田植えの日、回る歯車
朝霧が田んぼの上を薄く覆っていた。
水面は静かで、空を映している。
だがその静けさの中に、村人たちの緊張が混じっていた。
「……いよいよだな」
「本当に植える日が来るとは……」
誠は田んぼの縁に立ち、深く息を吸った。
『本日が最適日です。苗の状態、水温、天候、すべて問題ありません』
「了解」
苗床から運ばれてきた苗は、束ねられ、丁寧に水に浸されている。
青く、しっかりとした葉。
「……ちゃんと育ったな」
『はい。良好です』
⸻
「よし、じゃあ始めよう」
誠が声を上げると、村人たちが集まってくる。
「……で、どうやって植えるんだ?」
「前に言ってた“並んで植える”ってやつか?」
その問いに、誠はにやっと笑った。
「いや――今日は、こいつを使う」
そう言って、田んぼ脇の布を外す。
現れたのは、木製の枠に、歯車と回転軸。
下には苗を落とすための細い溝。
後ろには、押すための取っ手。
「……なんだ、それ?」
「荷車……じゃねぇよな?」
「簡易田植え機だ!」
誠の声が響いた瞬間、ざわっと空気が揺れた。
「田植え……機?」
「そんなもんがあるのか!?」
誠は説明する。
「苗をここにセットして、押して進むだけだ。一定間隔で、勝手に苗が落ちる」
「……ほんとかよ」
『理論上、手植えの三倍以上の効率が見込めます』
村人たちは半信半疑だ。
⸻
誠は自ら、田んぼに入った。
足が沈み、泥が冷たい。
「うわ……これ、久々だな」
『冬に試験運転は済んでいます』
「水の入った本番は初めてだろ」
『はい』
「だよな」
誠は苗を機械にセットし、深呼吸する。
「じゃあ……行くぞ」
ぎぃ……と音を立て、木製の歯車が回る。
押すと同時に、下から――
ぽとん
ぽとん
一定間隔で、苗が泥に立っていく。
「……!」
一瞬の沈黙。
そして――
「お、おい……」
「今……植わったよな?」
「まっすぐ……だぞ?」
誠が数歩進むころには、一直線に苗が並んでいた。
『正常動作を確認』
「成功だな」
その瞬間、どっと声が上がった。
「すっげぇぇぇ!!」
「なんだそれ!? 魔法か!?」
「いや、仕組みだ! 歯車だぞ!!」
⸻
「俺もやらせてくれ!」
「次は俺だ!」
最初は恐る恐るだった村人も、すぐに慣れていく。
「……おい、これ楽すぎねぇか?」
「腰が痛くならねぇ!」
「真っ直ぐ揃うのが気持ちいいな……」
手植えの列と、田植え機の列。
明らかに差が出ていた。
『誠様。作業効率は予想以上です』
「だろ?」
『本日の作業範囲を拡大できます』
「欲張るな。今日は慣れる日だ」
⸻
昼過ぎ。
半分以上の田んぼが、すでに植え終わっていた。
「……例年なら、三日はかかる量だぞ……」
「誠殿……これは……」
村長が言葉を失っている。
誠は、田んぼを見渡した。
等間隔に並ぶ苗。
水面に映る、未来の稲。
『田植え機の存在は、今後の農作業の基準を変えます』
「だろうな」
『ただし――』
「分かってる。万能じゃない」
『はい。手作業も必要です』
誠は頷いた。
「道具は人を楽にするだけだ」
「全部を任せるもんじゃない」
⸻
夕方。
最後の一列が植え終わった。
「終わったぞー!!」
歓声が上がる。
泥だらけの足、笑顔、疲労。
誠は田んぼの縁に立ち、静かに眺めた。
『本日の田植え、完了しました』
「……やったな」
苗は、風に揺れていた。
まだ細く、弱い。
だが確かに――根を張り始めている。
冬に作った木の歯車が、
今日、この村の未来を一段押し進めた。
誠はそう実感していた。




