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等々力の巫女、戦国を征く  作者: 双鶴


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第28話 沈む旗、迫る影

初夏の風が、

等々力の渓谷を静かに渡っていった。


その風はどこか湿り気を帯び、

遠くで燃える城の匂いを運んでくるようだった。



吉良家の城下から届く文は、

日に日に短く、そして重くなっていた。


「兵糧、尽きかける」

「援軍、来たらず」

「北条家、各地で敗走」


文を読み上げる清正の声は、

いつになく沈んでいた。


雅信が呟く。


「……吉良家は……

もはや……」


早苗は静かに目を閉じた。


(分かっている。

小田原は落ちる。

北条は滅ぶ。

吉良家も……)


だが、

その未来を口にすることはできなかった。



その日の夕刻。

等々力の山道に、

一人の旅僧が現れた。


「御使い様に文を……

大坂よりの急使にございます」


早苗は文を受け取り、

封を切った。


そこには、

秀吉の軍勢が関東へ向けて進軍を開始したこと、

そして――


『等々力の地、

いずれ我が軍の通り道となる』


と記されていた。


清正が息を呑む。


「と、通り道……

つまり……

豊臣方が……

この渓谷に……」


「ええ。

近づいているわ」


早苗は文を静かに畳んだ。


(豊臣の影が……

ついにこの地へ)



その夜。

早苗は村の広場に人々を集めた。


焚き火の光が揺れ、

竹筒の音が風に溶けていく。


「皆さん。

吉良家は苦しい状況にあります。

北条家も……

長くはもちません」


ざわめきが広がる。


「ですが――

恐れる必要はありません」


早苗は静かに続けた。


「私たちは、

神の地を守るために備えてきました。

その備えを……

今日、完成させます」


清正が前に出た。


「武器は整えました。

槍も弓も、

村の者が扱えるように調整してあります」


雅信が続けた。


「食糧も蓄えました。

米、干し魚、味噌……

三月はもちます」


別の男が言った。


「道も塞ぎました。

外から見ればただの倒木ですが、

すぐに動かせるようにしてあります」


早苗は頷いた。


(すべてが“悟られない守り”)


それは、

村人たちの生活に溶け込むように配置された

静かな砦だった。


薪棚の裏に隠された砂袋。

井戸の影に置かれた水桶。

畑の端に埋められた杭。

夜風で鳴る竹筒。


どれも、

“生活の一部”にしか見えない。


だが――

そのすべてが、

村を守るための仕掛けだった。



夜が深まり、

早苗はひとり拝殿に立った。


遠くで雷が鳴り、

空がわずかに光った。


(豊臣の軍が来る。

家康公も来る。

吉良家は……

もう戻れない)


胸の奥が痛んだ。


だが、

その痛みを押し込めるように、

早苗は静かに祈りの姿勢をとった。


「……どうか、

この地を守る力を……

私に与えてください」


風が吹き、

竹筒が鳴った。


「コト……コトン……」


その音は、

まるで“覚悟を決めよ”と告げるように響いた。


等々力の巫女、橘早苗。

その知恵は、滅びゆく北条と迫り来る豊臣の狭間で、

静かに、しかし確かな砦を築き上げていた。


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