春の再始動と優先すべきもの
「アイ。ってことは、次は鉄の生産か?」
誠は黒砂が残る指先を見つめながら尋ねた。
鉄鉱層の発見は、村の未来を変える大発見かもしれない――そんな期待が胸に渦巻いていた。
だがアイの返答は、予想とは少し違った。
『いえ。優先順位としては、鉄ではなく食料増産に向けた準備が賢明です。時間的余裕があれば鉄に着手、という流れになります』
「なるほどな……まずは食わないと、か」
『はい。鉄は逃げません』
誠は苦笑しながらうなずいた。
確かに、鉄がどれだけあろうが、食料がなければ冬は越えられない。
飢えるよりは鉄を諦めた方がマシだ。
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数日が経った。
季節は急速に春へと傾き、森の木々にはまだ芽吹きこそないものの、空気はもう柔らかい。
地面を覆っていた雪はすっかり消え、ぬかるみも乾き始めている。
「……ほんとに、雪って一気になくなるんだな」
『日照時間の増加と地熱の上昇により、溶解速度が加速しました』
「そうか……やっと開拓再開できるな!」
誠の声には自然と力が入った。
村に最初に辿り着いたころの地獄のような寒さを思い出せば、この暖かさは天国だ。
――今年こそ、本格的な稲作を成功させる。
そんな強い気持ちが芽生える。
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畑に向かいながら、誠は改めてアイに確認した。
「稲まきって……いつ頃なんだ?」
『この地域の気候と地温推移から逆算すると、あと約三ヶ月後が最適と判断します』
「さん、かげつ……?」
『はい。気温は上昇していても、地温はまだまだ低いためです』
「地温か……」
アイは続けた。
『苗木――つまり稲の苗を育てるための“苗代”の準備は、約二ヶ月後が適切です。
そこから成長速度を計算し、本田への植え付けは三ヶ月後となります』
「逆算して動かなきゃいけないわけか」
『はい。種まきは早過ぎても遅過ぎても問題が発生します』
誠は額をかいた。
今まで“とりあえずやってみる”で乗り越えてきた自分には、
このきっちりしたスケジュール管理は新鮮だ。
(まあ……アイがいなかったら絶対無理だったわ)
苦笑しつつ、誠は道具置き場のある小屋へ向かった。
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アイの計画はこうだった。
・今から一ヶ月は、田んぼの整地が中心
・二ヶ月目で苗代づくりと水路の調整
・三ヶ月目で種まき
・その後は成長確認、除草、水管理
「……こうして見ると、稲作ってめっちゃ大変だな」
『農業とは長期計画を前提とした作業です。誠さんはよくここまで一人で準備しました』
「……いや、アイがいたからだよ」
アイは黙っていたが、誠はその沈黙が少し照れたように感じた。
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田んぼへ向かう途中、誠はふと気づく。
「そういえば……食料、なんか余裕あるよな?」
『はい。冬季の罠の成果が安定したことが理由です』
村の獣用の罠は、誠が考案した“誘導溝”のおかげで、動物が自然と入りやすくなっている。
さらに、魚用の簡易仕掛けは冬でも川の深い所で働き、毎日少量だが確実に捕れていた。
『この季節に食料に余裕があるのは、村としては非常に珍しいことです』
「やっぱそうなのか」
冬明けの農村といえば、普通は“蓄えが尽きる寸前”が定番だ。
だが今年は違う。
獣肉の干し肉がある。
魚の燻製もある。
さらにアイの管理で保存食のロスがほぼゼロ。
食料がある……ただそれだけで、こんなにも気持ちが軽い。
「この余裕……でかいよな」
『はい。この時期に食料を探す必要がないのは、開拓の効率向上に直結します』
「よし、じゃあその余裕で田んぼ増やせるだけ増やして……今年こそ成功だな」
『その意気です、誠様』
アイの声は少しだけ明るく聞こえた。
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開拓地に着き、誠は鍬を手にした。
目の前には、雪に押し潰され、凍り固まっていた泥の大地。
しかし今は柔らかく、鍬が入りやすい。
「……よし、やるか!」
ザクッ、と鍬が地面に入る。
その音と感触は、冬の間に閉じ込めていた“働きたい欲”を一気に開放するようだった。
『誠様、北側はまだ地面が湿りきっています。南側から優先して耕すと効率的です』
「了解!」
誠は力強く鍬を振り下ろす。
春の光が差し込む中、土の香りがふんわりと舞い上がる。
――今年は、きっとやれる。
食料の余裕。
冬を越えた自信。
そして、鉄という新しい可能性。
全部が誠を後押ししているように感じた。
『誠様』
「ん?」
『今年の開拓、成功確率は昨年より“42%増”です』
「具体的なんだよ! でも……ありがとな」
誠は笑い、再び鍬を振るった。
春は始まったばかりだ。
これから忙しくなる――だが、それが嬉しかった。




