苗床づくりと水の管理
畑の一角、日当たりの良い場所に、俺たちは集まっていた。
「……ここでいいんだな?」
『はい。日照時間、風通し、水路からの距離、すべて条件を満たしています』
「相変わらず抜け目ないな」
目の前には、すでに鉄の鍬で整えられた細長い区画がある。
土は深く掘り返され、石や根は取り除かれていた。
「ここが……苗床か」
『正確には「仮苗床」です。稲を直接水田に蒔くのではなく、一度ここで育てます』
周囲で聞いていた村人たちが、首をかしげる。
「誠殿、今までは直接田に蒔いておったが……?」
「それでも育つ。でもな」
俺は土を指でつまみながら言った。
「こうすると、発芽が揃う。強い苗だけを田に移せる」
『結果として、収穫量が安定します』
村人たちがざわつく。
「……選べるのか」「弱いのを間引くってことか」
「そういうこと」
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苗床づくりは、想像以上に繊細だった。
土を細かく砕き、均一にならす。
鉄の鍬が、その精度を支えている。
「……これ、石の鍬じゃ無理だったな」
『粒度の均一性が発芽率に影響します』
「はいはい、わかってますよ先生」
村人の一人が感心した声を上げる。
「こんなに細かい土、初めて見た……」
「触ると、ふかふかだな……」
俺はうなずいた。
「苗はな、最初が肝心なんだ」
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次は、水だ。
俺は溝を指差した。
「ここから、少しずつ水を引く」
『苗床では「湿潤状態」を維持します。完全な水没は不要です』
「田んぼみたいに溜めないんだな」
『はい。酸欠を防ぎ、根の成長を促します』
村人たちが顔を見合わせる。
「……水、入れすぎると駄目なのか」
「今まで、溜めりゃいいと思ってたな……」
「俺もだ」
俺は苦笑した。
「水はな、多すぎても毒だ」
『管理とは「足すこと」ではなく「調整すること」です』
「名言っぽく言うな」
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水路の小さな堰を調整する。
木の板を一枚、二枚と差し込むだけで、水の量が変わる。
「……おお」
「止まる」「また流れた」
『この構造で、村人自身による調整が可能です』
「重要だな、それ」
俺は頷いた。
「俺がいなくても回る仕組みじゃないと意味がない」
『その認識は正しいです』
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いよいよ、種籾の準備だ。
冬の間に選別しておいたものを、桶に広げる。
「浮くやつは……」
『除外します。中身が空洞の可能性が高いです』
「だな」
沈んだ種だけをすくい、丁寧に並べる。
「……なんか、命並べてる気分だな」
『実際、その認識は近いです』
「重いこと言うなよ……」
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村人たちが、恐る恐る聞いてくる。
「誠殿……これ、失敗したらどうなる?」
「苗床が駄目だと、今年は厳しいな」
一瞬、空気が張りつめる。
だが俺は続けた。
「でも、だからこそ、こうして準備してる」
『失敗確率は大幅に低減されています』
「ほら、専門家もそう言ってる」
アイの言葉に、村人たちは少し笑った。
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夕方。
苗床は整い、水は静かに染み込み、土は落ち着いている。
「……できたな」
『はい。あとは温度と水分を維持するだけです』
「地味だけど……大事な工程だな」
『基礎工程ほど、結果に影響します』
俺は苗床を見下ろした。
まだ何も生えていない。
だが、ここからすべてが始まる。
「……今年は、いけるな」
『はい。今年は「育てる年」になります』
鉄の農具が畑を変え、
水の管理が苗を守る。
村は、確実に“次の段階”に進んでいた。




