『僕は無人島へ行きます』
優しいメロディーの流れる、館内を、僕は歩いていた。
ビルの向こうに見える夕陽が、僕の影法師を館内に深く、長く。
手に取った本は、古ぼけていて題字もはっきり見えない。
静かに、その頁を開く僕。
『僕は無人島へ行きます』
このくだりで始まっていたその本。
谷山航平という人が書いた本。
僕はその作者のことは全く知らなかったが、どこか親近感を抱いていた。
無人島……。
誰も居ない島で、一人ぼっちになる気分はどんなものだろう。
夕陽でキラキラ光るビルの窓を見ながら、僕は考えた。
そこからは、窓に映る夕陽よりももっと、綺麗で、そして耀く夕陽が見えるのだろう。
そこには、冷房よりも涼しい、爽やかな風が吹いているのだろう。
そこは、この街よりも僕を、強くたくましく育ててくれるのだろう。
僕の思いは、その本の無人島に夢中になっていた。
神様がいるのなら、僕はこれをお願いする。
『僕を無人島へ連れて行って下さい』
椰子の茂るその緑の楽園は、ここからずっと遠い所にあるのだろう。
一度行ったらもう、二度とここへは帰って来れないかもしれない。
でも、僕は後悔しない。
僕の居るべき場所は……。
僕は弱い人間だった。
大切な人を、守ることが出来ない弱い人間だった。
日に日に窶れていく彼女を、僕はただ見守ることしか出来なかった。
僕の彼女は、仕事で多忙な毎日を送っていた。
休むことなく、仕事の毎日。
唯一の息抜きといえば、仕事終わりの僕とのデートだけだった。
朝から晩まで、毎日仕事に明け暮れる日々。
仕事を辞めたい、それが彼女の口癖だった。
そんな状況が、何ヶ月か続いたある日のこと。
彼女が倒れたと、彼女の母親から電話がかかってきた。
僕が病院に到着した時、彼女の家族が、泣いていた。
僕が来たことも知らずに、彼女は、穏やかな顔をしていた。
僕は、一体彼女に何をしてあげられたのだろうか……。
久しぶりに見た晴れやかな顔で天を夢見る彼女を見ながら、僕はそう思うだけだった…。
耳を澄ますと、聞こえる波の音。
風の音、そして、愛する彼女の声。
過労死と、診断される直前の、危険な状態だった彼女。
奇跡的に恢復したが、療養が必要との、医師の診断。
そういうわけで、僕らはこの無人島へとやってきた。
全てを捨て、やってきた二人きりの無人島。
想像していたよりも爽やかな風が、僕らを癒してくれる。
想像していたよりも耀く夕陽が、僕らを元気付けてくれる。
想像していたよりも優しい自然が、僕らを大人にしてくれる。
椰子の木の木陰で、僕らは 柵無く、伸びをする。
これから、ここで二人で生きていこう。
何も無い島だけど、そこがこの島の良いところ。
僕はもう一度あの本に出会っていたら、あの一文をこう書き換える。
『僕も無人島へ行きます』