第11話 揺らぐ評価
吉良家の使者が去ったあと、
橘神宮には静かな風が吹いていた。
だが、その静けさとは裏腹に、
早苗の胸の奥には重いざわめきが残っていた。
(……吉良家は、私の知恵を求めている。
でも、それは“守り”にも“奪う理由”にもなる)
その思いが、渓谷の水音と混ざり合い、
胸の奥で静かに渦を巻いていた。
その日の夕刻。
吉良家家臣団の一部が、
再び橘神宮を訪れた。
だが今回は、
正式な使者ではなかった。
「御使い様に、少しお話を伺いたく……」
そう言って現れたのは、
武断派の重臣・山名兵部と、
文治派の小野寺左京だった。
二人は互いに一礼したものの、
その目には明らかな火花が散っていた。
(……この二人、仲が悪いんだ)
早苗は静かに座り直した。
最初に口を開いたのは兵部だった。
「御使い様。
吉良家は弱き家中にございます。
ゆえに、御使い様の知恵が必要にございます」
その声は丁寧だが、
その奥には“利用できるか”という鋭い探りがあった。
「しかし……
知恵を授ける相手を選ばれるようでは、
吉良家としても困りますな」
(……来た)
早苗は静かに答えた。
「私は、
混乱を避けるために、
少しずつお伝えしているだけです」
兵部は鼻で笑った。
「混乱を避ける……
それは方便ではござらぬか?」
その瞬間、左京が口を挟んだ。
「兵部殿。
御使い様は“変化の速度”を考えておられるのです。
土地にも、人にも、
耐えられる限界があると」
兵部は不満げに黙った。
(……文治派は、私を守ろうとしている)
左京が静かに尋ねた。
「御使い様。
吉良家の領地にお授けくださった知恵……
あれは、まだ序の口なのでございましょう?」
早苗は一瞬だけ迷った。
(……ここで“全部知っている”と思われるのは危険。
でも、“何もない”と思われるのも危険)
そして、静かに答えた。
「私は……
知っていることを、必要な順にお伝えしているだけです。
まだ、すべてを話したわけではありません」
兵部の目が鋭く光った。
「ほう……
では、まだ“奥の手”があると?」
早苗は微笑んだ。
「奥の手ではありません。
ただ……
土地と人が整ってからでないと、
意味をなさない知恵もあります」
その微笑みは、
神域の光を帯びたように柔らかく、
兵部は一瞬言葉を失った。
(……危なかった)
そのとき、
清正が駆け込んできた。
「御使い様!
社領の者たちが……!」
早苗は立ち上がった。
「どうしたの?」
「御使い様の“神託”を受けて、
生垣作りと乾燥棚の設置を始めております!
皆、嬉しそうで……
“これで冬が越せる”と……!」
兵部と左京は顔を見合わせた。
兵部は低く呟いた。
「……民が動く……
それは、力の兆し……」
左京は静かに言った。
「民が豊かになれば、
吉良家もまた強くなる。
御使い様の知恵は、
吉良家にとっても宝でございます」
兵部は黙り込んだ。
だがその沈黙は、
昨日までの“疑念”とは違っていた。
(……少しだけ、認めてくれたのかな)
早苗は胸の奥が温かくなるのを感じた。
家臣団が去ったあと、
雅信が静かに言った。
「御使い様……
吉良家の中でも、
御使い様への評価が割れ始めております」
「……分かっています」
「武断派は、
御使い様を“利用できるか”で見ております。
文治派は、
御使い様を“守るべき存在”と見ております」
早苗は胸に手を当てた。
(……これが、戦国の政治。
でも、私は――)
「私は、
この社領を守るために来たんだと思います。
だから……
どんな評価をされても、
やるべきことをやるだけです」
雅信は深く頭を下げた。
「御使い様……
どうか、どうかお導きくださいませ……!」
渓谷の風が吹き、
木々がざわめき、
光が揺れた。
等々力の巫女、橘早苗。
その知恵は、吉良家内部に“波紋”を広げ始めた。
だが同時に――
彼女の“隠された守り”もまた、静かに動き出していた。




