく震えているのが見えた。
そして、リリィ嬢の顔も見えた。勝ち誇った顔ではなかった。何かを思い出そうとするように、戸惑った目で手紙を見つめていた。
私は手を挙げた。
「恐れ入ります。ヴァルトマルク大使館の通訳でございます」思っていたより、ずっとしっかりした声が出た。「その手紙は、誤訳です」
続く沈黙はあまりに完璧で、ホールの奥でグラスが触れ合う音まで聞こえた。
「……誰だ、お前は」
「何者でもございません、殿下。ただの通訳です」
「彼女は私の代理として話している」オーレル様が、この上なく礼儀正しい笑みを浮かべた。「彼女への侮辱は、ヴァルトマルクへの侮辱と受け取ります。どうぞ、ハートウェル嬢。続けて」
殿下は口を開き、また閉じた。拒めば外交問題になる。殿下は腐ったものでも渡すように、私に手紙を差し出した。
◇
一通目。
「帝国語には、『彼』を表す言葉が二つございます」と私は説明した。「人に使う『彼』と、動物に使う『彼』です。この手紙で使われているのはヘット。つまり正しくは――『二度と《《あの子》》に近づけば、後悔することになる』。あの子とは、動物のことです。それから、クイル師が読まなかった一文がもう一行ございます。『ヘット・バイト』――『あの子は噛む』」
コーデリア様が、一瞬だけ目を閉じた。
「雷鳴号ですわ」と彼女は言った。「東の厩舎の種馬です。あの方、毎日のように林檎をあげていらしたの。あの馬は、もう厩番を二人も噛んでおりますのに」
リリィ嬢が口元を押さえた。
「……帽子を、かじられました」と、小さな声で。
客席の誰かが吹き出した。続いて、もう一人。クイル師の顔が、テーブルクロスと同じ色になった。
二通目。
「ここで使われている動詞は『ロルヴァン』です」と私は続けた。「確かに『消す』という意味もございます。ですが『名前』と組み合わさると、『名簿から線を引いて消す』という意味になるのです。全文はこうです――『落第者名簿から、あなたの名前を消してみせますわ』」
私は紙を裏返した。そこには動詞の活用練習がびっしりと並び、非の打ちどころのない筆跡で、赤インクの添削が入っていた。
「これは授業です。どなたかが、ブラウン嬢に帝国語を教えていたのです」
リリィ嬢が、ゆっくりとコーデリア様を見上げた。
「毎週、私のロッカーに入っていた添削のメモ……」声が震えた。「あれは、コーデリア様だったんですか」
コーデリア様は目を逸らした。
「あなたの字は、帝国語に対する侮辱でしたもの」素っ気なく言う。「見過ごせなかっただけですわ」
今度はホールの半分が笑った。残りの半分は、殿下を見た。
三通目。
最後の一枚だけは、少し長く手に持っていた。
「こちらは本物の脅迫状です」と私は言った。「ですが、書いたのはアシュフォード様ではありません」
「馬鹿げている!」殿下が一歩踏み出した。「なぜそう言い切れる!」
「理由は二つございます、殿下。一つ目。この手紙では『ダイ』という二人称が使われています。帝国語では、恋人同士か、神に呼びかけるときにしか使わない言葉です。帝国で教育を受けた淑女が、恋敵をダイと呼ぶことはまずありません。脅迫状の書き出しを『愛しいあなたへ』で始めるようなものです」
オーレル様が、笑いを隠すように小さく咳払いをした。
「二つ目。『お前は誰を敵に回したのかわかっていない』という一文は、港で売られている安い会話集『三十日でわかる帝国語』の四十七ページと一字一句同じです。この本には有名な誤植がございまして、ちょうどこの文だけ、丁寧な二人称がダイになっているのです。帝国では、子どもでもこの本をネタに笑います」
「奇遇だね」オーレル様が、天気の話でもするように言った。「歓迎の晩餐会で、まさにその言い回しで挨拶されたよ。『ダイ、親愛なる大使殿』とね。てっきり愛の告白かと思った」
彼は誰のことも見なかった。見る必要はなかった。ホール中の視線が、赤から紫へと顔色を変えていくエドマンド殿下に集まっていたから。
「そ、そんなもの、何の証拠にもならん!」
コーデリア様が一歩前に出た。今夜初めて、その声に冷静さ以外のものが混じった。
