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神狩1

 北へ延びる林間の道。それは南にある絹織物の産地から北の大都市へと人と物をつないでいる。


 行商人マルノは、護衛であるカイエルとともに荷馬車を走らせ、大都市への道を急いでいた。


「マルノ! もっと速くできねぇのか!?」


 短く刈り込んだ栗色の髪を持つ神狩かがりカイエルは、馬車の先頭で鞭を持つ小太りの行商人マルノに声を上げる。


「今ので限界です! これ以上は馬が潰れてしまいますぞ!」


 馬車を牽引する馬は、呼吸も荒く、しきりに首を動かしている。体力の限界が近いのだろう。最高速で走り続けている反動がすぐに訪れそうだった。


「っ……いってぇ……」


 カイエルが頭痛に顔をゆがめた瞬間、馬車の車輪が小石に乗り上げ、大きく揺れる。


「しまっ――」


 その瞬間、限界に達していた馬が馬車ごと横転する。放り出されたカイエルは咄嗟にマルノを庇いつつ、自分の得物を手に地面に転がる。


「ひっ、ひええぇぇっ!?」


 マルノが喚くと同時に、馬車を追いかけていた影が曇天の下に現れる。


 それは狼の群れであり、その瞳は黄金色にらんらんと輝いていた。


 マルノを離して、カイエルは自分の得物――長大な幅広剣を構えて体勢を立て直す。遠くで雷鳴が響き、程なくして雨が降り始める。


「残滓――」


 剣を構えたカイエルがそう呟くと同時に、一匹の狼が地面を蹴り、突進してくる。


 彼はその姿を冷静に見届けて、振り上げた幅広剣の重さを利用して狼を両断した。地面に潰れたように倒れる狼は、飛び出た目玉から徐々に黄金色の輝きを失い、生気の無い灰色になっていき、口元からはどろりとした油のような黒い液体がにじみ出てきた。


「ひっ――」


 マルノの引きつった声を尻目に、カイエルはその骸を一瞥する。


「ウゥ……」


 最初の一匹があっけなく倒されたことで、狼たちは警戒心を新たにし、低いうなり声を上げて、徐々に距離を詰め始めていた。


「あ、あのっ、カイエルさんっ!」


 一触即発の状況、マルノが半ば裏返った声を上げる。


「信じていいんですよね!?」


 すがるような視線を目の端で受けたカイエルは、その言葉を鼻で笑って地面にめり込んだ幅広剣を抜いた。


「まあ安心しとけ、死にはしない」

「死っ――!!」


 マルノの失神しそうな叫びと同時に、次々と襲いかかってくる狼の群れ。カイエルはその群れを相手に、剣を振りかぶる。


「――しぃっ!!」


 横薙ぎ一閃、食いしばった歯の隙間から鋭く息が漏れ、三匹の狼が胴を両断され宙を舞う。振り抜いた後隙を狙い距離を詰めてかぶりつこうとするのを、カイエルは剣の峰で受け、払いのける。


 間合いの内側に入られないよう注意深く地面を蹴り、遠心力を利用して逆方向へ幅広剣を振り抜く。狼たちがしきりに吠えはじめ、地面には狼の骸から漏れ出た血が、雨に滲んで不吉な模様を描いていた。


「ガァッ!!」

「ちぃっ!」


 左手に噛みついた狼を振り払い、地面に叩きつけたところで剣を突き刺しとどめを刺す。それに続いて襲いかかってきた狼が頭をかすめ、カイエルは額を伝う血を拭い払った。


 マルノには冗談でああ言ったが、本当に「死なない」程度の勝機しか無さそうだ。カイエルは剣を振り、にわかに熱を帯び始めた両腕の感触を確かめつつ思考する。


 想像以上に残滓の影響を受けた狼が多すぎる。一人で全てを相手にするのは、かなり骨が折れそうだ。もしカイエルが一人で旅をしていたとすれば、今すぐに走って逃げ出していたであろう。


 だが――彼は、後ろで縮こまるマルノと、何とか起き上がり、逃げる機会をうかがう馬を意識する。この場での逃亡は、それらの死を意味した。


 逃げるわけにも行かず、狼を全滅させるには体力がもつかどうか怪しい。このまま戦えば、ギリギリの死線をくぐることになるだろう。


 再び雷光がほとばしり、轟音が間髪入れずに耳をつんざく。あまりの音に、カイエル達だけでなく、黄金色の瞳をした狼たちも何事かと彼らから目を離す。


「……」


 いや、彼らは落雷に恐怖して獲物から目を離したのではなかった。彼らの視線の先には、一人の少女がいた。


「あいつは――」


 雨が降っているというのに、外套もなく。町から離れているというのに、薄い生地の粗末な衣服しか着ていない。彼女は雨に濡れて銀色に輝く髪を揺らし、透き通るような存在感を放ちつつも、どこか人間として必要ななにかが欠落しているような不安を、カイエルに抱かせた。


