緊急提言『どこまで子は守られなければいけないのか』
2026/5/25、夜中に衝撃的なニュースがあった。
現職のプロ野球監督が、交流戦前日に暴行で逮捕されたという。
しかも、他人とのトラブルではなく、家庭内でのトラブルだった様だ。
姉妹喧嘩の仲裁の中で手が出てしまった様だ。
詳しくは後々ニュースが続報を伝えると思うので、そちらを見てほしいが、これで気になるのは、どこまでが教育で、どこまでが虐待になるか。
暴行という容疑で警察は逮捕しており、逮捕された監督も暴行を認めたらしくすぐに釈放されている。これからは任意の捜査となるらしい。
だが、待って欲しい。
怪我もしてない暴行というのがどれほどのものか、これから明らかにされるとは思うというところは前提だが。
一度も親に殴られない子供が成長して、まともな大人になれるかと言われると、私としては首を傾げる。
親からの愛情を受けて育った多くの人は、母親か父親かは分からないが、殴られた経験はあるのではないか?
令和の今、コンプライアンス重視が行き過ぎていないだろうか?
教育現場でもそうだ。
宿題をやってなかった子供を、授業に参加させず机を後ろに向かせてドリルをやらせて問題になっていた教諭。これは完全にアウトで良い。なぜなら子供の授業という教育機会を奪うからだ。
しかし、授業中に再三注意しても指示を聞かない生徒を起立させること。これはOKだろう。教育機会を奪うことなく体罰にならない程度の負荷を与えることができる。しかし、これをやらない教師も多い。モンペ対策や虐待で訴えられるリスクを減らすためだ。
今や子供は守られすぎている。
公園からは遊具が消える。怪我したら責任負えない管理者の理論だ。
家庭内で叱るのにもゲンコツ落とすこともできない。社会にも出てない子供が、言って聞かせるだけで素直に言うこと聞く子供は一部だけだ。
学校ではリーダーシップが大事だと教えこまれる。社会人に出て、すぐにリーダーになれるのは一部の天才だけだ。経験もないガキから大人になる過程の半ガキに教える中堅層のベテランたちに、半ガキたちは半端なリーダーシップを取ろうと上から目線。
運動部でも年功序列が昔より緩い傾向は続く。先輩が舐められている。舐めた口きいても後輩には鉄拳制裁もなければ教員の前で大人しくしてれば内申点は貰えるのだ。
そのうち家庭内で言葉で叱るのも『精神的暴行』『精神的虐待』だとでも騒ぐのだろうか。
確かに意味なく怒ることはいけないし、理由なくゲンコツを落とすことはもっとダメだ。
昭和の教育が良かったとは言わないが、令和の教育方法は逆に子供の経験を阻んでいるところも多いのではないだろうか。
先述の逮捕された監督は、通報した娘が『通報したことを反省』している様な報道もある。
この娘は通報したらどうなるか全く考えが及んでいなかったのだろうと推察される。
有名人である意味名誉職であるプロ野球監督が、家庭内暴力で捕まれば待っているのは失職に他ならず。この件で家庭内は決して埋まらない溝が産まれたことは言うまでもないだろう。
想像だが、反抗的な態度をとった娘に手が出てしまったその監督、それは教育だったのだろうか、ただの暴行として処理していいのだろうか。
決して暴力は許してはならない。しかし、子供に言うことを聞かせるためには言葉では足りない子供も多いことは事実だと思う。
かつての連合艦隊司令長官の山本五十六の名言に『やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ』という言葉があるが、これは家長制度で縛り付けられて、家庭内での完全な上司が父親という家社会に絞られてから社会に出てきた若者が中心だった昭和10年代の話だ。
のびのび育った子供は確かにそれぞれの才能を伸ばして成長するが、その結果が今の思いやりのない日本社会なのではないだろうか。
長々と記したが、私は決して令和の教育方法が全てダメで体罰上等という考え方ではないし、昭和的な社会に戻るなら日本には居たくないとも思う。
だが、令和の教育方法だけではなく、これまでの良かったところも取り入れつつ、怒るべきところは怒るという当たり前の教育/しつけが出来る社会になると良いと思う。
2026/5/27追記
某監督は辞任し、経緯を娘の手紙言う形で発表したが、どこまで本当のことかは分からないが、仮に手紙の通りだとしたら本当に逮捕したのは適切だったのか。
児相から通報→暴行を認める供述をしていて、お酒の香りがした…この時点で逮捕を判断?大人しく認めているならまずは任意で署に同行を求めるものではないだろうか。
児相や警察も、本当に保護が必要な家庭には動かないくせに、普通の家庭内トラブルはすぐに動くという…お役所仕事これ極まりない。
こういう動きを見ていると、最近政府が通そうとしている国家安全会議?スパイ防止法的なやつは、まともに運用されないだろうなということは目に浮かぶ。
個人的には右も左も嫌だが、高市首相はどこに向かいたいのか、全く見えないのはこの間の衆院電撃解散選挙でも浮き彫りだった。
正直一般的な情報では、奈良県初・女性初の首相という以外に、彼女が進めたい政策などはよく分からないのが実情なのではないだろうか。




