雪解けと川の向こうへ
朝、小屋を出た瞬間、誠は思わず息を吐いた。
「……お、あったかい?」
まだ白い息は出るものの、あの刺すような冷気はない。
頬に触れる空気が、明らかに“春”を含んでいる。
足元を見れば、雪がゆっくりと溶けて土が見え始めていた。
「やっと……やっと冬越したって感じだな……」
じわりと込み上げてくる達成感。
ひとまず、これだけは胸を張れると思った。
『外気温、上昇傾向です。季節は春に移行しつつあります』
「アイ、俺たち……生き残ったな」
『はい。生存率、予定値を超えました』
「……なんだよその言い方」
誠は苦笑しながら、肩の雪を払った。
⸻
とはいえ、雪が完全に溶けるまでは開拓も本格的には進められない。
水路も、田んぼも、まだ氷が残っている。
地面はぬかるんでいて、鍬を入れるのも難しい。
「春になれば一気に忙しくなるんだろうけどなぁ」
稲を育てるための農具は、ほとんど完成している。
鍬、田下駄、苗を植えるための道具。
村人たちと分担して作っていたおかげで、冬のうちに十分に揃った。
問題は――肝心の“種まき”。
「これは……もっと先だよな」
『はい。地温の上昇を待つ必要があります。現状ではまだ早すぎます』
「じゃあ今は……やっぱり冬の終わりの準備か」
誠は納得して頷いた。
⸻
ふと、気になっていたことを口にする。
「そういえば村人って、冬の間どうしてたんだろうな?」
『観察結果から推測しますと、主に以下の行動です』
アイの無機質な声が続いた。
『・道具の修繕・衣類の補修・木材加工・保存食の整理・家畜の世話・縄や籠の編み直し・狩猟準備と罠作りの練習』
「……あれ、俺と変わんなくね?」
『基本的に農村は冬、屋内作業に集中します。作れるものを作り溜めし、春に備える形です』
「なるほどな……」
働きづめなのは自分だけじゃなかったらしい。
冬の間、村人たちの暮らしは地味で、単調で、しかし確かに未来へ向けた時間だったのだ。
⸻
誠は川辺へ向かった。
雪解け水が流れ込み、川は以前より勢いを増している。
「うお、流れ速くなってるな……」
『融雪による増水です。水温も上昇しています』
「春って感じがしてきたな」
しかし誠は、ふと昔の会話を思い出す。
――川の上流に違和感がある。
「なあアイ、上流の調査……そろそろ出来るか?」
『はい。積雪量が大幅に減少したため、移動が可能です』
誠は小さく息を吸った。
これまでは雪と寒さで諦めるしかなかったが、ようやく動ける。
川の上流がどんな地形なのか、何があるのか、ずっと気になっていた。
誠は川のせせらぎを聞きながら、決めた。
「行ってみるか、上流。春に向けての準備って意味でも……見といた方が良いよな?」
『賛成します。水源の把握は、新規水田の運用に大きく関係します』
『加えて……』
「ん?」
『違和感の正体を特定する必要があります』
「お前、その“違和感”ってずっと言ってるけど……具体的に何なんだ?」
『不明です』
「そこが一番怖いんだよ」
誠は思わず苦笑する。
アイは嘘をつかないし“言わない”こともしない。そんなアイが“不明”と言い続けるということは――何かある。
「……よし、決まりだ」
誠は川に沿って歩き出した。
⸻
雪解け直後の川沿いは、足元が悪い。
ぬかるみ、滑る石、流木も多い。
それでも、誠の胸はわずかに高まっていた。
探検するぞ!
……というほど軽い感覚ではないが、閉じこもっていた冬の間に溜まった“外への欲”がある。
『足元に注意してください』
「わかってる。……おっ?」
川の形が変わり、流れが緩やかになっていく。
そして、少し先で森が大きく開けている場所に辿りついた。
「……ここ、ちょっと広いな」
『地形的には、天然の沈殿地です。水量が増えると、ここで水が溜まりやすくなります』
「ふむ……田んぼ作るには悪くない?」
『応用可能です。ただし、上流側の確認が先です』
誠は頷き、さらに歩を進める。
川は山の裾へ向かうように細く曲がり、岩場が増え始めた。
「なんかこう……急に変わったな地形」
『はい。地層の境目と思われます。地面の硬度が違います』
「ってことは……上流の“違和感”って、地形が原因か?」
『それも否定はできませんが……まだ判断できません』
森は深くなり、空気がひんやりしてきた。
雪はほとんど溶けているが、日が当たりにくい場所ではまだ残っている。
『砂鉄の層が有ります』
「砂鉄?砂鉄って……あの黒い砂みたいなやつか?」
『はい。磁性のある砂状鉱物です。川の流れの速度差で沈殿することがあります』
誠は川の縁に屈み込み、水際に手を伸ばした。
細かい黒い粒が、雪解け水の中でキラリと光っている。
「うわ、本当だ……磁石あればくっつくやつだよな」
『この世界で磁石が一般的かは未確認ですが、金属加工の可能性に関わります』
「金属加工……?」
誠は思わず黒砂をすくい上げて眺めた。
今の村は斧も鍬も“鍛冶仕事”とは呼べないレベルの原始的な加工だ。
鉄が豊富なら、いろんな道具や部品がもっと高品質に作れるようになる。
「……この辺、掘れば鉄出たりしないか?」
『可能性はあります。ただし、詳しい調査が必要です』
「夢広がるなぁ……」




