アーディン1
翌朝、マルノが起きたところでタープを撤収して、カイエルは馬車の空いているスペースで仮眠を取っていた。
「いやあ驚きました! まさかあの不死の乙女と実際に会えるとは!」
暢気に寝息を立てるカイエルと、その隣で不機嫌そうに口を固く結ぶセラファ、そして馬の様子を見ながら馬車を進めるマルノ、三人は先の見えない霧の中、次の町を目指している。
「カラド=モルス討伐譚を本人の口から聞いてみたいのですが、いかがでしょう?」
「嫌よ」
浮かれた調子で話すマルノに、セラファは不機嫌なまま、短く答える。その返答にも関わらず、マルノは変わらずセラファに様々なことを話しかけていた。
霧の中を進んでいると、遠く離れた場所に、橙色の光がうっすらと見え始めた。その光は距離がある分おぼろげだったが、馬車が進むにつれ、その光をはっきりと主張し始めた。
「おお、篝火が見えてきましたぞ、町までもうすぐですな」
マルノがごく自然な流れでその光を指して語ると、セラファもようやく興味を抱いたようで、カイエルの隣から身を乗り出して進行方向へ目をこらした。
「一つ目の篝火が見えたので、あと一時間ほどとなりますね」
「……そう」
セラファは自分の興奮を悟られないよう、努めて冷静に答えた。
夜から明け方の霧の深い時間帯は、町の入口へと向かう道に等間隔で篝火が置かれる。それは霧で旅人が迷ったとしても、篝火をたどれば町へたどり着けるようにするための物だった。
「昔は町の入り口の一対だけだったのですが、徐々に伸びていきましてな、今では五対の篝火が道の両脇に掲げられているのですよ」
マルノが教師のような調子で語り、セラファはそれを聞いて「そう」と短く答える。一つ目の篝火が根元まで見えるようになると、またその先に小さな光が見える。
確かに、これなら独りで旅をしていても、町にたどり着けないなんてことは無さそうだ。セラファはそんなことを考えて、通り過ぎていく一つ目の篝火を見送った。
「次の町はですね、この近辺では最も大きい町でして――」
マルノの説明を聞き流しつつ、セラファは別のことに意識を向けていた。
人と会うことは、残滓を狩り続ける生活でそれなりにはあった。
カイエルたちと出会ったのも、そういった時々ある事の一つだ。だから、彼らと会ったときは心を乱すことはなかった。
だが、これから向かうのは、人が多く居る町である。セラファにとって、滅ぼされた集落以外の町を見ることは、実に数百年ぶりのことだった。
「……大丈夫かしら」
小さく、セラファは誰にも聞こえないように声を漏らす。
「はっは、ご安心ください。宿も何もかも、手配はお任せ頂きましょう」
セラファの言葉を耳敏く聞きつけたマルノが、彼女の心配を勘違いして答える。彼女が声を漏らしたのは、新たな人々に出会ってしまう不安からの物だった。しかし、その不安はマルノに伝わることはこれからもないだろう。
「ふぅ……」
セラファは一つため息をついた。自分の考えを曲解されてしまう。そんな経験も、前回はいつだったか分からないほど昔だった。
セラファは空を見上げるが、濃い霧によって太陽の位置は全く見えない。水に溶かされたミルクのような空に、ぼんやりと明るい部分が見える程度の形しか分からなかった。
はっきりとしない空模様に、セラファはもう一つため息をつく。
「っ……」
町への不安が膨らみ続けているとき、セラファの傍から苦しげな声が漏れた。
「ぐっ、うぅ……!」
その声の主はカイエルだった。夢にうなされているのだろうか、そう考えた彼女は、彼の肩を揺する。
「起きなさい――起きて。どうしたの?」
彼女が肩を揺すると、カイエルは眉間にしわを寄せ、ゆっくりと目を開いた。
「くっ……セラファ?」
「どうしたのよ、随分うなされていたけど」
寝ぼけた調子で話すカイエルに、セラファは安堵の息を漏らしつつ、彼にうなされていた理由を聞く。
「ああ、いつもの奴だよ――それより、マルノ! 今どのあたりだ!?」
「はい? 安心してください。篝火が見え始めたので――」
「町が近いのか!?」
寝ぼけていたカイエルが、飛び起きるように姿勢を前傾させて、マルノに詰め寄る。
「は、はい……もうすぐ二つ目の篝火を通るところでして……」
マルノの方はカイエルが切羽詰まったような反応をするので、半ばおびえたように状況を伝えた。
その言葉を聞いて、カイエルは短く舌打ちをして、幅広剣を鞘から抜き出す。
「セラファ、残滓が近い。手伝って貰うぞ」
「残滓が近いって――」
カイエルの言葉を受けて、彼女はカイエルの見ている後方へ視線を向ける。そこには三つの篝火の光が見えているようだった。
