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等々力の巫女、戦国を征く  作者: 双鶴


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第16話 出立の朝、祈りの風

出兵の日の朝は、

いつもより冷たかった。


渓谷に薄い霧が立ちこめ、

鳥の声さえ遠く感じられる。


早苗は拝殿の前に立ち、

胸の奥が静かに震えるのを感じていた。


(……今日、皆が出ていく)


昨日まで笑っていた顔が、

今日からは戦場に向かう。


守りたい。

帰ってきてほしい。

その思いが胸の奥で渦を巻いていた。



広場には、

出兵を命じられた二十名の男たちが並んでいた。


農夫、木こり、商人の若者。

誰もが武士ではない。

だが、戦国の理は彼らを容赦なく巻き込む。


男たちの腰には、

寺社領で密かに整えた“農具に偽装した武具”が下げられていた。


鍬の柄は少し長く、

鎌の刃はわずかに厚く、

杭は鋭く削られている。


誰が見ても農具だが、

いざというときは命を守る武器になる。


雅信が静かに言った。


「御使い様……

皆、準備が整いました」


早苗は頷き、

一人ひとりの顔を見つめた。


恐れ、

覚悟、

諦め、

そして――

帰りたいという願い。


そのすべてが、

沈黙の中に宿っていた。



早苗は護符を取り出した。


昨日の夜、

灯火の下で書き続けたものだ。


祈りではなく、

“心を守るための言葉”。


・恐れたら深く息を吸う

・仲間の声を聞く

・夜は必ず交代で眠る

・疲れたら恥じずに休む

・帰る場所を思い続ける


早苗は一人ひとりに手渡した。


「これは……

皆さんの心を守るための護符です。

どうか、胸に入れてください」


男たちは震える手で護符を受け取り、

胸元にそっとしまった。


「御使い様……

必ず……帰ってまいります」

「この護符があれば……」


早苗は静かに微笑んだ。


「帰ってきてください。

必ず」



そのとき、

吉良家の家臣団が姿を現した。


武断派の山名兵部は、

出立する民を冷たく見渡した。


「……これが寺社領の兵か。

まあよい。

足を引っ張らねば、それでよい」


その言葉に、

民たちの肩がわずかに震えた。


だが、

文治派の小野寺左京が静かに言った。


「兵部殿。

彼らは“守るべき家族”を背負っております。

その覚悟は、武士に劣るものではございません」


兵部は鼻を鳴らしたが、

それ以上は何も言わなかった。


(……左京さん、ありがとう)


早苗は胸の奥で呟いた。



出立の時刻が近づく。


男たちは列を整え、

吉良家の兵に続いて歩き出す。


その背中は、

昨日までの“村の男たち”ではなく、

“戦に向かう者”のものだった。


早苗は祈るように手を合わせた。


(どうか……

どうか、皆を守って)


風が吹き、

護符の紙がわずかに揺れた。



男たちの姿が見えなくなったあと、

雅信が静かに言った。


「御使い様……

これからは、残された者たちを守らねばなりませぬ」


早苗は頷いた。


「分かっています。

戦に行く人を守るためにも、

帰る場所を強くしなきゃいけない」


そのとき、

清正が駆け込んできた。


「御使い様……!

山の見張り台から煙が見えたとのこと……

火事かもしれませぬ!」


早苗は息を呑んだ。


(……戦に行く者を送り出したその日に、

残る者たちの“最初の危機”が来るなんて)


だが、

胸の奥には静かな決意があった。


「行きましょう。

皆を守らなきゃ」


渓谷の風が吹き、

木々がざわめき、

光が揺れた。


等々力の巫女、橘早苗。

その知恵は、戦に向かう者を送り出し、

残る者を守るために、

新たな試練へと歩み出していた。


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