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アーディン3

 クコの宿から外に出ると、セラファの目に暖かな陽光と、深い色の晴天が飛び込んできた。午前中の霧に沈むような景色はもうどこにも存在せず、人が人としての営みを続ける、活気ある町並みがあたりを埋め尽くしていた。


「……賑やかね」

「はい! もうすぐお祭りなので、特に!」


 その光景に、セラファは小さく鼻を鳴らす。彼女の記憶にあるアーディンには、こんな景色は存在しなかった。


 アーディンは、歴史が古い町である。だから、セラファは自分の記憶にあるアーディンと共通するものがないか、散策してみたくなった。それがサミラを伴って出かけようという気にさせたのだった。


「まずはですね、市場の方から見てみましょうか。城門はもう見ていますよね?」

「そうね、随分立派な門と壁だったけれど――」


 セラファの記憶にある城門は、もっと質素で、最低限の役割しかないようなイメージだった。だが、五〇〇年もあれば、そう同じ景色が存在するはずがないということも、彼女は心のどこかで納得をしている。人は神だけでなく、あらゆるものと離別を繰り返して生きているからだ。


 城門をくぐり、アーディンをクコの宿まで歩いたときには感じなかった町の雰囲気を、徐々にセラファは感じ始めていた。


 それは、活気ある中央通りを歩いているときに感じたもので、通りには旅人向けの店や飲食店が並んでいるが、中心部へ向かうほど高級志向の店が増えていた。どうやら、中心部へ向かうほど、裕福な人々が暮らしているらしい。


「この大通りは、旅人向けの商店が多いのね、あなたたちは、どこで日用品を買っているの?」

「それはですね、もう少し歩いて城門広場に着けば分かりますよ」


 サミラはセラファの問いかけににっこりと笑い。町の中心部へと伸びる大通りの先を指し示した。


 そんな彼女の案内に、セラファは首をかしげる。


「城門広場って……城門は逆方向じゃない」

「ふふ、そう思いますよね」


 セラファの質問をはぐらかすように答えるサミラだったが、彼女は先導するようにセラファの前に一歩踏み出した。


「行けば分かりますよ」

「そう、楽しみにしておくわね」


 うれしそうに顔をほころばせるサミラに、セラファは身体の力を抜くように微笑んだ。


「おや、サミラちゃん今日はお使いかい? 祭ももう明後日だしねえ」

「えへへ、実はね――」

「町の案内を頼んでいるんです」


 祭を控えた浮ついた雰囲気の中、道を進みつつサミラは笑顔で対応していく。サミラに話しかけた男性は、話を遮ったセラファに少しだけ怪訝な顔をしたものの、それ以上追求することはなかった。彼は彼女のことを無視して、サミラに食材の入荷についての話をしている。