だが、それはおかしい。篝火は一対しか通過していない。だとすればもう一つの光はなんなのか。セラファが目をこらすと、三つの篝火のうち一つは、かすかに色が違っていた。二つは炎の色で、もう一つはそれよりも色褪せ、黄金色をしている。二つの篝火の間で、その黄金色をした光は徐々に大きく――近くなっているようだった。
「っ!!」
それを理解した瞬間、セラファは自分の槍を掴み、それを杖にして立ち上がる。穂先がぐるりと回って、カイエルは小さな声を出してそれを避けた。
三人の視線の先にある光――カラド=モルスの象徴である黄金の光は、すぐに距離を詰め、その持ち主の黒く大きな影が露わになる。
それは、馬よりも一回りほど大きく、ずんぐりとした巨体で、その姿を確認したマルノは、短い悲鳴を上げた。
「ひぃっ!? な、なんですかあれは!?」
「残滓よ、昨日よりも強力な、ね」
セラファはマルノの問いに答えると、彼女とカイエルは馬車から飛び降りて、黄金の輝きを持つ怪物へと駆けだした。
「マルノ! 急いで町に向かって残滓が出たことを報告しろ!」
セラファの背後で、カイエルの声が響く。セラファはその言葉の後、馬が走り出した音を聞いて、彼がこの場から走り去ったのを察した。
セラファが怪物と距離を詰めると、その姿がはっきりと見え始める。
「――」
彼女はその姿を見て顔をしかめる。怪物はあまりにも醜悪な相好を為していた。
その姿は、狼に似ていた。しかし、それでいて狼とは明らかに違っていた。いくつもの狼の骸が寄り集まり、一つの大きな影となっている。
どろりとした血糊が口を模した部分から垂れ下がり、泥と血にまみれた毛皮が、つぎはぎのように胴体を覆っている。脚部も何本もの足が絡み合って作られており、時折ぼとりと足先がもげて散らばっている。
そして怪物の中心、狼に喩えれば心臓の部分には、黄金色の輝きが漏れていた。
その存在を認知した瞬間、セラファを追い越してカイエルが幅広剣で怪物へ斬りかかった。
「っ、くそっ!」
怪物の頸を切り落とし、足部分へ刃を振るうが、怪物は頭部がない状態でも足への斬撃を回避するように飛び上がり、太く束ねられた尻尾をカイエルに叩きつける。
「カイエル!」
セラファが間に合って槍で尻尾を弾く。怪物は距離を取って着地し、それと同時に切り落とした部分から、切り落とされた頭部へと黄金の光が伸び、引き寄せられるように切断面がつながった。
「悪い、助かった」
「お礼はいらないわ、この大きさの残滓が相手なら私が倒すから、あなたは待避していなさい」
残滓は、小さな物の場合は生物の体内に侵入して、それの意識を乗っ取るが、ある程度の大きさになると、残滓本体を核として生物の死骸や非生物を取り込んだ怪物となる。
つまりいま目の前で狼の姿を真似している残滓は、昨日遭遇した物よりも大きな物と言える。
「心配すんなって、俺も戦う」
「そういうことじゃないのよ。あなたじゃあの大きさの残滓を倒したら、細かくなって逃げるだけでしょ」
生物の体内に浸食できる残滓は、宿主を殺せば消滅する。だが、ある程度の大きさになった残滓は違った。
二人が言い合いになりそうになると同時に、怪物の喉から雑音が発せられた。その音は狼の鳴き声が幾重にも重なり、混ざり合って一つになったような耳障りな音だった。
「っ……! とにかく! 核への攻撃は私に任せなさい!」
二人を同時に噛み砕くように迫る顎門から身を翻して別方向へ逃げるセラファとカイエル。怪物は、先ほど頸を落とされたにもかかわらず、その獰猛な殺意を周囲にはなっていた。
核を持つ残滓は、核以外の損傷をものともしない。それは黄金の光を放つ核こそが残滓の身体であり、それに付属する体躯は、いわばただの殻のようなものであり、それを破壊されようと残滓を何一つ傷つけられないのである。
「っ、おおっ!」
二手に分かれたことで、残滓の注意が一人に集中することはなくなった。セラファが怪物の牙や爪を槍でいなしている背後から、カイエルは幅広剣を振り下ろす。
しかしそれは怪物の毛皮を突き破って出現した狼の顎門によって防がれてしまう。身体に見える部分はただの殻でしかなく、生命体としての常識が存在しない残滓には、そのようなことも可能だった。
「ちぃっ!! こいつ、強いぞ!」
「落ち着きなさい、負傷しないことだけを考えるの、核は私が倒すから、無理に攻撃しないで!」
セラファが叫ぶが、その声が届く前にカイエルの幅広剣が怪物の中心にある光が漏れる箇所をかすめるように切り裂いた。その瞬間、黄金色の光――微少な残滓が核から漏れ出て、周囲へと散らばっていく。
「安心しろよ俺も戦える。このまま散らしていくぞ!」
「――っ!! 馬鹿っ……!」
