アーディン4
肉料理を食べながら、市場を二人で歩く。食べ歩きという物も、セラファにとって初めてのことだった。
「サミラちゃん、こっちこっち、いい野菜が南から入荷したのよ」
「祭で一儲けするつもりなんだ。だからその後ツケを払いに行くからさ、それまで待っててくれって伝えてくれよ」
「旅人が増えて消費量が増えてるだろ? 言ってくれればすぐに商品を持って行くからな!」
歩くたびに、サミラには様々な声が掛かる。その姿を横目に、セラファは肉料理の最後のひとかけらを口に放り込んだ。
ふと、空を見ると少しだけ茜が差している。どうやら随分長く歩き回っていたらしい。あまりにも周囲が騒がしくて、時間の経過を忘れていたようだ。
空の景色は五〇〇年前から何も変わらない。
しかし、人間は発展を続けている。それはセラファの仲間たちが抱いた懸念を、正面から力強く打ち破る光景だった。
「どうですかセラファさん。城門広場は」
遥か過去に別れた勇者たちを思い返して、思索に耽るセラファに、サミラは満面の笑みで問いかける。
「……悪くないんじゃないかしら」
サミラの顔がまぶしくて、セラファは彼女の方を見ずに話す。既に再会することができない仲間たちに姿を重ねてしまいそうで、彼女を見ることに抵抗があった。
「そうでしょー、セラファさんが守ってくれたから、ここがあるんですよ。明日は舶来品の多い東の市場に――」
「それよりっ」
サミラの言葉を遮るように、セラファは鋭い声を上げる。これ以上、彼女の話を聞いていたら、感情を抑えることができなくなりそうだった。
「城門広場……って言う割に、城門からは遠いのね」
セラファは視線を左右させ、思いついたように疑問を口にする。
その疑問に、サミラは「よくぞ聞いてくれました!」と胸を張ってはにかんだ。
「それはですね――あ、丁度近いので少し歩きましょうか」
サミラは周囲を見回して、何かを探しているようだった。セラファは彼女の背中を追いかけるように歩く。
徐々に人通りが少なくなり、進行方向からは夕刻を告げる鐘が鳴り響き始める。喧噪の中を歩いていた時の、のぼせたような気持ちは徐々に醒め始めていた。
「さ、これです! これこそが城門広場の由来――旧城門跡です!」
サミラが指さした先には、朽ちたアーチ状の建造物があった。
それは、注意深く観察すると、側面はいびつな形をしており、本来はもっと違う形をしていたことを察せられる。
「……そう、ここが――」
そのアーチに、セラファは見覚えがあった。本来あると思っていた場所にはなく、こんな内側にあるとは思っておらず、その役割を終えた門は古い友人を待ち続けていた。
「元々はここがアーディンの入り口だったんですよね、町が発展していく中で、城門前に市場ができたのが新市街の始まりなんですよ」
サミラは自慢げに説明をする。都市人口の増加により、城門の内側で生活できない人間が増え続けた。その結果、その外周を覆うように新しく市街地と城壁が作られる。
内側へ行くほど老舗の高級商店が並ぶのは、早くに店を構えられた商人たちが、こぞって内側から順に店舗を建てていったからだということらしい。
セラファはサミラからの説明を意識の端で受け止めつつ、アーチ――旧城門の傍まで歩いて行き、その柱に手を触れる。
「市場の周辺にある壁は壊されてしまったんですが、町中へ行くとまだ残っている壁が――って、セラファさん?」
「……」
サミラの言葉に反応を返さず、セラファは優しく旧城門を撫でる。それはまるで、古い友人との再会を喜ぶかのような動きだった。
彼女の持つ雰囲気は侵しがたく、サミラは彼女が手を離すまで、静かにその姿を見つめていた。
手を触れたまま、セラファは深く息を吸い込み、そして深く吐き出した。ここは、城門広場の端に位置して、人通りもまばらである。
日が傾き始めた今、黄昏色に染まり始めた景色の中で、朽ちた城門に語りかけるように寄り添う。彼女の姿は、さながら絵画のようであった
「……旧市街の方は」
セラファが口を開いたのは、数分経った後だろうか。
「ひゃいっ」
サミラは彼女の神秘的な姿に心を奪われていたので、突然話しかけられ、呆けた返事をしてしまった。
「まだ町並みが残っているのかしら」
「あ、え、えーっと、そうですね。残ってると思いますよ。なんせクコの宿旧館がありますから」
城門広場の端にあるこの旧城門跡から内側が、一般的には旧市街と呼ばれている。中心部にある行政区は立派だが、経済の中心は既に新市街に移っており、行政区以外は寂れた雰囲気の場所となっていた。
「行きたい」
彼女の短い言葉は、はっきりとした強い意志で発せられた。
アーチを抜け、旧市街へ移ると周囲の雰囲気は全く変わっていた。
セラファは砂塵を孕んだ風に髪を抑えつつも、じっとその景色を味わうように見つめていた。
「旧館まではもう少し歩きますよ」
「うん……『知ってる』」
いくつかの建物は老朽化し、形の変わっている物もあったが、その場に残る景色はセラファの記憶と合致する物だった。