「――じゃあ、お父さんに言伝を頼んだよ」

「はい! 獣肉の入荷はその頃で大丈夫だと思いますけど、確認しておきますね!」


 男性が手を振り、サミラはそれに応えるように笑みを向けて歩き始める。中心部へ向かうほどに、こういうやりとりが増えているようにセラファは感じた。


「さ、セラファさん。もうすぐ城門前広場ですよ」


 歩調を緩めて、サミラは振り返る。その表情は暖かで、セラファの中にある古い記憶を想起させた。


「ライカ――」

「?」


 その名を口にして、セラファは思わず彼女から目を逸らしていた。屈託なく笑う、かつての仲間を思わず呼んでいたのだった。


「何でもないわ、気にしないで」

「そう言われても気になりますよ、誰なんですか? ライカさんって」


 拒絶の意思を示すセラファだったが、サミラはそれに気付かなかったのか、それとも気付いた上で好奇心が勝ったのか、セラファに問いを投げた。


「……勇者の一人よ」


 セラファはなんとかごまかそうと思考を巡らせたが、彼女の好奇心を逸らさせることは難しいと察し、ついには諦めた。


「少し雰囲気が似ていただけ」


 勇者という言葉に気色立つサミラに気付かないふりをして、セラファはため息を漏らす。


――私は世界がどうなるかじゃなくて、あなたがどうなるかが心配なのよ。


 いつか彼女と交わした会話が蘇る。セラファにとって、彼女は姉……あるいは妹とも言える存在で、五人の勇者のメンバーでも最も仲の良い存在だった。


「そうなんですか!? 聞かせてくださいよその話!」

「いない人のことを話しても仕方ないでしょ……それより、町を案内してくれるんじゃなかったの?」

「あっ、はいっ……すいません。気になっちゃって」


 セラファは、過去を思い出すのを煩わしいと考えていた。


 少しばつが悪そうに案内をするサミラの姿を、視線で追いつつ、彼女はふとあふれ出した記憶を頭から追い出すように鼻を鳴らす。


 記憶は立ち上がる力をくれることもあるが、セラファにとっては孤独を思い知らされる物でしかなかった。


 彼女が持つ記憶は、全てが既に居ない人との物で、記憶が呼び起こされるたびに、胸が締め付けられるような悲しみを、彼女にもたらしていた。


「さあ、ここが城門前広場ですよ!」


 思考に沈みかけていたセラファが、サミラの一言で意識を覚醒させる。目の前には、彼女が体験したことのない光景が広がっていた。


 まず目に入るのは、人である。それも十人や二十人ではなく、進む先も見えないほどの人だかりだ。


 その隙間からは色とりどりの露天の屋根、そして野菜や肉の鮮やかな色、あらゆる物がセラファにとって興味を引く物だった。


「――」


 彼女は言葉を失ったまま、呆然と目の前に広がる市場を見る。その反応に、サミラは自慢げに笑った。


「ふふっ、南の城門広場はアーディンで一番大きな市場ですからね、セラファさんも驚いたでしょ?」

「ええ――信じられないけど、人って、ここまで栄えていたのね」


 これほどの人数と幅広い種類の人間が集まっているのは、セラファの知る限り乖炫戦役の時ですら、見ることはなかった。


「そうですよ! セラファさんたちのおかげですね」


 サミラはまるで自分のことのようにはしゃいでいる。その姿にセラファは胸の奥で温かな感情が滲むのを感じた。


 サミラに手を掴まれ、様々な人にぶつかりながらも市場を進んでいく。その途中でどこからか香ばしい焼けた肉と香辛料の香りが漂ってきて、セラファの鼻腔をくすぐった。


「あ、良い匂い……そうだ、セラファさん。お昼ってまだですよね?」


 サミラもその臭いに気付いたようで、振り返ってセラファに問いかける。


「え――?」


 突然声をかけられたセラファは、思考を急に引き戻され、気の抜けた声を漏らしてしまった。


「だから、お昼ご飯ですよ。昼過ぎにアーディンに到着したなら、お昼を食べていないんじゃないですか?」

「私は食べなくても死なないから……」


 それこそ、自分の記憶が曖昧になるくらいは食べていなかった。昨日カイエルたちと一緒に食べたスープより前は、食べる必要性も、空腹感も忘れていたのだ。だから、今ひとつ食事の必要性を感じることができなかった。


「駄目ですよセラファさん。そんなことを言っちゃ」


 視線を逸らして語るセラファだったが、その目を追いかけるように回り込んで、サミラは彼女を諭すように話す。


「食事って言うのは、生きるためにするものじゃなくて、楽しいからするものです。セラファさんだって、そういう思い出がないわけじゃないでしょ?」


 サミラの言葉に、とある光景がセラファの脳裏に映る。それは、五人の勇者が一堂に会した最後の記憶だった。


 もしかするとその時感じた物が、食事を楽しむということだったのだろうか。セラファはそう思った。


「気にしないで、今までずっと食事なしで動いていたし、問題は――」


 セラファは語るが、その言葉は雷鳴のような音量で鳴った腹の虫によって遮られた。


 雑踏と喧噪の中でもその音ははっきりと聞き取れて、彼女の頑なな心とは逆に、非常に素直な反応を示していた。


「ね、食べましょうよ」

「……そうね」


 周囲の人々がちらちらと視線を向ける中、サミラは音に気付いていないかのように振る舞って、セラファに手を差し伸べた。


 セラファは控えめに彼女の手を取りつつ、心の中で「これは香辛料の匂いにつられて、身体が反応しただけだから」と言い訳をする。


 手を引かれて向かった先には、大きな肉の塊があった。


 香辛料と岩塩をまぶした塊肉を、そのまま小さな火で炙っている料理と言うにはあまりにも豪快なもので、肉自体のサイズは木の幹ほどもあった。


「おっ、サミラちゃん今日もかわいいねぇ! 今日はお祭り前のお使いかい?」

「サミラ? 珍しいじゃない。こんな時間に」

「ダンさんも、素敵な筋肉ですね! リナも、今は休憩中?」


 長いさらさらとした黒髪の女性と、ひげ面の店主――リナとダンはそう言われると、リナは口角を緩ませ、ダンは身体をひねって両腕に力こぶを作り、白い歯を見せる。


「まあね」

「おう! ありがとうな! 最近残滓が近くに出るってんで、ますますトレーニングに身が入っちまってなぁ!」


 大人っぽいリナの所作はともかく、ダンの姿は黒光りするような肉体美と、純白の歯のコントラストがセラファには刺激的すぎて、目を細めたくなるほどだった。


「……ん?ところでサミラちゃん。そっちの子供は迷子かい?」

「あ、それはですね――」

「それともお客さんの娘さんかしらね。サミラもお人好しよねえ」


 何故自分と合う町の人間は、私を迷子それに準ずる存在と認識するのか、セラファは少し釈然としない思いを抱いた。


「いえ、お客さんなんですよ! それに娘さんとかじゃなくて――」

「へえ、こんな小さな子が……」


 サミラの言葉をダンは顎のひげをさすりながら、セラファの姿をつま先から頭の天辺まで見回して、おもむろによく切れそうなナイフを取り出して、塊肉を削るように切り始めた。


