第6話 守るための知恵
吉良家の使者が去ったあと、
橘神宮の境内には静かな風が吹いていた。
木々のざわめきは穏やかだが、
早苗の胸の奥には、別のざわめきが残っていた。
「……どうしよう」
ぽつりと漏れた声は、
自分でも驚くほど弱々しかった。
清正が心配そうに近づく。
「御使い様……?」
早苗は唇を噛んだ。
「吉良家の当主様に会うのは……怖いわけじゃないの。
でも……もし、この社領が豊かになりすぎたら……
吉良家に取り上げられてしまうかもしれない」
清正は息を呑んだ。
「そ、それは……」
雅信が静かに目を閉じた。
「……あり得ることでございます」
その声は、長い乱世を生きてきた者の重みを帯びていた。
「この時代、力ある者が弱き者の土地を奪うことなど、
珍しくもございませぬ。
寺社領とて例外ではありません。
延暦寺の僧兵のように、
自らを守る力を持たねば……
いとも容易く飲み込まれましょう」
早苗の胸が冷たくなった。
豊かにすればするほど、
奪われる危険が増す。
「……じゃあ……
守る力を、作らなきゃいけないんだ」
その言葉に、雅信と清正は驚いたように顔を上げた。
「御使い様……?」
早苗は深く息を吸った。
怖い。
不安だ。
でも――
守りたい。
その思いが、胸の奥で静かに燃えていた。
「私……知ってることがあるの。
戦いのことじゃないけど……
“守るための工夫”なら、いくつも」
雅信は震える声で言った。
「御使い様……
どうか、お教えくださいませ……!」
早苗は境内の地面に指で線を引いた。
「まず……
この神宮の周りに“土塁”を作るといいと思います」
「ど、土塁……?」
「土を盛って、壁のようにするの。
高くすれば、敵は簡単に登れない。
木の杭を打ち込んで補強すれば、
もっと強くなるわ」
清正が息を呑んだ。
「土を……盛るだけで……?」
「ええ。
それだけで、守りは何倍にも強くなるの」
風が吹き、木々がざわめいた。
まるで自然そのものが、早苗の言葉に頷いているようだった。
「それから……“逆茂木”を作るといいわ」
「逆……茂木……?」
「木の枝を外側に向けて並べるの。
敵が走ってこられないようにするための障害物よ。
戦国時代ではよく使われていたはず……
たぶん、まだこの辺りでは知られていないけど」
雅信は震える声で言った。
「御使い様……
それは……まるで……」
「神託……そのものにございます……!」
清正の声は震えていた。
早苗はさらに続けた。
「武具も必要よ。
でも、全部を揃えるのは大変だから……
まずは“竹槍”を作るのがいいと思う」
「竹槍……!」
「竹は軽くて丈夫。
先を焼いて硬くすれば、
十分に武器になるわ。
農民でも扱えるし、
訓練も少なくて済む」
雅信は深く頷いた。
「竹なら、この渓谷にも多くございます……!」
「それから、
“石落とし”を作るのもいいわ」
「石……落とし……?」
「土塁の上から、
石を転がして落とすための仕掛けよ。
敵が登ってきたときに使えるわ」
清正は震える声で言った。
「御使い様……
まるで……戦のことを知り尽くしておられるようで……」
早苗は首を振った。
「そんなことないわ。
ただ……知っているだけ。
歴史の知識よ」
だが、雅信は静かに言った。
「知っているだけ……
その“知っている”が、
我らには神の声にございます」
風が吹いた。
木々がざわめき、
光が揺れた。
早苗は胸に手を当てた。
怖い。
不安だ。
でも――
守るためには、力が必要だ。
この人たちを守るために。
その思いが、
静かに、しかし確かに形を成した。
「……私、もっと考えるわ。
この社領を守るために、できることを」
雅信は深く頭を下げた。
「御使い様……
どうか、どうかお導きくださいませ……!」
渓谷の水音が、ひときわ澄んで響いた。
等々力の巫女、橘早苗。
その知恵は、ついに“守り”へと向かい始めた。




