夏の予感
朝、外に出ると――空気が少し違っていた。
「……あれ?」
冬の名残はもうない。
春の湿り気も薄れ、代わりに、じんわりとした熱が混じっている。
「これ……夏が近いな」
太陽の位置が高く、影が短い。
風はまだ涼しいが、止まると額に汗がにじむ。
『外気温、上昇傾向です。平均値から見て、夏季への移行段階と判断できます』
「だよなぁ……」
誠は小屋の前で伸びをしながら、村を見渡した。
水田では、すでに青々とした稲が風に揺れている。
冬の間に作った簡易田植え機は、今ではすっかり“道具の一つ”として扱われていた。
「おーい、誠! 水、ちょっと多めでいいかー?」
「ああ、今日は暑いからな! 根腐れしない程度で頼む!」
そんなやり取りが、特別でも何でもなく交わされる。
『田植え作業効率、昨年比で大幅に向上しています』
「“昨年比”って言えるの、なんかすげぇな」
『誠様がこの村で過ごした時間が、一年単位に到達したという意味でもあります』
その言葉に、誠は少しだけ黙った。
⸻
畑の方でも変化があった。
麦、豆、野菜類――
どれも順調で、明らかに“余裕”がある。
以前なら、
「足りるか?」
「冬まで持つか?」
そんな言葉が飛び交っていた。
今は違う。
「これ、干しとくか?」
「味噌に回そう」
「余った分は保存庫だな」
“余ったらどうするか”を話している。
誠は、その様子を少し離れた場所から眺めていた。
「……なんか、もう俺が口出すこと減ったな」
『はい。判断の多くが村人主体になっています』
「いいことだよな」
『はい。非常に良い状態です』
⸻
昼過ぎ、ミィナが桶を抱えてやってきた。
「誠、顔赤いぞ。水飲め」
「お、ありがと」
桶の水を一口飲む。
ひんやりして、体に染み渡る。
「もうすぐ夏だなー」
ミィナが空を見上げて言った。
「去年の今頃は、こんな余裕なかったよね」
「ああ……確かに」
あの頃は、
水路もなく、
炭も足りず、
冬がただ怖かった。
「今年はさ」
ミィナは少し笑って続けた。
「暑さの方が心配だよ」
誠は思わず吹き出した。
「それ、だいぶ贅沢な悩みだぞ」
⸻
夕方、誠は川辺に立っていた。
雪解けで荒れていた流れは落ち着き、
水は澄み、静かに流れている。
『水量、安定しています。夏季の水不足リスクは低いと判断します』
「よし。夏越えも問題なさそうだな」
川の向こうには、山。
山の向こうには、まだ知らない土地。
「……やろうと思えば、まだ色々出来そうだよな」
『はい。ただし、急ぐ必要はありません』
「だよな」
誠は、川に映る夕焼けを見つめた。
急がなくていい。
追われなくていい。
季節は、ちゃんと巡る。
⸻
村に戻ると、あちこちから夕餉の匂いが漂ってくる。
出汁の香り、焼き物の湯気、味噌の匂い。
“生活の匂い”だ。
『誠様』
「ん?」
『この村は、次の季節を迎える準備が整っています』
「……そっか」
誠は小さく笑った。
「じゃあ、夏は夏で……また忙しくなるな」
『はい。しかし今回は、“追い立てられる忙しさ”ではありません』
「それが一番だな」
夕暮れの中、村は穏やかに動いていた。
夏は、もうすぐそこまで来ている。