城門をくぐって初めて見える店も、石畳の規則正しさも、視線の先にある尖塔――行政区の象徴も、夕暮れの燃えるような茜色に映えて、彼女の訪れを歓迎しているようだった。
「え、知ってる?」
「……ゴジ――クコの宿へ向かいましょう」
サミラの問いかけに、セラファは応えなかった。ただじっと道の先と周囲の雰囲気を味わっているかのようだ。
彼女の記憶と寸分違わぬ町並みは、それでいてしかし致命的に違う物が存在した。それは朽ちて崩壊しかけている扉でも、ひび割れた石畳でもなく、蔦植物に覆われた壁でもなかった。それは人が居ないという大きな欠落だった。
赤く燃え上がるような景色の中、あれほど活気のあった城門広場のすぐ近くだというのに、道を通る人々はまばらで、建物の中にも人の気配が感じられない物がいくつかあった。
「このあたりはですねぇ、皆こぞって新市街に移住してしまったので、あまり来る用事がないんですよね」
サミラが後ろからセラファの両肩に手を置いて、身を寄せてくる。その手はかすかに強張っており、彼女がこのあたりに来ることが多くはないのだとセラファは察した。
「旧館の方も、旧館とは言ってますけど、実際倉庫みたいな使い方しかしていなくてですね……」
彼女の話を聞き流しつつ、セラファは記憶の通り、道を進んでいく。その先には風化した看板の提げられた宿屋らしき建物があった。
「あそこね」
看板は完全に風化して文字を読むことはできなかったが、セラファにはその文字が「GOJI INN」であることが分かっていた。
「そうですけど……セラファさん。よく分かりますね」
「来たことがあるから」
サミラの手を肩からどかして、セラファは答える。その声音は柔らかで、友との再会を懐かしむような、そんな幸福感が滲んでいた。
「え、来たことがあるって――」
「あなた、ゴジって知ってる?」
セラファは、彼女の言葉を遮って質問をする。
「え? それは……クコの別名じゃないですか? クコの実ってゴジベリーって言いますから」
その質問はサミラにとって当たり前の知識を問うようなものだった。だが、セラファはその意図で質問したのではなかった。
「ゴジっていうのは、古い言葉で神官を意味するの」
「神官……?」
説明に未だピンときていないサミラを見て、セラファは一呼吸おいてから話し始める。
「五人の勇者のうち、裏切りの神官の話は知っているかしら」
サミラを後ろに従えたまま、彼女はクコの宿旧館へ足を踏み入れる。扉が軋む音と共に、内部で堆積した埃が舞い上がる
「それはもちろん……元はカラド=モルスに仕えていた一人で、その支配構造に疑問を持って裏切ったんですよね」
「そう、彼の名前はイルヴァン。彼が助けたうちの一人は、ゴジの名前を冠した宿を建てた。それがここの始まりよ」
セラファが語ると、サミラは目を輝かせて彼女の手を取った。
「そうなんですね! うわぁ、私のお店にそんな由来があったなんて! 良かったら、その時の話も聞いてみたいです!」
「気が向いたらね……」
サミラの熱視線から身体を避けつつ、セラファは店内を見回す。そこには窓から差し込む夕日と、見覚えのあるいくつかのテーブルと椅子があった。
だが、やはりテーブルには埃が張り付いており、セラファが指を滑らせると、ざらざらとした手触りが返ってくる。
床に関しても、導線が明らかになるほど足跡が残っており、それは店の裏手に向かって何回も、あるいは何人も歩いたような跡があった。
「あの……提案した私が言うのもなんですけど、面白いですか?」
じっと店内の様子を観察しているセラファに、サミラはおずおずと問いかける。彼女にとって、ここはただの倉庫であり、思い出が堆積する場所ではなかった。
「そこの扉の先には何があるの?」
セラファが指さしたのは、多くの足跡が向かう裏手への扉だった。
「そこは裏庭への道ですね。誰かが抜け道として使ってるみたいなんですけど、あそこから別の場所にはつながってないはずなんですよね」
まあ盗られて困る物もないので放っておいていますけど。サミラはそう続けて肩をすくめた。
セラファは足跡に導かれるように扉を開ける。その先には、確かに少し広めの裏庭があり、いくつかの木箱がまばらに置いてあった。
「……」
「どうです? 何もないでしょう?」
サミラの言葉をよそに、木箱の一つを撫でてみる。
つるつるとした感触が返ってきて、摩耗の度合いが大きいこと、そして僅かにたわんでいることから、何か重い物が乗っていたことを感じ取ることができた。
「なるほどね」
セラファが呟くように言う。
「え?」
「帰りましょうか」
疑問符を浮かべるサミラに、セラファは淡々と話した。 旧館の内部を通って旧市街の通りに出ると、町並みの向こうへ太陽が沈み、逆方向からは褪めた群青が押し寄せていた。
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