「わたくしは十二歳の頃から、帝国語で文章を書いております、殿下」彼女は一拍置いた。「そして、殿下をダイとお呼びしたことは一度もございません。――婚約者であったときでさえ」
◇
その後に起きたことは、何か月も王都の噂の種になった。
それまで貴賓席で黙って見ていた王妃陛下が立ち上がり、息子に「文法についての話し合い」に来るよう命じた。クイル師は、殿下に「もう少し強めの訳」を頼まれたと、しどろもどろに白状した。そしてオーレル大使は、聞きたい人には誰にでも聞こえる声で「通商条約に署名する前に、この国の文書の信頼性を見直す必要がありそうだ」と述べた。
リリィ嬢はホールを横切り、目に涙をいっぱいに溜めて、コーデリア様の前に立った。
「ごめんなさい。私、ちゃんと読めなくて。私……」
「三週間後に帝国語の試験があるでしょう」コーデリア様が遮った。「正体がばれたからといって、添削をやめると思ったら大間違いですわよ」
リリィ嬢は礼儀作法などお構いなしに、コーデリア様に抱きついた。コーデリア様は二秒ほど固まり――それから、ほんの少しだけ抱きしめ返した。
私はその騒ぎに紛れて、一番得意なことをした。半歩下がって、消えたのだ。
◇
大使はバルコニーで、王都の灯りを眺めていた。
「私を庇う必要はございませんでした」と私は言った。「外交問題になりかねませんでしたのに」
「外交問題なら起こしたよ。今回の旅で、いちばん楽しかった」彼は振り返った。「だが、君は私に嘘をついたね、ハートウェル嬢」
背筋が凍った。
「……私が、ですか」
「自分は何者でもない、と」
彼は懐から封筒を取り出した。封蝋に押されていたのは、ヴァルトマルク皇家の紋章――羽根をくわえた鷲。大使の印ではない。《《皇子》》の印だった。
「私の本当の名は、オーレリアン・フォン・ヴァルトマルク。皇帝の第二皇子だ」遅刻を詫びるような口調で、彼は言った。「この国を、自分の目で見極めに来た。そして、条約よりずっと価値のあるものを見つけた」
彼は封筒を差し出した。
「帝国宮廷は、首席通訳を必要としている。その俸給があれば、君の父上の借金は一年で返せるだろう」
私は封筒を見つめたまま、手を伸ばせずにいた。
「なぜ、私なのですか」
「君は私の演説を、私が書いた以上に上手く訳してくれたから」彼はそこで言葉を切った。三か月で初めて、彼が驚いているように見えた――ただし、自分自身に。「それに今夜、初めて君自身の声を聞いた。もっと聞いていたいと思ったんだ」
私は封筒を受け取った。
「最初の仕事は、何でしょう」
あの笑みが戻ってきた。誰も気づいていない何かを、面白がっているような笑み。
「先帝は、二百年前に話し手が絶えた言語で遺言を残した。三人の相続人が、それぞれ違う内容だと主張している」
「どなたが嘘をついているのですか」
「それが問題なんだ」とオーレリアン殿下は言った。「三人とも、かもしれない」
王都の灯りを見下ろしながら、私は知らず知らず微笑んでいた。
通訳の仕事は、透明であることだった。
――どうやら、新しい仕事が必要になりそうだ。
【大反響御礼! 本日より連載版がスタートしました!】
短編を読んでくださった皆さま、たくさんの評価やブックマーク、温かいご感想を本当にありがとうございます!
日間総合ランキング上位入りという信じられない反響をいただき、このたび**【連載版】**として本格的に物語を書き進めることになりました。
本編は、二年前のどん底就活時代――ミナが面接で落とされまくっていたドタバタの日々から丁寧に描いていきます。
第1話はこちらからすぐにお読みいただけます!
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『婚約破棄の断罪劇で、通訳の私が手を挙げました。『恐れ入りますが、その手紙は誤訳です』【連載版】』
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不器用な通訳官ミナと、食えない毒舌大使オウレルの長い旅路を、ぜひ見届けていただければ幸いです。
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