 刃はセラファが想像するよりもスムーズに入っていき、香ばしい表面をこそげ落とすように滑っていく。それらを葉野菜と共にパンに挟むと、赤と白のソースをその上に掛けて、セラファに差し出した。


「そんなガリガリじゃ残滓に襲われたらひとたまりもないだろ。食いな」

「いえ、私は――」


 そんな心配をされるほど弱くはない。そう言おうとして、ダンの目を見たセラファだったが、彼の押しつけがましいほどに強烈な笑顔に、それ以上何も言えなかった。


「……ありがとう」

「おう、一気にがぶっと食いついてくれ!」


 ダンに促され、恐る恐るパンにかぶりつく。


「っ――」


 香辛料の香りと葉野菜の瑞々しさに、辛味のあるソースが絡み合って、今まで食べたことのない味が口いっぱいに広がった。


 昨夜の生きるための食事とは根本的に思想が違う、楽しむため、幸福を感じるための料理。サミラが語ったそれそのもののようにセラファは感じた。


「どうだい? 味の方は」

「おいしい……初めて食べた」


 五〇〇年前は、人類にとって食事というものはただ生き抜くためのものだった。香辛料というものも、セラファが残滓を狩り続けている間、偶然助けた行商人が持っていたもので知っただけだった。


 カラド=モルスの抑圧から逃れた人類は、確実に進歩していて、発展を続けている。その事実が、セラファの胸に押し寄せて、彼女は目頭に熱がこもるのを感じた。


「あーあ、こんなことばっかしてるから、あんたの店は儲からないのよ」

「うるせー、腹減ってる子供見たら飯食わせたくなるだろうが」

「あ、ダンさん。私にもくださーい!」


 彼女が涙を悟られまいと口元を拭うふりをして俯くと、サミラはダンににっこりと笑いかけた。


「ったくしょうがねえなぁ、サミラちゃん。代わりにクコの宿に行ったとき、ちょっとはサービスしてくれよ?」


 ダンは困ったような口ぶりだったが、その表情は満面の笑顔だった。


「もちろんですよ! お待ちしていますね!」


 塊肉がそぎ落とされるのを、セラファは涙を拭った両目でじっと見つめていた。


「っていうか、ちょっと気になったんだけど……」


 セラファが料理を味わっていると、リナがじっと槍を見ながら口を開いた。


「これは――」


 自分の持つ武器に興味を持ったと感じたセラファは、その槍を見せつけるべく手を伸ばす。しかし、続く言葉は想定外の物だった


「その布、めちゃくちゃ上等じゃない!? その色と質感は南方からの絹織物よね!? どこで買ったの!?」

「……」


 全く見当違いのことを聞かれて、セラファは面食らったように言葉を噤む。今まで生きてきて、初対面の人間から武器を気にされたことはあっても、それ以外の所有物に興味を持たれることは無かった。


 なぜ、そんな物が気になるのか。首をかしげるセラファだったが、あることに思い至る。


 今の時代は、武器を持たなくても生きてゆける時代なのだ。


「マルノというクコの宿に泊まっている行商人から買い上げた物よ」


 そう思い至ると同時に、セラファはまた一つ、肩の荷が下りたように感じた。


「あら、そうなの!? 今度の篝灯祭で出店するかしら?」

「祭りに合わせて来たって言ってたから、多分」


 きゃいきゃいと上機嫌に騒ぐリナに聞かれて、セラファは控えめに頷く。


「なんだよ、布なんかどれも同じだろ」

「分かってないわねぇ、ダン。南部の絹織物って言ったら最高級品よ」

「そうかぁ? 本人が気に入ってるならそれでいいじゃねえか。高級品とか馬鹿馬鹿しいぜ」


――そんなに気になるか? 本人が「そう」なら、周囲の言葉は雑音だろ。


 ふと、ダンの台詞から過去に聞いた言葉が蘇る。


「セラファさん? どうかしましたか?」

「別に……」


 不思議そうにのぞき込むサミラから、セラファは視線を避けた。


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