第20話 忍び寄る影、残された痕
祈祷の翌朝、
等々力の渓谷には、まだ冷たい空気が漂っていた。
火事は鎮まった。
祈りで民の心も落ち着いた。
だが――
不安は消えていなかった。
早苗は焼け跡に立ち、
黒い布の切れ端を指でなぞった。
(これは……
村の誰のものでもない)
そこへ、清正が駆け寄ってきた。
「御使い様……
昨夜の足跡、さらに調べた者が……
“足半の跡”が二つあったとのこと」
「二つ……?」
「はい。
しかも、片方は“深く沈んでいた”と。
重い荷を背負っていたか、
あるいは……
体格の大きい者かと」
雅信が険しい顔で言った。
「御使い様……
これは、ただの野伏ではありませぬ。
足半を履く者は、
武士か、忍びか……
あるいは、どこかの家の者」
早苗は胸の奥が冷たくなるのを感じた。
(誰かが……
この村を狙っている)
そのとき、
村の外れから声が上がった。
「御使い様!
こちらへ!」
早苗が駆けつけると、
山道の脇に“奇妙なもの”が落ちていた。
細い縄。
だが、村の縄とは違う。
編み方が細かく、
手に取ると驚くほど軽い。
清正が言った。
「これは……
“忍び縄”にございます。
村の者は、こんなもの使いませぬ」
雅信が低く呟いた。
「御使い様……
火をつけた者は、
ただの盗賊ではありませぬ。
訓練された者……
どこかの家の“手の者”にございます」
早苗は縄を握りしめた。
(忍び……
なら、目的は何?
村を弱らせるため?
それとも……
私を試すため?)
胸の奥に、
静かな怒りが灯った。
その日の夕刻、
村の広場に人々が集まった。
「御使い様……
また火が出るのでは……」
「戦に行った者たちは……」
「誰が村を狙っているのか……」
不安は再び広がり始めていた。
早苗は一歩前に出た。
「皆さん。
火をつけた者は、
村の者ではありません。
外から来た者です」
ざわめきが広がる。
「ですが――
恐れる必要はありません。
私たちは、備えています。
火の守りも、
水も、
砂も、
そして……
皆さんの力も」
民たちの表情が少しだけ和らいだ。
「それに……
戦に行った皆さんは、
必ず帰ってきます。
祈りは届いています」
その言葉に、
村人たちは深く頷いた。
(祈りは……
人の心を支える力)
夜。
早苗は拝殿でひとり、
黒い布と忍び縄を並べて見つめていた。
(これは……
偶然じゃない。
誰かが、確実に動いている)
そのとき、
外から小さな音がした。
風ではない。
獣でもない。
“人の気配”。
早苗は息を呑んだ。
(……来ている)
だが、
その気配はすぐに消えた。
まるで、
“こちらを見ているだけ”
のように。
早苗は静かに目を閉じた。
「……逃がさない。
必ず、正体を突き止める」
渓谷の風が吹き、
灯火が揺れた。
等々力の巫女、橘早苗。
その決意は、忍び寄る“第三の影”に向けられた。
そして――
影は確かに、
村のすぐそばまで来ていた。




