第19話 祈りの声、揺れる心
火事の翌日、
等々力の村には、まだ焦げた匂いが残っていた。
焼け跡を見つめる民たちの表情は、
恐れと不安に揺れている。
「二ヶ所同時に火が出るなんて……」
「誰かが、わざと……?」
「戦に行った者たちは大丈夫だろうか……」
その声は、
渓谷の静けさを震わせるようだった。
早苗は胸の奥が痛んだ。
(皆……不安なんだ。
守るために備えてきたのに、
それでも揺れてしまうのは当然だ)
そのとき、
雅信が静かに言った。
「御使い様……
民の心が乱れております。
どうか……
祈りを捧げさせていただけませぬか」
早苗は頷いた。
「お願いします。
皆の心を……少しでも落ち着かせてあげてください」
夕刻、
橘神宮の拝殿に灯火がともされた。
神官たちが白衣をまとい、
静かに並ぶ。
村人たちは拝殿の前に集まり、
誰もが胸に手を当てていた。
雅信が一歩前に出て、
深く息を吸った。
「――これより、
戦に向かった者たちの無事帰還と、
村の平穏を祈願いたします」
その声は、
渓谷に静かに響いた。
太鼓が一度、低く鳴る。
神官たちが祝詞を唱え始めた。
「掛けまくも畏き橘の大神よ……
今、戦に向かいし者らをお守りくださり……
残りし民の心を鎮め給え……
火の禍、争いの禍より……
この地を遠ざけ給え……」
その声は、
風に乗って村全体を包み込むようだった。
早苗は目を閉じた。
(どうか……
皆を守って。
帰ってこられるように。
この村が、揺らがないように)
祝詞は長く、
しかし不思議なほど心に染み入った。
やがて、
村人たちの肩の震えが少しずつ収まっていく。
「……ありがたい……」
「御使い様……神官様……」
「これで……少しは……」
早苗は胸に手を当てた。
(祈りは……
人の心を支える力なんだ)
祈祷が終わったあと、
清正が駆け寄ってきた。
「御使い様……
火の跡を調べていた者が、
“足跡”を見つけたとのこと……」
早苗は息を呑んだ。
「足跡……?」
「はい。
山の斜面に“足半の跡”が残っていたと。
村の者は誰も履きませぬ。
武士か、忍びか……
外から来た者にございます」
雅信が険しい顔で言った。
「御使い様……
これは、やはり“人為”にございます」
早苗は静かに、
昨夜拾った黒い布の切れ端を握りしめた。
(誰かが……
この村を狙っている)
怒りではなく、
冷たい決意が胸に灯った。
「……必ず、守る。
誰が相手でも」
渓谷の風が吹き、
灯火が揺れた。
等々力の巫女、橘早苗。
その祈りは民の心を支え、
その決意は“第三の影”に立ち向かう力となり始めていた。




