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等々力の巫女、戦国を征く  作者: 双鶴


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第5話 吉良家の使者

橘神宮の境内に、朝の光が静かに差し込んでいた。

木々の葉は露をまとい、風が吹くたびに細かな雫がこぼれ落ちる。

その一粒一粒が、まるで神域の息吹のように淡く光っていた。


昨日、早苗が語った“知恵”は、

すでに社領の隅々まで広がっていた。


「御使い様が、土を休ませよと……」

「落ち葉が肥やしになるなど、誰が思いつこうか……」

「干し野菜……あれなら冬を越せる……!」


民の声は驚きと喜びに満ち、

その表情は、まるで長い闇の中に光を見つけたかのようだった。


早苗は胸の奥が温かくなるのを感じていた。

自分の知識が、誰かの役に立つ。

それが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。



そのときだった。


「橘神宮に、吉良家よりの使者である!」


境内に、張りのある声が響いた。


雅信が驚いたように顔を上げる。


「吉良家……?

まさか、こんなに早く……」


清正が駆け寄ってきた。


「御使い様!

吉良家の使者が……!」


早苗は胸がざわついた。

政治の匂い。

戦国の空気。

それらが、静かに近づいてくる。


「……会わなければ、いけませんよね」


「はい。

吉良家は我らの主家にございます。

無下にはできませぬ」


雅信の声は静かだが、緊張が滲んでいた。



やがて、境内に二人の武士が姿を現した。


一人は三十代半ばほどの男で、

質素だがよく手入れされた鎧を身につけている。

もう一人は若い従者で、

緊張した面持ちで早苗を見つめていた。


「橘神宮の御使い殿とお見受けする」


武士は深く頭を下げた。


「我ら、吉良家家臣・大河内正綱おおこうち まさつなと申す。

この度は、社領に奇跡のごとき変化があったと聞き、

急ぎ参上仕った」


“奇跡”

その言葉に、早苗は思わず息を呑んだ。


「奇跡……?」


正綱は静かに頷いた。


「はい。

田畑の者どもが申しておりました。

御使い様が、土の扱い、肥やしの作り方、

商家の工夫、保存の術……

数え切れぬ知恵を瞬時に授けられたと」


清正が小さく呟いた。


「……やはり、広まっている……」


正綱は続けた。


「吉良家は小さな家中にございます。

領地も狭く、兵も少ない。

ゆえに、民の暮らしがそのまま家の力となります。

御使い様の知恵は、

我らにとっても大いなる助けとなりましょう」


その言葉は、

戦国の現実を静かに突きつけるものだった。


民の暮らしが弱れば、

家中は滅びる。

逆に、民が豊かになれば、

家中は生き残る。


早苗は胸に手を当てた。


「……私は、ただ知っていることを話しただけです。

神様でも、奇跡でもありません」


正綱は首を振った。


「いいえ。

我らにとっては、それこそが奇跡にございます。

知恵は、時に千の兵よりも強い。

御使い様の言葉は、

この社領を救う力となりましょう」


その声は、

武士のものとは思えぬほど静かで、

深い敬意に満ちていた。



「御使い様。

吉良家当主・吉良義安よしやす様が、

ぜひ一度お目通りをと望んでおられます」


その言葉に、

早苗の胸が大きく揺れた。


吉良家当主。

名門の当主。

戦国の武家の長。


「……私が、会う……?」


「はい。

御使い様の知恵は、

もはや社領だけのものではございませぬ。

吉良家全体にとっての光となりましょう」


風が吹いた。

木々がざわめき、

光が揺れた。


まるで、

早苗の運命が静かに動き出したことを告げるように。


早苗は深く息を吸い、

静かに頷いた。


「……分かりました。

吉良家の当主様に、お会いします」


その瞬間、

渓谷の水音が、ひときわ澄んで響いた。


等々力の巫女、橘早苗。

その名は、ついに吉良家へと届いた。


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