カイエルの得意げな声に、セラファは歯噛みして声を抑える。残滓は、小さく生物の中に入り込んだ存在は宿主を殺せば消失するが、核を為した残滓は傷つけられると分裂をする。
また、小さな残滓は生物の中に入り込む以外にも、残滓同士が寄り集まって巨大になろうとする。それはカラド=モルスが復活しようとする意志そのもので、全ての残滓がまた一つになったとき、創造神は再び復活するというのが、現在予想される破滅のうち一つだった。
「話を聞きなさいよ!」
セラファがそう叫ぶと同時に右手で槍の穂先近くを持ち、左手を怪物の顎門にかざす。狼の顎門を模した骸の塊が、セラファの左腕を根元からくわえ込む。
「セラファ!?」
「っ――!! ああああっ!!」
血の飛沫が跳ね、彼女の白い肌に赤黒い斑模様が張り付く。セラファは自身の腕を噛みつぶされるという、目眩を起こしそうな痛みの中で、右手に持った槍を深々と怪物の胸元――黄金の光の漏れる、核のある場所へ深々と突き刺した。
「お前、大丈夫――っ!?」
瞬間、残滓を核として寄り集まっていた狼たちの骸が、光が消失すると同時に崩れ落ちた。左腕を潰されたセラファを助けようとしたカイエルは、何が起きたか理解できず、幅広剣を持ったままその場に立ち尽くす。
「っ……ふぅ、だから、核は私がやる。そう言ったでしょう」
完全に動きを止め、腐りかけた骸となった怪物の顎門から、セラファは千切れかけた腕を抜き取る。その指先はひしゃげて、痛々しい有様だった。
「幽銀の槍、五人の勇者の逸話は残っていても、武器までは残っていなかったのかしら」
そう言いながら、セラファは槍に付いていた赤黒い腐汁を払う。ただそれだけで、槍は清浄な銀色の光沢を見せていた。
幽銀とは火山性の岩盤の底部で採取される希少で危険な金属だった。それの性質は触れたものの生命力を奪うこと、つまり、魂そのものを削り取る金属だった。
「まさか、その槍……神を『完全に殺す』って言うのは、本当なのか」
「そう、だから私の槍に貫かれた残滓は分裂をしないし、そのまま消滅する。あなたは無理に攻撃せず、私が核を攻撃できるようにだけ考えていなさい――っ」
驚いた様子のカイエルに、少しだけ優越感を感じつつ、セラファは自分の左腕から来る焼け付くような痛みに、膝を折る。
「大丈夫か!?」
すぐに幅広剣を鞘に収めたカイエルが駆け寄るが、セラファは自身に起こる変化に備えて歯を食いしばった。
「おい、セラファ――」
神経が焼き切れるような感触、そして新たに血管や肉が生えてくる尋常ではない違和感。その原因は、まさに実際にそれが起こっていることで発生していた。
ズタズタに裂かれた皮膚や筋繊維は目に見える早さで修復され、もげかけた部分は腐り落ちるようになくなり、その下から新しい部位が生えてくる。
「っ――。ふぅ、こういうわけだから、気遣いも不要よ」
セラファはカイエルの方を見ずに話す。しかし、カイエルはセラファの視界に滑り込むようにのぞき込んできた。
「っつってもよ。痛いんだろ、それ」
「もう痛くないわ」
「治るまでは痛いんだろ」
「すぐに直るもの」
カイエルの言葉を素っ気なく返しつつ、セラファは彼の視線から逃れようと首を振る。
「痛いのは否定しねえんだな」
「だって――」
なおも言葉を続けようとするセラファだったが、カイエルが再生した直後の腕を掴んだことで、それ以上言葉を発せなくなってしまう。
「だってじゃねえよ、不死の乙女だかなんだか知らねえけど、変な我慢するなよ」
「――」
カイエルが言葉を受けて、セラファは言葉を詰まらせる。
絵画のような美しさを持つ銀髪双眼の少女と、栗色の髪と瞳を持つ戦士、あまりにも対照的な二人だったが、彼らは二人とも、お互いの顔を見合わせたまま黙り込んでしまう。
少女は目を大きく見開き、戦士は状況を把握できないまま、しばらくの時間が過ぎる。二人が次に反応したのは、マルノが引き連れてきた兵士や騎馬などの、増援が近付く気配がしはじめてからだった。
「……っと、ようやく到着か」
「カイエルさんにセラファさん! 町の警備隊に言って……おや? 残滓はどこに?」
困惑した様子のマルノと兵士に、セラファは狼の骸が積み重なってできた小山を指さして質問に答える。
「もう終わったわ」
「なんと!?」
仰々しくマルノが感嘆の声を上げると、周囲の兵士たちも驚愕して二人へ賞賛を送る。
「この大きさの残滓を二人で!?」
「しかも分裂した残滓も見当たらない! ということは――」
「まさかそんな!? 残滓を完全に倒しきってしまうなんて!」
惜しみない賞賛を浴びて、セラファは顔を伏せる。ただ、耳が赤くなっていることから、彼女の感情は周囲に筒抜けだった。