 そして、何よりも目立つのは、彼女が持っている長大な銀の槍である。身の丈を超える長さを誇り、先端の穂先は薄暗い曇天の下でも輝いて見える。


「ウゥ……」


 その輝きに魅せられたのか、狼たちは黄金に輝く瞳をカイエルたちから逸らして、少女の方へ向けていた。


「おい嬢ちゃん――」


 逃げろ。そうカイエルが声を上げようとした時には狼の群れが彼女に殺到していた。


「くそっ!」


 一瞬遅れてカイエルも地面を蹴る。降りしきる雨でぬかるんだ地面に足を取られつつも、狼を倒し、少女を助けるために。


 しかしそんなカイエルの必死な行動をよそに、目の前では想像できないようなことが起きていた。


「――」


 狼の顎門が彼女の頸に噛みつく寸前、彼女は槍を回し、その腹部を貫いていた。続いて殺到する狼たちにも、石突きによる殴打や穂先による刺突を食らわせ、最小の動きで狼たちの命を奪っていく。


 カイエルはその姿を呆然と見つめていた。既に足は止まっており、足下に転がる狼の死体からは、次々と神の残滓が抜けていく。


 その景色は一方的な虐殺のようでもあり、英雄譚の一説のように、現実離れした神々しさすら感じる鮮やかさだった。


「ガウッ、ガッ――」


 少女は最後の一匹となった狼に槍を突き立てると、ため息をつく。何でも無いように、ただ、散らかった塵を端に除けるように、彼女は狼が刺さったままの槍を振って血糊と骸を飛ばした。


「――……」

「なあ、あんた、何者だ?」


 眉一つ動かさずに残滓に狂った狼の群れを殲滅し、何の感慨も抱いていないかのような表情で骸を見下ろす少女に、カイエルは恐る恐る声をかける。


「……セラファ、そう呼ばれていたわ」


 その声に短くそう答えると、少女はカイエルに背を向けて、森の奥へと歩いていく。


 しかし、カイエルは思わず腕を掴んでいた。細く、しなやかな感触が手のひらにあって、この腕がオオカミたちを鏖殺したことなど、信じられなかった。


「離して」

「いや、そうは言ってもな……」

「どうして掴んでるの?」


 少女の言葉に、カイエルは口ごもる。思わず掴んでしまっていたのだから、言い訳のしようも無かった。


「えっと、だな……」


 こんな森に一人では危険だ――と言うには先ほど強さを見せつけられた直後だ。なら、それらしい理由は……


「た、助けて貰ったんだ。お礼くらいさせろよ」


 カイエルは必死に考えついた理由を口にして、なんとかもっともらしい笑みを浮かべる。


「――」


 セラファと名乗った少女は、目を大きく見開いた。菫色をした光彩にカイエルの姿が映るほどで、彼女の薄い唇も小刻みに震えていた。


「何が狙いなの?」

「いや、いやいや、狙いとかねえよ。人として当たり前だろ」


 正直なところ、カイエルはセラファの大立ち回りを見て、恐怖を感じずにはいられなかった。あれだけの数の狼を相手に、一切ひるまず、呼吸も乱すことなく全滅させられる力を持った存在だ。不興を買えばすぐにでも相手の命を奪うことが出来るだろう。


 だが、それ以上にセラファの姿が小さく、弱々しい物に見えたのだ。それこそ、自分が手を差し伸べなければ、すぐに折れてしまいそうな。そんな印象を、カイエルは抱いていた。


「とにかくさ、お礼をさせてくれよ。きっと向こうで縮こまってるあいつも、礼くらいは言いたいだろうしさ」


 カイエルはセラファの手を離して、後方で震えて縮こまっているマルノを指さす。このまま引っ張って連れて行くのは、引き留めて無理強いするようで忍びなかった。


「……分かった。そうしましょう」


 セラファは表情が乏しかったが「仕方ない」という感情が口角から漏れるのを、カイエルは見逃さなかった。


 既に残滓の抜けきった狼たちの骸を越えて、カイエルはマルノのところまで戻ってくる。マルノは横転した荷車に張り付くようにして身体を震わせていて、荷車の先にいる馬のほうは、臭いと主人の動揺を感じ取ってしきりに首を振っていた。


「た、たすかった……ん、です、よね……?」

「ああ、幸いなことに、通りすがりの助太刀もあってな」


 カイエルはセラファの方へちらりと視線を向けて、マルノに彼女が危険な存在ではないことを伝える。マルノは大きくため息をついて、ようやく強張っていた身体を脱力させた。


「良かった……もう駄目かと」

「おいおい、大げさだな――よし、ちょっと後始末をしてくるから、俺たちを救ってくれた英雄サマをもてなしておいてくれよ」


 丁度到着したセラファの肩を叩いて、カイエルは歯を見せて笑う。


「英雄って――」

「おお!」


 セラファが声を上げようとすると、マルノが大きな声を上げた。


「助けてくださりありがとうございます! カラド=モルス様亡き今、貴女こそが我々の勇者、現代を生きる希望です!」

「……」


 マルノのあまりにも仰々しい言い草に、眉間にしわを寄せたのをカイエルは見逃さなかった。


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